こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年4月16日 水曜日 くらしの風景 ~月光の夜~

2014-04-16 22:39:22 | 雑記帳

タマシイはア然としたまま、目の前をさまざまモノが、高速で通り過ぎていく。
時間も、季節も。
その間合いを計測しながら、日々は容易にたやすく過ぎてしまう。
その哀しみ。

ブログなんざ誰でも、リミックス構成できる。。。などと、すくったはずの砂が指の間から落ちていく感覚を覚える。
しかし、それで、更新機会が少なくなった訳ではない。

目の前を高速で通り過ぎる事象は、いっときのたぶらかしに過ぎない、と思いつつ、場末の温泉場でピンポンのような「ついったー」的即時反応はよろしくない、という想いは、結果的に沈黙せざるを得ないところに向かう。

***

昨日の深夜、まんまるのお月様が浮かぶ中、びっこを引きずり帰る。
そんな折、長い付き合いのパソコン「マイVAIOちゃん」を付けると、起動しなくなった。
さまざまな手をほどこし、やっと起動を取り戻した。

しばらくおろそかにしていたソフトなどのアップデートをした。
しかしどうやら、これが引き金になってしまい、外付けハードディスクが反応しなくなった。
やむなく仕事用アイパッドで解決策を調べるが、結論に至らず。

もともとが深夜帰った中の作業。
闇の中に消えて視えなくなったデータが、まるで空中に解けてしまった感覚に呆然とする。

自分の備えの不足に若干嘆きながら、写真家・荒木経惟(のぶよし)さんが言う言葉を思い出した。
「デジタル写真なんてえのは、デリートキー押したら瞬時に消せるのが、イイとこなんじゃない?それ以上の価値は無いね。」

敬意を抱く藤原新也さんも森山大道さんも、時代の変遷の中で、デジカメを受け入れ、画像加工やトリミングなども作品表現の一部として取り入れてきた。
そんな中でも、荒木さんはフィルム撮影とプリントにこだわり続けてきた。
荒木さんの言葉は皮肉ではなく、もっとカラッとしたもので、悪意は一切無いのだと思う。
だが、その言葉が妙にリアリティを持った夜だった。

***

パソコンを夜に閉じたのは、いつ以来か?
今まで、CDからパソコンにmp3で落として聴いていた所から、CDプレイヤーで音楽を聴く。
周囲に積み上げられた本をめくり、文字の連なりをじいっと眺めながら、脳をめぐらせる。

【細野さん 「メディスン・コンピレーション」】
ラジオを付ければ、一番電波の強く・聴こえやすいNHKの「ラジオ深夜便」を枕元で聴く。

疲れ過ぎているせいか、明かりは消しても眠りに堕ちず。
明け方4時を過ぎた頃でやっと記憶が途切れた。
コメント
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