4月1日が来てしまうなんて。
一年の1/4が終わってしまうなんて。。。と唖然としながら、桜を視てはシャッターを切って、猥雑な「フレッシュ」を横目にする。湧いて出てきた人のカオスがこっちに押し寄せてきては、避けようとしてネコのように路地に逃げ込む。
桜は美しいが、内面は無味乾燥になりがち。
今朝も数日前偶然手に入れたCDをmp3プレイヤーで聴いていたのだが、なにか違うなと。
カチッとした世界と同様、予定調和の形式音楽にうんざりしては醒めてしまう。
そんなときに、教授のB-2UNITなどに向かったりする。
B-2UNITは別格の存在であり、”ノイズミュージック”として括られてしまう類の音楽はつまらない。
音そのものがつまらないのではなくて、括ってパッケージしてしまった時点で興味が失われる。
強要される勉強や教科書が、学びから遠ざけるのとおなじ。
がさごそランダムにCD類まさぐり、次々掛けて、、、ぴたっと来たのがノー・ニューヨークにあるジェームズ・チャンスで、ずーっと聴いているうち0時も1時も2時を回ってしまう。(渋谷さんのラジオは録音ボタンだけ押して、あとで聴こう。とそっちのけ。)
1981年4月8日に始まった教授のサウンドストリートは刺激的で、いろんな音楽に出会うきっかけを作ってくれた。それを想い出しながら、そこから派生して知った音を聴くと、その後テクノ/ニューウェイヴに行ってしまわなければもっと聴き込めたハザマ音楽があったんだろうと思う。
79・80・81年と曖昧模糊と音世界全体がまったく視えない中、日々出会った音の不思議さは、今逆にカチッとパッケージされてしまった「出口なし」世界からの脱出口になりえる。
こないだ買ったケンドリック・ラマーやサム・スミスの音は面白いが、そういう今だけが全てじゃないだろ。
毎月買っていたミュージックマガジンの1982年1月号で「いま、なにがファンクか」という特集があった。すりへったページと毛羽立ち。ここで多様な評論家がYMO「テクノデリック」から始まり、ア・サーテン・レイシオとかファンカデリックとかブラック・ウフルなどと多様な想像力を「この1枚」に働かせていたのだが、特集を組むくらいにファンクが1つのキーになっていた。
時はアフター・パンクでニューウェイヴ勢力が強まり、1982年にはエレクトロニクスポップへと移ろうハザマ。
教授がファンク特集をサウンドストリートで組んで、自ら皿回しをした81-82年かけたのはフライング・リザーツ、ノー・ニューヨーク、スクリティ・ポリティ、スキッズ、王道のJB’Sなど。
黒人がやるからファンクでもなく、白人がやるからホワイト・ファンクというものでもない。
パンクには間に合わなかったじぶんは、ロックの否定としてのパンクという「ありていな理屈」すらハナで笑って、そのパンクまで否定しPILへ突き進んだジョン・ライドンの「フラワーズ・オブ・ロマンス」を聴いては『ロックなんてものはロクなもんじゃない』と思っていた。
今夜聴いた、かき集めたCD類。
79・80・81年あたりに聴けた響きは、テクノやエレクトロニクスポップが席巻したことでかき消されてしまった大事な「種」だった。
「ノー・ニューヨーク」と、それをたくらんだブライアン・イーノが狂喜した無名の音楽家たち。それとロバート・フリップとの共作「ノー・プッシーフッティング」を並べても異物感はなくて、同じ水脈の音。決してアンビエントとは思えず、共に「ファンク」に聴こえる。
「ノー・プッシーフッティング」のジャケットに映るイーノの姿は実に恐い。
また81年教授が掛けてくれたペル・ウブの作品だったり、サイケデリックファーズ初期や「ノー・ニューヨーク」のアート・リンゼイ、リディア・ランチなどの作品を聴きつつ、そのはざかいで鳴っていた稀有な音・ファンクだったものが、多くの商業音楽にかき消されてしまったことを今一度確認できた。
出来上がりすぎたものはつまらない。
カーラ・ボノフは女子アイドルやヒットメーカーやスターになれなかったが、だから今でも心に響くのだろう。
懐古主義でもなく、サブカルとかB級とか呼んではパッケージされたA級固形物と違うものを・・・という差異を求める(同じ)行為とも違う。
電話のコールが混じるジェームズ・チャンスとリディア・ランチの「ステンド・シーツ」は好きな一曲なのだが、音を絞って聴いている。言わずもがな、周りの家に「あの人、また金曜日だからって、AVタイムはやめてよ」とリディア・ランチのあえぎ声を勘違いされるからである。
実に「ファンク」である。
■James Chance 「Contort Yourself」1979■
【2004年スクラップブック】