こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年6月23日 日曜日 山下達郎 「War Song」'86

2013-06-23 12:35:30 | 音楽帳

■山下達郎 「THE WAR SONG」1986■
先日、掲載したとたんに消されてしまった「風の回廊(コリドー)」を収めた1986年アルバム「ポケット・ミュージック」より、今日行われている東京都議選なる「選挙ごっこ」へのイヤミをも込めて、達郎さんの「ウォー・ソング」を贈る。

***

今朝、夢の中で印刷現場の鉛の写植職人さんの作業するさまを見ていた。
もはや、デジタルの時代になり、印刷業界はバタバタと倒産していくしかない運命。
印刷業界と言われているものは、ほぼDとTという2社の寡占状況。そこから長く下に繋がる家族経営の印刷会社に及ぶまでがつながっているが、ほとんど死滅状態にある。倒産、返せない借金、自殺。
DとT、と述べたが、お札やカード類まで作る会社ゆえ、この「一応」「日本」と地図上に記された国土における権力は絶大である。とてつもないカネが流れ込んでいる。また、それは当然、海外印刷物・海外工場含め、他国の領土まで及んでいる。
それ以上は、じぶんが言うまでもなく、みなさんの方がよくご存知であってしかるべきだろう。

***

じぶんは、親父との戦い・葛藤を繰り返してきたが、相手は80代・こちらは40代となり、もはや過去のような殺してやると言う感情は無い。
そして、家族の長たる親父、という家族の側面とは別に、彼は戦後、日出ずる地・出雲から大学時代に上京して、貧しい中、大学時代を過ごし、印刷業界で苦労した歴史があった。
その断片を、じぶんは目の当たりにしてきた。三ノ輪の近所のみんなに内職をばらまいて、我が家でもその作業をしていた様は、じぶんの記憶の一部である。

あるいは、戦後、レントゲン撮影が国内で当たり前になりつつあった中、そのフィルムと伴う印刷用紙、これは。。。と親父と当時の社長2人で奔走し、それを様々なところに売り込みをかける。そんなシーンの断片を親父の話から聞いてきた。
親父の話は、イコール、戦後の経済の中で、貧しいながらも、明日や可能性があった時代の営業活動の一端。

***

夢と半分起きた横になるさなかで、いろんな映像とシーンが回想された。
昭和20年、東京はアメリカからの集中攻撃に拠って、10万人の非戦闘民が惨殺された。計画上は、皇居にも攻撃するはずが、結果的に変更された。
3・11の東日本大震災で亡くなった人は、約1.6万人である。あの6倍の人が一夜にして苦しんだ事件。

8月15日に敗戦となったが、東京は爆撃後の無残なる荒れ果てた地の様にあった。
歴史は、その後の成長ばかりを述べるし、確かに何も無いところからの出発は経済上の成長に至った。そこには確かに、何も無くなったから復活への可能性があり、アメリカが長きに渡ってコントロールしてきた結果だ、と言ってしまえばそれはそうかもしれない。
では、焼け野原の東京で、残った者の神経・精神状態を、なぜ、東日本大震災後に残った者の神経・精神状態のように語る、語り部が居ないのか?
絶望は、3・11だけではない。

そして、様々な諸条件下で経済成長を語る者は多い。「あたりまえだ」という口調で。
B-29が来るたびに、家の明かりを消して伏していたお袋さんの話。
東京大空襲を経た上で残った一般の者たちが自殺もせずに、日々のくらしに苦心しながら「生きた」「くぐった」「突破した」ことをなぜ語らない?

***

最近「相も変わらず、じぶんはバカだなあ」と思っていたのが、歴史教科書に載っているモノ全てが、事実かどうかは実に疑わしい、ということ。「新しい歴史教科書」なんかで足りるものではない。
江戸・明治以降の記載にこだわる人々は多いが、それよりも前にある歴史すら、当然会ったことも・事実も定かに分からないのであるので、全てはフィクションだとも言える。それは、日本に限らず全世界共通のもの。
逆に言えば、この100年間すら事実が明確ではない中、卑弥呼、聖徳太子、元寇、本能寺の変、天皇継承そんなものはいくらでも改ざん出来る。

80年代初頭に糸井重里は「世の中、ぜーんぶコピーなのだ」という名言を吐いた。それは80年代の経済・商業の幕開けを、コピーライターというアコギなプロパガンダを指して言ったものか?と言えば、そうでもなくて、歴史そのものにも言える言葉。

北朝鮮からミサイルが、日本に向かって飛んだ、という事実をニュースで述べるが、どこに落ちたのか・映像も含めて語られることは無かった。
そういう大事な事実は語らず、それ以外のニュースになだれ込むことで、希薄化させるコントロール。
全ては、見えないところでのシナリオに沿って、時には抹消されたり、隠蔽されたり、改ざんされる。そんな歴史を繰り返し行っているのは、昔も今も似たようなものである。

自ら経験してきたこと以外・何も分からないのであれば、それを独自で勉強すると共に、「今」「この瞬間」生きている中、路地や人(仲間)や動植物との出会いのほうが絶対的に重い。もうモノは、食料以外とうの昔に満たされた。モノで何かが回ることはない。
じぶんの目で見た・感じたものの大事さ。

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2 コメント

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ポケット・ミュージック (三ノ輪銀座)
2013-06-23 23:53:35
山下達郎のCDは、これだけ持っています。

全面的に電子楽器を使ったが
出来上がったアルバムを聴かせて
「電子楽器なんて使っていないじゃないか」と言われて
してやったり、と雑誌に書いてありました。

私は、十字路とシャンプーが好きです。

不景気ですが、ナントカ評論家が減って、新興宗教が弱ってきたのはいいことだと思います。
返信する
稀有な存在 (かたちんば→三ノ輪銀座さんへ)
2013-06-26 23:32:35
音楽が産まれるには、時代背景とは無縁ではないですよね。
それは、楽器といった「道具」のみならず、時代の空気・政治的状況etc。
しかし、その人を産み・生きた過程と意思。

基本、芸術家と呼べる優れた人は、時代のいざこざの外側で生きていて欲しいと願います。
かつて、ガンマンの時代のアメリカのバーで「ピアニストだけは撃たないで」という張り紙があったそうですが、身代わりは居ない、という意味と自分は捉えています。

「War Song」を初めて聴いたときには、「ついに」と思った面もありますが、すんなりとじぶんの中に入ってきたのは、説得力というチカラを持っていたからでした。
いっとき流行った、アフリカを巡るクリスマスソングへの違和感はありませんでした。

達郎さんの不可思議なポジションは、当時の状況とも繋がりながらも、今でも色あせない。
ホントに、稀有な存在・頑固な職人だと思います。
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