ヤケ酒では無いが、泥酔しての帰宅。水分補給して正気が戻る。
今週、珍しくパソコンの電源を消して眠る夜が幾晩かあった。
脳には良くないのだが、何か”ざわめき”が無いと眠れないので、録音したラジオか音楽を小さく流しながら消灯するのが通常だった。
こんな夜。
寝床に置いたラジオを暗闇でチューニングしているうち、NHK”ラジオ深夜便”に耳が止まる。
くだらない声優の番組やら、小難しいゴリゴリの番組は聞きたくはないときに、ラジオドラマや対談などをささやくラジオ。
NHKならではの適度なテンポと穏やかさを時折、聞きたくなる。
流れの中で、大学教授さんのお話しコーナーがあり、記憶と脳のメモリーをテーマにしたものだった。
暗闇の中、めがねをはずし・横になり、首振りせんぷうきに当たりながら、ふむふむと聞いてしまう。
「モノ忘れが激しくなった」「自分も歳かなあ」など”あたかも常套句のように”言われるが、むしろそう思い込むこと・そのものが、そうさせていく、と先生は言う。
歳を蓄えた方が、むしろ実は判断力が増し、脳のメモリーは豊かになっていく。(その一方で減って行くものもあるが。)
たしかに、先生の言う話は的を得ていると感じた。
***
容赦ない・日本(という国亡き)人は「良い歳をして」と言うが、自分は”あれ”から数十年が経過している意識がない。
しかし、それも昨年秋までのことで、そこから親の看病という現実にぶち当たり、そこを経て地団駄を踏み、出口を失っていた。
まさか十二支を四周もしてしまったなんて、だったり、まさかあの人が・・・と愛する人だったり。
まるでそれは浦島太郎そのもの。
心が痛くてひりひりする。
頭を鈍器で打たれたような感覚になる経験が、昨年秋から多くなった。
まだ立ち読みしか出来ていないが、先週土曜日、本屋さんで発見した養老先生の最新作「死の壁」。
これを買ってヒントを得よう、と思う心境の昨今。
この半年+アルファは、自分には重いが、それでも「”歳(とし)を経ること=ボケ化」という思い込みはやめるべきだろう。
***
そういうモードに入って以降、急激に白髪が増えた。
勝手な自己診断をするなら、自分が今になって気付いてしまった”歳”を意識し過ぎ、老いた、と思い込んだせいで白髪が増えたのだ。
そう思い込みが植えつけられねば、こうはならなかっただろうし、今後もそうだろう。
白髪が出始めることと、歳を重ねることを同列軸に並べる自己催眠から解脱すること。
裏付けのない邪教を追い払うべきだろう。
あと言うなら、”世間”や”ネット上の邪教”も信じないこと。
身近な人、長く付き合ってきた人、お世話になる人、お世話になられている人、バカ笑い出来るなかま。
敬意を抱く人、モノ作りの好きな人、一緒に遊んでくれるネコ、目を潤してくれる緑。。。。そんな人や生き物たちとのキャッチボールに生きていきたい。
これからも。なおいっそう。
■Human Audio Sponji 「You’ve Got To Help Yourself(以心電信)」'07■
細野さんと教授の相対するものが融解し、新しい道を創った”Human Audio Sponji”。
これが、その後の新しい川を作っていく。
「You’ve Got To Help Yourself(以心電信)」で始まった、パシフィコ横浜・2007年5月19日のライヴ。
雨に傘を差しながら、横浜からの遠い道を帰った、それを想い出す。
「You」は「You」でこそ救える、という細野さんが意図した「自助」の思想。
そこには、その人自身のチカラが最後だとしても、支える人が居ることが必要である。
テコの原理のように、支える人がチカラをたずさえて成立する。
セルフの内的チカラが発現し、魔が去っていくまでの間、テコの片方で”えっさおっさ”と変わりばんこにチカラを入れる。
その大事さを、親の看病の末に奇跡が産まれる過程で学んだ。
お花だって、変わりゆく天候の中で雨風に応じて、手当てをするから咲いてくれる。それとおんなじだ。
誰かかけがえのない・大事な人が困ったならば、助けるべく動くし、祈りもする。
一体、自分に何が出来るのだろうか。。。と呆然とするけれども、何かがあるはずなのだ。
自分にとって、育ててもらったかけがえがない存在であるならば、何かをせねばと思う。
自分の魂の恩人を助けたいと思う。
■YMO 「ワイルド・アンビションズ」1983■
YMOにして、細野さんと教授が”唯一”競演した曲。
今週、珍しくパソコンの電源を消して眠る夜が幾晩かあった。
脳には良くないのだが、何か”ざわめき”が無いと眠れないので、録音したラジオか音楽を小さく流しながら消灯するのが通常だった。
こんな夜。
寝床に置いたラジオを暗闇でチューニングしているうち、NHK”ラジオ深夜便”に耳が止まる。
くだらない声優の番組やら、小難しいゴリゴリの番組は聞きたくはないときに、ラジオドラマや対談などをささやくラジオ。
NHKならではの適度なテンポと穏やかさを時折、聞きたくなる。
流れの中で、大学教授さんのお話しコーナーがあり、記憶と脳のメモリーをテーマにしたものだった。
暗闇の中、めがねをはずし・横になり、首振りせんぷうきに当たりながら、ふむふむと聞いてしまう。
「モノ忘れが激しくなった」「自分も歳かなあ」など”あたかも常套句のように”言われるが、むしろそう思い込むこと・そのものが、そうさせていく、と先生は言う。
歳を蓄えた方が、むしろ実は判断力が増し、脳のメモリーは豊かになっていく。(その一方で減って行くものもあるが。)
たしかに、先生の言う話は的を得ていると感じた。
***
容赦ない・日本(という国亡き)人は「良い歳をして」と言うが、自分は”あれ”から数十年が経過している意識がない。
しかし、それも昨年秋までのことで、そこから親の看病という現実にぶち当たり、そこを経て地団駄を踏み、出口を失っていた。
まさか十二支を四周もしてしまったなんて、だったり、まさかあの人が・・・と愛する人だったり。
まるでそれは浦島太郎そのもの。
心が痛くてひりひりする。
頭を鈍器で打たれたような感覚になる経験が、昨年秋から多くなった。
まだ立ち読みしか出来ていないが、先週土曜日、本屋さんで発見した養老先生の最新作「死の壁」。
これを買ってヒントを得よう、と思う心境の昨今。
この半年+アルファは、自分には重いが、それでも「”歳(とし)を経ること=ボケ化」という思い込みはやめるべきだろう。
***
そういうモードに入って以降、急激に白髪が増えた。
勝手な自己診断をするなら、自分が今になって気付いてしまった”歳”を意識し過ぎ、老いた、と思い込んだせいで白髪が増えたのだ。
そう思い込みが植えつけられねば、こうはならなかっただろうし、今後もそうだろう。
白髪が出始めることと、歳を重ねることを同列軸に並べる自己催眠から解脱すること。
裏付けのない邪教を追い払うべきだろう。
あと言うなら、”世間”や”ネット上の邪教”も信じないこと。
身近な人、長く付き合ってきた人、お世話になる人、お世話になられている人、バカ笑い出来るなかま。
敬意を抱く人、モノ作りの好きな人、一緒に遊んでくれるネコ、目を潤してくれる緑。。。。そんな人や生き物たちとのキャッチボールに生きていきたい。
これからも。なおいっそう。
■Human Audio Sponji 「You’ve Got To Help Yourself(以心電信)」'07■
細野さんと教授の相対するものが融解し、新しい道を創った”Human Audio Sponji”。
これが、その後の新しい川を作っていく。
「You’ve Got To Help Yourself(以心電信)」で始まった、パシフィコ横浜・2007年5月19日のライヴ。
雨に傘を差しながら、横浜からの遠い道を帰った、それを想い出す。
「You」は「You」でこそ救える、という細野さんが意図した「自助」の思想。
そこには、その人自身のチカラが最後だとしても、支える人が居ることが必要である。
テコの原理のように、支える人がチカラをたずさえて成立する。
セルフの内的チカラが発現し、魔が去っていくまでの間、テコの片方で”えっさおっさ”と変わりばんこにチカラを入れる。
その大事さを、親の看病の末に奇跡が産まれる過程で学んだ。
お花だって、変わりゆく天候の中で雨風に応じて、手当てをするから咲いてくれる。それとおんなじだ。
誰かかけがえのない・大事な人が困ったならば、助けるべく動くし、祈りもする。
一体、自分に何が出来るのだろうか。。。と呆然とするけれども、何かがあるはずなのだ。
自分にとって、育ててもらったかけがえがない存在であるならば、何かをせねばと思う。
自分の魂の恩人を助けたいと思う。
■YMO 「ワイルド・アンビションズ」1983■
YMOにして、細野さんと教授が”唯一”競演した曲。