今朝、会社に行くと、会社のビルのエアコン壊れていることが発覚。
暑い中、仕事をすることになった。
みんなうちわをパタパタ。
みんな「暑い(-.-;)」とだれている。
そんな中、自分だけは、エアコンの無い暮らし、自宅の灼熱地獄で多少鍛えられているせいか、平気な感じでいた。
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エアコンが、自分の家に入ったのは、小学校高学年だった気がする。
当然、それまでは、そんなものの存在しない世界だし、
それぞれは、それぞれの夏の暑さのしのぎ方をしていた。
だというのに、今の子供たちもそうだろうが、「哺乳器の中のオトナたち」のように、常に、安定した温度、安定した環境にいないと、即「異常」と決め付けて、それから逃げようとする。
日本は、亜熱帯化してきているから仕方が無い部分もあろうが、
「夏は暑い季節」なのである。それが当たり前なのだ。
それを、クーラーがあって、平静な中生き延びれると思っているのが、今の日本人の怠惰の1つである。
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愛するノラネコたちは、この夏の暑さを、一身に体感しながらも、その中で、いかにして、涼しい場所を探して、いかにして、この夏を生き延びるかを考えている。
暑さに弱い自分=かたちんばが、このエアコンの無い久々の生活で体感すること=それは、「夏は暑い」という当たり前の事実である。
少々、抵抗力もついた気もしている。
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この夏のリアルな真実。
それを感じさせるのが、レイン・トゥリー・クロウの「Red Earth (As Summertime Ends)」である。
デヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、スティーヴ・ジャンセン、元「Japan」の4人が集まった、一時的なインプロヴィゼイション・バンドの仮の名が「レイン・トゥリー・クロウ」である。
そして【写真】が、そのセッションの唯一のアルバムである。
このアルバムを「6枚目のJapanのアルバム」という解釈をしている人がいるが、自分はそう思わない。
このアルバムには、Japanのかけらも、この中には存在しないからである。
Japanとは全く違うアプローチと音、明らかにこれはまったく別の存在の音である。
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後期Japanにある「耽美性」はかけらもない。
ここには、ひたすら「リアル」がある。
「夏の終わりの赤い大地」=「Red Earth (As Summertime Ends)」
自分は、このアルバムの中でも、このアブストラクトな曲が特に好きだ。
まるで、夏の蜃気楼のような、目まいを覚える暑さの中、けだるげな心情を反映したかのような音。
細野さんの「夏なんです」や「熱帯夜」、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」のような、ドリーミーな夏もあるが、
ここには、夏の暑さの持つ、リアルで「残酷」な現実が刻印されている。
大胆あり、恥じらいあり、お手伝いあり!!
おれ当分やめれる気配がない(笑)http://giga-mix.net/love/638