こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年6月19日 水曜日 細野晴臣 「ホタル(ルミネッセント)」'82

2013-06-19 23:01:13 | 音楽帳
今夜も、梅雨ならではのねっちょりした蒸し暑さ。22時半時点で、室内の温度計は28℃を示している。
そんな中、パンツ1枚にうちわで、ビールを呑む。

朝は暴風が吹き、ゴーヤくんたちが心配でならなかったが、お水を上げた。
昨夜、達郎さんの美しい曲「風の回廊(コリドー)」をYOUTUBEにリンクを貼った時点では、そこに有った曲は、朝起きたら著作権の問題とやらでリンク切れしていた。

【なんとか、キレイな黄色い花が実を結びました。】

6月は「水無月」(みなづき)と呼ばれている。
アジサイに梅雨・・・そういった6月を、なぜそう呼んでいるのか?
は、神道の本を実家に置いてきてしまったので不明だが、言葉が変容して「水無月」となったように書いてあったはず。
しかし、2013年6月は、本当に水無月が続いてしまっている。
そんなことで良い訳はなく、じぶんは「るてるて坊主」で雨乞いをしている日々。

こんなにも蒸し暑いと、ひたすら涼しげな音楽を聴きたくなる。
今夜は、細野さんの定番「フィルハーモニー」を聴いている。
「はらいそ」以降、「YMOをやる中では決してソロアルバムを創らない」と言っていた細野さんが、1982年春にYENレーベルを設立し、その第一弾として5月に「フィルハーモニー」を発表したのは、YMOが実質解散したのを意味していた。

1981年「テクノデリック」という後世に残るアルバムで、世界初(では実質無いのだが)の全面サンプリング導入をしたが、その際に使用していた数秒しかリピートできない松武秀樹さんが持ち込んだ機械ではなく、その後に発売されたイミュレーターⅠにて「フィルハーモニー」は創作された。
それは、横尾忠則さんとインドへの旅を行った際に創作された「コチン・ムーン」に近いニュアンスを感じさせた。

これまた、当時のあらゆる音楽雑誌は「フィルハーモニー」をことごとく批判をしていた。この時代は、新譜にインネンを付けることが、まるで「音楽評論家」なる・中身の無い者たちの必殺技のようなものだった。
今のようなネット社会では無いので、我々が頼ったのは、音楽雑誌・FM雑誌・ミニコミ・仲間内でのレコードの評判や貸し借り・・・そんな世界だった。
聴く者側からのストレートな発信は実に困難であり、というかほぼ不可能であった。
それゆえに、渋谷陽一が仲間たちと「ロッキン・オン」を学生時代から自費・借金をしてまでして、雑誌の立ち上げをしたのであるが。

ブライアン・イーノからの影響、そして、その源流たるフィリップ・グラスなどの現代音楽からの影響を、モロにストレートに反映させたアルバムが「フィルハーモニー」だった。
元々、現代音楽が一つの源流であった教授・こと坂本龍一は、あまり良い感情は抱いていなかったであろうが、個人的には好きな曲がたくさん収まった不思議感いっぱいのアルバムだった。

個人的思い入れを述べれば、これまた尽きないのだが。。。
今夜は、このアルバムのA面3曲目に入った「ホタル」という曲を聴いて涼しくなりましょう。
ちなみに、この曲のタイトルは、当時のTVドラマ『北の国から』における、名子役だった蛍ちゃんから来ている。
ガムランの響きが心地良い。
■細野晴臣 「Liminescent / Hotaru」1982■

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