こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年4月24日 木曜日 音楽風景 ~あなたがここにいてほしい~

2014-04-24 22:46:51 | 音楽帳

二十・三十代の必死な頃にお世話になった先達に旅立たれる。
それに出会って、戸惑うことが多い近時。
今日は、ずいぶんと仕事上お世話になった方の通夜だった。しばらくお逢いする機会を失った中に、突然舞い込んだ。
まだ、59歳だった。5月の還暦まであと十数日という若さ。
落胆した。参り、打ちのめされた。

脳裡に、幼少の頃の、独り寝の部屋のシーンが浮かんだ。
ベッドの暗がりで眠れずに天を見上げる。窓のすりガラスには、外に育った植木の枝が風に揺らいでキーキー言う音、それに街灯のほの明かり。
近くて遠い南千住の引き込み線を動く列車の音が、時折こだまする。

泣いていた記憶。
自分は、死に向かって生きているんだな、というペシミスティックな心境は、この頃から自分の中に宿っていた。
また、自分と好きな母親の年齢差を憂い、先に旅立たれてしまうのか、という絶望が、夜の暗がりの脳でメリーゴーランド(走馬灯)のようなスパイラルを描いていた。

***

先般、どうしても読みたい本があると言った。
それを神保町の三省堂本店まで求めに行ったところ、絶版らしく手に入れられなかったものの、それが無かったら、あの日、城戸真亜子さんに逢って話すことなどは出来なかった。
偶然の成すワザの不思議な因縁を感じる。

59歳の兄的存在の方が亡くなったのは、この日曜日が月曜日に変わったあたりの午前0時だったという。
自分がそれを知るには、それよりも後のことであった。

どうしても読みたい本は、やむなくアマゾンで購入した。
昨夜着いて、まだ読み始めたところだが、その本は「この世とあの世の風通し」というタイトル。
個人の周囲に起きる事象というのは、必ずその人の持つ引力、因果律によって渦を巻いている。
そう、今では想う。
自分がフロイトではなく・弟子であったユングのほうに興味を抱いたことだったり、ハタチでやっと出会った三島由紀夫の「花ざかりの森」「仮面の告白」そして(個人的な想いとしての)「太陽と鉄」だったり。

今におけるインターネットとは、人の悪の巣窟となった感があるが、元々は、本当に知り得ない事柄を知ることが出来る契機だった。
その場で、先日初めて知った精神科医の加藤清さんという存在。

加藤さんを語る人のブログの文才も手伝って、どうしても読まねばならないと思っていた。
そのタイトルが「この世とあの世の風通し」だったことには、単なる偶然の一致ではない、ココロの水面下のつながりを感じる。
河合隼雄さんの存在は、十代の終末から二度目の人生までの発狂時点で、CUEを求めてたどり着けた出会いだったが、河合さんと共に極めて重要な人としての加藤清さんを知ることは、今まで無かった。

まだ読み始めた浅いページだが、下記の言葉を発見した。
「時間は必ずしも、過去から現在に流れるだけでなく、未来から現在に流れてくる時間もある。
そういう時間の動き方を感じています。
結局、生まれたときの記憶でありながら、すでにその中に胚芽、芽としての未来からの時間を同時的に受け取っている。。。」

昨日、仕事をしながら、窓から下を見ると陽光の中、白いハナミズキの花が揺れている午後。
掛けっぱなしのインターFMから音楽が、何気なく流れる。

その流れの中で、とある曲が流れた。
久しぶりに聴く、リサ・ローブの「ステイ」。
空気の中に溶けていくこの曲を愛しながら、いつも、この曲を聴くのは、唐突にラジオから流れ出した瞬間のシーンとの一体。
CDショップでたびたび彼女のCDを見つめながら、買うことなく来てしまった。
触れてしまうと壊れてしまうから、語らずにいたかった。

■リサ・ローブ 「ステイ」1994■
この曲が一番似合うのは、日々を過ごしているさなか、何気なくFMから聴こえてくるシーンと思う。
コメント (2)
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