こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Rain Tree Crow  「Blackwater」'91

2010-10-07 04:24:38 | 音楽帳


1991年に突如発売された「レイン・トゥリー・クロウ」はいわば裏JAPANのアルバムとして、メンバーは同じだが、奏でる音楽の内容・質は大幅に異なっていた。

ファンは「JAPANの再結成」と騒いだが、そういうキャーキャーする騒ぎとは無縁の実験的なアルバムであり、確かに、これを聴くと「JAPAN」と名乗るには1982年の解散以降の時間的距離と共に、4人の音楽へ向かう姿勢は大幅に異なり、JAPANの領域を超え、別の名称が必要ではあったのだ。



個人的にも、起承転結型音楽への拒否反応はそのときに始まったものではなく、中学生の頃から、なぜ、イントロ~サビ~展開~エンディングなんだとポップスの領域を逸脱したドイツのジャーマンロックやヨーロッパの音楽、アンビエントを聴いていたのもあるが、この「レイン・トゥリー・クロウ」は、JAPANを期待して買った人にはお生憎様。
がっかりする結果となっただろうが、わたしにとっては、こういった夜のしじまに聴くには絶好のアブストラクトな絵画のようなアルバムでありながらも、4人の強い意志が感じ取れる。好盤。



そんな中、珍しく起承転結型の曲として「ブラック・ウォーター」はあるが、特別突出した出来の良い曲では無いが、必ずデヴィッド・シルヴィアンのコンサートにはこの曲がかかる。

逆に言えば、それ以外の楽曲の雰囲気を、このアルバムのまま、他のソロの曲と並べて、持ち込んで演奏するには難易度が高いのかもしれないが。

***

最近、弾き語りをする場面の多くなったデヴィッド・シルヴィアンだが、彼の真骨頂はそこには無いし、例え100年に1人の美形かつ全ての人間を黙らせる説得力を持った声の音質のよさ・歌の上手さはわかるが、彼の音楽というのは、どうしても、それだけだと1本調子になりがちであるから、デコレーションが必要になる。

「ブレミッシュ」のツアーの素晴らしさもそこにあった。

わたし個人としては、アンビエントな楽曲を中心とした、「訳が解からないけれども良い」という「暗さの権化」としての、異端な才能を全開させたライヴを期待しているのだが。。。。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする