
ゴンさんから触発されて想った。
イーノが試みようとした、偶発性との出会い。
それは、大竹伸朗さんが「既にそこにあるもの」を発見したことに繋がるものでもある。
イーノが病床で発見した体験から実践へと移ろっていった「自分を中に入れないで外側から眺める存在で居ながら、音楽を創作すること」。
その装置やアイデアを凝らしながら創られた作品たち。
それは、後に、シンセや機材の発展、パソコンやITの進化によって、可能な条件は揃ってしまった。
デジタルが勝手に動くことで、勝手に創られてしまう音楽。
しかし、それはむしろ、イーノが言うように、その道具をどう使うか・作用させるか、という意識をより一層あらわにさせたのかもしれません。
80年代の終わりに萌芽したハウス・アンビエントの流れが生じながらも、90年代の多くのテクノが、機械の機能そのままで作られていたこと。
それが、多くの音に魅力が無い最大要因。
大騒ぎをするに足りる現象であった割には、聴くに値するものに出会えなかった時代。
1991年から放り出された大阪で「アンビエントハウス(コンピレーション)」なるCDを借りたものの、興味津々だった割に、聴いてがっかりだった記憶。
踊れる音楽・電子音さえ鳴り続けていれば良かった時代。
それがこなれて、魂の潤みまでを表現したエレクトロニカにたどり着くには、まだまだ時間を必要としていた状況だったのかもしれません。
■Global Communication 「12:18」1997■

ヘルニアによる眼痛もあるが、小さい文字が見えなくなってきた。
最近は、お花の観察も含めて、虫眼鏡が活躍している日常。



2007年の西尾久手帳を、朝開く。

携帯を自ら手に取って、電話出来るまでになったお袋。
退屈からのモーニングコールを、やむを得ず受けるが、土曜日には必要は無い。
病床で居ることから、曜日感覚が無くなってしまったお袋。



何とか休みに疲れを挽回したいが、病人には休みや平日といった境目は無い。