自分にとっての70年代末から始まった音楽の旅は、進歩主義的ニュー・ウェイヴの融解と自分のノイローゼの果ての自殺未遂と共に、1987年に一度終わった。
自分は、偶然受かった大学で、ノイローゼの周囲が迫り来る幻覚と闘いながら、分裂病に使う弛緩剤と大量の酒を飲み・ラリりながら、それ以外何もせず(何も出来ず)「かたちんば」びっこ時間が「時の過ぎ行くままに」送っていた。
***
1987年から、音楽が幻覚を強める事から、音楽シーンも追いかける事をあきらめ、音自体を聴く事さえ避けながら過ごしていた。。。
カセット・テープを夜中に、草加の闇の田舎の道を路頭に迷いながら、綾瀬川付近まで行って、捨てに行った事を覚えている。
そんな中、偶然、1988年10月、世界の、そして日本の分水嶺となった1989年前夜のこと。
夜中に、お茶の間のNHKテレビからは、昭和天皇の日々の体温・血圧等の状況が、日本地図を背景にしながら流れていた。
そんなときに、たまたま、チャンネルを変えた際に、かかっていた、かつて愛していたコクトー・ツインズの「ブルー・ベル・ノール」。

様々な音楽の方法論が行き詰まりを起こし、進歩しない『終わりなき日常』に向かう中、コクトー・ツインズは、特に進化した方法論を提示していた訳では無いが<逆にむしろ時間が停止してしまったのように、余りにコクトー・ツインズ然(良い意味で)とした状態だったが>、この曲の妖しさに惹かれてしまった。
電気を消したお茶の間のテレビから、その曲が流れていたシーンを、今でも覚えている。
今、思えば、昭和の終わりから平成に渡っていく、不思議な何もない最果てのシーンのように脳裏には収まっている。
実際に、このCDを購入したのは、自分が仕事を出来るまでになって以降の事だが、このアルバムの1曲目の妖しい美しさは、昭和の終わりから平成に渡っていく、不思議な何もない最果てのシーンと未だに重なって、脳にインプットされたままである。
自分は、偶然受かった大学で、ノイローゼの周囲が迫り来る幻覚と闘いながら、分裂病に使う弛緩剤と大量の酒を飲み・ラリりながら、それ以外何もせず(何も出来ず)「かたちんば」びっこ時間が「時の過ぎ行くままに」送っていた。
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1987年から、音楽が幻覚を強める事から、音楽シーンも追いかける事をあきらめ、音自体を聴く事さえ避けながら過ごしていた。。。
カセット・テープを夜中に、草加の闇の田舎の道を路頭に迷いながら、綾瀬川付近まで行って、捨てに行った事を覚えている。
そんな中、偶然、1988年10月、世界の、そして日本の分水嶺となった1989年前夜のこと。
夜中に、お茶の間のNHKテレビからは、昭和天皇の日々の体温・血圧等の状況が、日本地図を背景にしながら流れていた。
そんなときに、たまたま、チャンネルを変えた際に、かかっていた、かつて愛していたコクトー・ツインズの「ブルー・ベル・ノール」。

様々な音楽の方法論が行き詰まりを起こし、進歩しない『終わりなき日常』に向かう中、コクトー・ツインズは、特に進化した方法論を提示していた訳では無いが<逆にむしろ時間が停止してしまったのように、余りにコクトー・ツインズ然(良い意味で)とした状態だったが>、この曲の妖しさに惹かれてしまった。
電気を消したお茶の間のテレビから、その曲が流れていたシーンを、今でも覚えている。
今、思えば、昭和の終わりから平成に渡っていく、不思議な何もない最果てのシーンのように脳裏には収まっている。
実際に、このCDを購入したのは、自分が仕事を出来るまでになって以降の事だが、このアルバムの1曲目の妖しい美しさは、昭和の終わりから平成に渡っていく、不思議な何もない最果てのシーンと未だに重なって、脳にインプットされたままである。