心身ともに疲れは蓄積していたが、不思議なもので、昨日は目覚めると、さほどだるさもきキツさもない。
とするならば、普段毎朝のどーんと落ちてくるだるさと抑鬱感は、精神作用が主のものなのだろう。
昨年の今頃は、必死の形相で、潰れかけのヒビ割れたビルの中で、余震に恐れながらも、パソコンに向かい、徹夜をし・・、そんな具合だった。
今年は、非常に珍しくカレンダー通りに休める可能性がある。
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ふだん仕事をしていると、様々なくだらないメールマガジンがピュンピュン飛んでくる。
特にこの時期は、その数たるやすさまじい。
ほとんどは「GWの旅はまだ間に合う!」といった類の無縁のもの。
全削除。
なぜ休みだと、日本人は海外に行くのか?
自分には、どうも合点がいかない。理解が及ばない。
自分は、好きな東京の隙間を探して、友人とのったりのったり・ジグザク歩行で、ラビラントに迷い込み、写真を撮り歩く。
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テレビが、デーンと生活・暮らしの中心で、偉そうにふんぞり返った態度であった空間を離れて、相当な年月が経つ。
元々見る時間など無いのだが、地上波で見るのは夜のニュース、それに特定のドキュメント番組などのみ。
素晴らしかった朝のドラマ「カーネーション」を毎朝見ていたのは、それ位に異例の事態だった。
最近は、夜遅くに帰ると、むしろ疲弊社会を離れるため、BS・CS。
世界の人々が、その土地で自然に暮らすさまに、ココロを癒される。
何気のないさまが、とおとい。
地上波テレビが、生活の中心に鎮座していた暮らしにおさらばして、楽になった。
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今の日本人が、何でも略語で語る「GW」なるものの過ごし方。
自分にとっては、単なる休みの意識にしか無い中、無意識に身に付いてしまったのは、以下のようなことか?
・テレビ、社会・経済関連以外のニュースとの絶縁。
不愉快を回避するためにも。
・人ゴミならず、ゴミのような人、と無縁であるために、人(よそ者)が集まるであろう場所には行かない。
歩き旅の最中に、もしその手合いの人と交錯しても、目に見えない人として、意識の外に置く。
・人が居ない方向、居ない方向へと歩を進める。
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昨日、ハブ噛み師匠と北千住から千住大橋、三ノ輪、東日暮里、そして日暮里から谷中に抜けたあたりで、不穏な空気とヨソから来た人の皮膚感覚をキャッチ。
森まゆみの不幸は、谷中の町並みを守る、と言いながら、結果、その活動が「谷根千」という略語で語られ、雑誌片手に土足でやってくる人の増加に結びついてしまった点。
ネコさんは賢いから、それまでゆったり街と共存していたが、「うるさいなあ」と感じれば、静かな過ごしやすい場所へと移動する。
「ああ、また面倒なGWとやらが来るぞ」とネコさんたちは話し合い、とっととそういう人の居ない時空に隠れる。
全東京でずにーらんど化計画は、着々と進み、東京の街がニセモノに転向していく様が見て取れる。
自分は、ネコと同様に、それを察知しつつ、そうではない、街の隙間に滑り込む。
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1984か1985年あたりに、FMラジオ番組「FMトランスミッション/バリケード」(FM東京・土曜深夜3時~)で、初めてチャイナクライシスの「レッド・セイルズ」に出会った。
手元には、「スクリーム・ダウン・アット・ミー」の12インチ、セカンドLP「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」、「ハンナ・ハンナ」の7インチなどがあった。
しかし、イネビタブルレコードからのデビューシングル「アフリカン&ホワイト」は持っていなかった。
そのシングルのB面に「レッド・セイルズ」が入っていることを知ったのは、このカセット録音からも後のこと。
サンセットが赤やオレンジ色に染めなす海の風景の中を、帆を張って、ゆっくりと風をはらんで曳航していくヨットに乗る映像が、この曲には浮かぶ。
愛する1曲。
■China Crisis 「Red Sails」('82年6月15日録音)■