80年代初頭、さまざまな新しい息吹としてのニューウェイヴ音楽が産まれる中、当時中高学生のめくる雑誌「ミュージック・マガジン」で、よく書かれていたセリフ・常套句。
「デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージックの安っぽい二番煎じに過ぎない。」
こういった言い回しをしては、新しい音楽に泥を塗って、突き落とし、一蹴する。
当然、当時の自分は良い気分はしなかった。
「それで片付けてもらって結構。」
しかし、当時も今も変わらずに確信を持って言えるのは、「それでも、ボクらを引きつけるに十二分な魅力を持った、新しい音楽である」事実。
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決して歳を取っての「ナツメロ」なんかではない、ということ。
『あの頃は良かったなあ、ガハハ』ときたない酒の呑み方をする、きたないオヤジと一緒にされては困る。
そんな中の1つのバンドに、ヴォーカルのアイヴァ・デイヴィスを中心とした、オーストラリアのユニット「アイスハウス」がある。
1981年・高校受験前の冬の夜、NHK-FM・深夜11時からの「クロスオーバーイレブン」で、エアチェックしながら初めて聴いた曲(バンド名と同じ)「アイスハウス」。
その後、1982年のセカンドアルバムよりの「グレイト・サザン・ランド」「グラム」も、心に響いた曲だった。
夜の静寂を愛し、その気配の中、密着型ヘッドフォンで鳴る微細な音感に、自分の耳は過度な反応を示していた。
彼らは、静寂が何たるか?
我々との夜の密会の意味合いを語らずとも理解し、共有化している、という確信。
そんな夜闇世界の無限宇宙の中に居て、彼らと逢っていた。
それは、シンプルマインズ、トーク・トーク等々・・・含め、多くの同志との出会いの時間だった。
心地良い音だからといって、そこに形式的模倣以上のものは無い、と拙速に断言し続けた、当時の「音楽評論家」さんの耳の悪さとアホさは、無視したい。
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先日、ついに終わりをむかえようとしていることが分かった、パソコン「VAIO」。
とりあえず起動し、ネットも繋がるが、いつパタッと逝くかもしれない。
何か外部データを繋いでも動かなくなるので、データは何も残さず。
そのおかげで、買ったは良いが、どっぷりと聴けずじまいだったCDたちを毎晩聞いている日々。
昨夜、そして、今夜。
と、このアイスハウスの2枚のCDを繰り返し聴いていた。
左はアイスハウスのベスト盤。
右は、1987年に発表された「マン・オブ・カラーズ」。
焼酎の薄いお湯割りをチビチビ呑み、愚にもつかない切り貼りをミニノートにしながら。常習的になった頭痛とともに。
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確かにボウイやロキシーの影響無くして彼らも存在はしなかったのだろうが、それは幸宏しかり、当時不可避なもの。
誰も影響受けずに、音楽なんか創ることには向かわないのだし、パクリじゃあ無いのだから。
アイヴァ・デイヴィスの良い声のイントネーション、切ないオーボエ、打楽器類、シンセサイザーの音色(おんしょく)、メロディアスな旋律は、「二番煎じ」とは異なる。
清らかな滑らかさに酔う夜のひととき。
「グレイト・サザン・ランド」は、アイヴァ・デイヴィスが愛する・生地オーストラリアの大地を歌った曲である。
高橋幸宏とのコラボレーションしかり、彼の中にある、穏やかだけれども燃えるような内なる想いが、歌う声と音を通して伝わってくる。
■アイスハウス 「グレイト・サザン・ランド」(偉大なる南の大地)1982■
【スクラップノート 制作途中】