昼に、パスタを大量に作りすぎてしまった。
ニンニク、ニラ、エダマメ、ほうれん草を刻んで、オイルで炒める。
そこにパスタを絡めて、最後は中華あじとタラコ、塩・こしょう少々をあえて出来上がり。
早々に缶ビールを開けて、昼食を摂ったら動けない。
相当な過労は相変わらず。
MZ師としばし電話で話す。
「オトナになったら、酒・タバコをやって、自分の稼いだカネで女性とデートし放題・・・
早くオトナになれば、そこは、今のようなうだつの上がらない世界から脱せられるとでも思っていた。
しかし、実は、コドモ時代なんかより、オトナの方が如何にしんどいか、と思い知るね。
こんな血反吐を吐く世界からすれば、いかにコドモ時代がラクだったか。。。」
そんな会話で2人は話し合う。
比較的暑さがやわらぐ中、「は~い、食休み」と言い訳をしながら横になったら、眠りに入ってしまった。
何度か目覚めて・真っ暗になってしまった世界を確認するが・そのまま寝る。
そういう断続的睡眠の末、日が変わる頃に起きる。
スヌーピーとロンドン
***
「夜空のもとでぇ、洗濯~」と、懐かしいモダンチョキチョキズの歌を歌いながら、深夜の洗濯。
その後、コンビニエンスストアーにビールを買いに行く。
外も涼しい今夜だが、月に輪がかかり、不気味なさま。
つい、細野さんの「ハニームーン」が脳を流れる。
■細野晴臣さん 「Honey Moon」■(フロム・クワイエット・ロッジ)
この曲は、トロピカル三部作にも収録されているが、自分は名盤「メディスン・コンピレーション」に再度リメイクされた方の曲が好き。
バッキング・ヴォーカルの矢野顕子さんの声が、夜の月=ルナの狂気の様を上手に表現していて、この曲にふくらみを持たせている。
深夜のコンビエンスストアーの前。
ケバイ女子高生3人が、道に座ってヤバイ会話とカップラーメンをすすっている。
タバコを吸いながら。
こちらは、風体自体が黒づくめで、ただでさえ目立つ。
おやじ狩りに遭わぬように、さっさと去る。
まあ、何かをしてきたら「正当防衛」として、吊るし上げ殺しますが。
意識が既に成型され・はっきりした脳を持つ中高生に少年法など意味が無い。
隠れ蓑を知っての確信犯に過ぎない。
また、どうせ大犯罪を犯すサイコパスは一生直らない。
そういうどーしようも無いクズは、早めに合法的に殺した方が世の為である。
毎年のことながら、よくこれだけの人が集まるものだと驚嘆。
各地の特産品を買いあさり…それホントに必要ですか?
子ども向けのゲームの仕組みにいちゃもんをつけるおじさんは、まあご愛嬌として(笑)
焼き鳥をくわえながら、
地上げ屋が持っていたようなセカンドバッグから長財布を取り出す小学生には
おじさんよりもおやぢ化した臭いがしました。
コンビニ前の女子高生同様、
「外れて」いた(いる)自分とは違う、別の生態への変態。
毎年水ヨーヨーづくりをしているさくりんは、
すてきな柄のヨーヨーは自分の偏ったものさしで認めた子どもにしかあげない
いじわるテキ屋(*_*)
そんな中でも本日の天使。
その1
豆絞りでできた、
体育帽のような涼しげなものをかぶったおしゃれな子どもが居ました。
お母さんにリメイクしてもらってお気に入りだとか。
その2
帰りの大混雑の中、互いにバスを待ちながらおばあちゃんと会話。
「こんなに暑くちゃ、おばさんなんか化粧しても意味ないね、このバス○○に行く?しっかし混んでるね…さっきからおんなじ行き先ばっかしか来ないじゃないか、あんたは何処まで?」
「あっおばさん○○行き来ましたよ」
「えっ本当、お先に悪いね、あんたも気をつけてね」
弾丸のような会話が心地よい一時でした。
さて、帰ったら猫さん親子を探そうと思います。
今日は夕立も心配です。
たぶん、このままいくのでしょう。
みんなが興味を持つものには全く興味がない。
醒めている子だねえ、と言われて育ちましたが、醒めているのではなくて、あくまで自分の生理に従うと、無理してまで他人に合わせる必要がないのだな・・・
やっと、それで良い、と焦りは消えつつあります。
日が沈む時間が次第に早くなりだしましたね。
さっきまで窓から、紅く染まりながら移動していく雲を撮っていました。
***
夏祭り、お疲れ様です。
ほとんど不愉快な世界でしょう。
ガキもおやぢも、タガがはずれすぎている。
ボーダーレス。
「いったい、何がキズナ?何が節電・脱原発?だよ。
このウソツキ。
バカ野郎。」
そういうせせら笑いをせざるをえない風景に、2012年日本では遭うことが多々です。
しかし。
「水ヨーヨー」は何か久方ぶりに聞いたコトバに思えて、「涼」を感じました。
水の上に浮かんだ色とりどりのキレイなヨーヨー。
また、じゃあ日本人全部がバカなのか?
といえば、未だに良識あるヒトやユーモアや味あるヒトに出会える。
自分の方が正される、お母さんや家族、お年寄り。
ここで思い出すのが、3・11の際にさくりんさんが見た冬の悲惨な時期のシーン。
予想通りに、スーパーに車で買占めに回る狂騒家族の横で、公園で出会った母子。
「ママ、ネコってあったかいね。」
「そうだね、あったかいね。」
ネコに手を当てる子供と、それを見守る母。
こんな人々が救われる世界であれば良いのに。
そう思いながら、思い出します。
合間を縫って現場を移動しますが、そんなに都合よくはいかないもの。
お向かいに建設中のビルでも、鳶さんが出たり入ったりでお気の毒でした。
かたちんばさんのようにスーツで移動される方も大変でしょうね。
そんな週明け、上野のかえるちゃんに一気に弛緩します(~_~)
鴬谷に向かう道。
「ひたち」にはこんな種類があるんですね。
スピードや快適さを追求しての進化とはいえ、
特急はやはりボンネット型に愛着があります。
進化から無理やり繋げますが、リラックマのオープナー。
意志を反映してか、年々握力が弱まっていく私にも(+_+)可愛くありがたい道具です。
もちろんキイロイトリに固執(笑)
かたちんばさんはユニバーサルデザインなどお詳しいと思いますが、
「誰でも使える」公平性より、「楽する」方が優先されることがありますね。
古い記憶では、米研ぎの道具なるもの。
新しいところでは、ポテトチップス用のトングの登場などに驚きました。
明らかにもっと手足を使った方がいいと思われるヒトが道具を使って、
私も含めて機能を麻痺・退行させているのでしょうね。
と反省しているフリをしつつ、この湿度に耐えられずにエアコンを使って
汗腺の退行を進めていますが…
『歩き旅に出た。
そのときの街の雰囲気がとても良かったので…』
作ろうと思って作れる訳ではないそのシーン。
つくづく、かたちんばさんたち「組み合わせ」の成せるアトモスフィアだと感じます。
宿命と運命とがあると言われますが、
運命の使い方と組み合わせが問題なのだと思います。
取扱いの教わり方と使い方を間違えた成れの果ては、昨日も数例挙がりましたね…
一時一時を大切に、感謝をもって使っている少ない例として
私も時折、あの母子を思い出します。
震災前も後もおそらく変わっていなかったであろうふたりの日常に触れたことで、今も救われています。
つつましい暮らしにこそ、公平性が保障されるべきだと思います。
アスファルトもさすがに散々雨を吸ったせいか、夕方になって少し涼しくなってきましたね。
このまま夏に過ぎてもらうのは無理な願いですが、「夏なんです」を聴きつつ
小さないきものに優しい夜が訪れることを祈ります。
かたちんばさんもクールダウンできますように、
明日にしましょ(自分に言ってます、笑)
昨日見かけた近くのお宅の玄関先で、
懸命にご飯を食べる子猫を見つけました(T_T)
兄弟と思われる、真っ黒なおちびさんと
お母さんなのか、二匹を見守るだけの猫さんと仲よく一緒。
一戸建てが並ぶエリアでは肩身の狭い思いをされているかもしれませんが
猫さんへの愛に感謝します。
昼だけ着くテレビは、案の定の過度な騒ぎ。
「これからも、警戒が必要ですっ!」
と思いきや、夕方には日差しが。。。。
何がなんだか分かりません。
熱帯と化した世界には恵みの雨、と思う一方で、心配はにんげんさまでは無い生き物たち。
そして、産まれた子猫。
涼しくなるのは良いが、濁流に流されたら元も子もない。
でも、たくましく、ちゃんと生きて・食べていて良かった。
ほどよい雨と涼しさが続くのを祈ります。