
2月16日 月曜日
朝、青空。前夜の嵐は過ぎ去っていた。
やたらとすじ雲が出ている。ブルー一色の空にアクセントをつけるストライプ。
2月17日 火曜日
今朝、駅に向かおうと外に出るとはらはらと粉雪が舞い出した。
都内中心部に出ると、粉雪は大きな雪へと変化していた。
そんな雪もすぐにやんだが、雨に変わりぼそぼそと今も降っている。

□ラジカセとコンポ□
当時持っていた音楽再生機は2つ。
1つはモノクロ再生・録音のカジカセ。三ノ輪の家のななめ向かいの電気屋さん。
その店頭ガラス張りから見えた一品。欲しくて欲しくて、お小遣いを貯めて買った初代ラジカセ。
もう1つは、通信販売で買った3万円位したレコードプレイヤーにラジカセがくっ付いた設置型タイプのもの。2つの小さいスピーカーが付いていた。(とてもコンポとは呼べない原始的なものだが、ここではコンポと呼ぶ。)
1979年頃以降多くのラジオ番組は、この後者で録音した。前者は、寝床でラジオやカセットテープを聴いて寝るとき用だった。
□アンテナ□
後者のコンポは、三ノ輪に居た頃は屋外アンテナが無かったので、機器の後ろにコードを接続して、T字型にかべにコードを画びょうで止める簡易アンテナを張る。その日その日の電波状況でFM放送の「シャーッ」「ピューッ」というノイズや音のクリアさが変わるのを、アンテナや設置の配置など数ミリの世界で調整していた。
引っ越し先では、屋根にアンテナを付けてもらった。
そのアンテナから来るコードの先端を、コンポの後ろから繋いだのだが、あんまり電波を拾ったとも思えなかった。
勉強机の後ろ側の窓付近にコンポを設置したものの、電波との格闘を日々していた。
納得できない状態での録音は消してしまっていたが、あれはあれでとっておきたかったもの。しかしカセットテープをふんだんに買えるほどのお金は無かったので、失敗として上から別の録音をしてしまっていた。
□留守録□
高校に上がるまでは、タイマー機器を持っていなかった。留守録をする、深夜放送を録音して後で聴く、という芸当は当時不可能だった。
ふたりの部屋「夢の10分間」は、クロスオーバーイレブン録音の準備をしながら聴いたが、下のような夜中3時の番組は当時聴くことが出来なかった。

「マイ・サウンド・グラフィティ」新譜特集
(FM東京・深夜3:00~:45 DJ:ウィリアム・ジャクソン)
1月11日(月)ジャパン 「錻力の太鼓」(1982年12月5日日本発売)
1月12日(火)アダム&ジ・アンツ 「プリンス・チャーミング」(1982年12月日本発売)
1月13日(水)プリテンダーズ 「プリテンダーズⅡ」(1981年10月25日日本発売)
1月14日(木)エルヴィス・コステロ 「オールモスト・ブルー」」(1981年11月28日日本発売)
1月15日(金)ストレイ・キャッツ 「GONNA BALL」(1981年11月日本発売)
この番組が凄かったのは、ほぼアルバム一枚丸ごと掛けてくれた点。(と言っても当時は聴けない時間だったが)この番組をエアチェックしていた人は多かったと思う。
後にタイマーを買い・聴くようになって分かるのは、深夜は深夜ゆえに余計なノイズが無くてクリアな音であった点。
新譜特集と言っても、すでに1981年11月頃から発表されたものばかりだが、それくらい幅がある方がよい。なにせ、実際、海を渡ってやってくるものだったのだから。

プリテンダーズは、1982年2月に来日することとなる。