こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Tears For Fears 「Pale Shelter」'83

2010-10-05 02:34:31 | 音楽帳


自分自身を演じているという感覚は、自分も慣れ親しんだ感覚だが、幼少の頃は、それがショックで、精神病の一種ではないか?と思っていた。

後に、太宰治・三島由紀夫が同じ感覚を抱いていることも知ったし、渋谷陽一さんの文筆にもそういうくだりを見つけて、自分だけではないのだという安堵を持つ事は出来たが、ではその解決策があるのか?と言えば・・・「無い」。
それでも生き続けねばならない運命に、暗黒を感じた。

その後、色んな仲間を知った。

病気で言えば、「離人症」「人格性乖離障害」というものはその後知ったが・・・・。

特に、70年代後半~80年代前半への「テクノ革命」に伴って、自分を人間では無く「エイリアン」「マシン」などと見なす方法論に拠って、自分の有様を、自分として生きていく方法を教えてくれた。

●デヴィッド・ボウイ・・・・・・「地球に落ちてきたエイリアン」と名乗った。

●ゲイリー・ニューマン・・・・・自らをエイリアンと名乗り、周囲との違和を埋めようとした。「カーズ」という曲では、車の中が僕の世界と言った。

●クラフトワーク・・・・・・・・「ROBOTS」という曲で「WeAreTheRobots」と名乗り、自分らのダミー人形にも演奏をさせていた。

●ジョン・フォックス・・・・・・「I WantToBe Machine」と自分をマシンの一部として捉えた。

そんな自分が不安定な「得たいの知れない生き物」を周囲から「不気味くん(中学時代の僕のあだ名である)」と呼ばれながら、僕は、15歳[1981年7月 中3の夏]に三ノ輪から草加に引越しすることに拠り、手に入れた自分の部屋が、自分の「シェルター」だと思い、そのシェルター創りに、自分を見出そうとし始めた。

そこには、自分の信ずる事が出来る本・音楽・オーディオ・絵を持ち込み、自分の第2の人生をスタートさせた。

***

エイリアンには、エイリアンが外圧に責められない戻れるシェルターが必要だったのだ。

ソフト・セル(マーク・アーモンド)が「僕のベッド」を自分だけの空間にしようとし、ブライアン・イーノは、自らのアンビエント作品を流すマンハッタンの空間を、外のうんざりするような世界からの戻れる安息の地としていた。

暗い時期のザ・キュアーしかり、ジャパンを捨てたデヴィッド・シルヴィアンしかり、デヴィッドは特に、もううるさいロックの世界への興味や接触を断絶した。

そんなミュージシャンの中で、1982年にティアーズ・フォー・フィアーズの「MadWorld(狂った世界)」を聴いた。

***

周囲は全部、狂っている、と言いながら、佇む部屋が彼らの安息のシェルターだった。
2人は、ともに両親が離婚をし、そういう心の傷を抱えたまま、その痛み「ペイン」を、やっと語りだしたのが1枚目のアルバム「ハーティング(傷付く事)」。

この中に納められている「ペイル・シェルター(蒼白い避難所)」とは、傷付きながらも、それでも生きていかなければならない呆然とした中、自分らに与えられたのは「ペイル・シェルター(蒼白い避難所)」なんだということを吐露している。

YouDon’tGiveMeLove
YouGiveMePaleShelter

YouDon’tGiveMeLove
YouGiveMeColdHand



私は、15歳から約30年をかけて「僕の部屋」から「僕だけの家」というシェルターを得るまでに来たが、なかなか外圧・接触せねば生きていけない社会との軋轢を、未だにどのような形でうまく切り抜けて生きるかには迷っている。

コメント (2)
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