
スクリティ・ポリティというとすぐ「キューピッド&サイケ’85」というアルバムに直結してしまうヤカラが多いと思う。
確かに、あのアルバムは、素晴らしいのであるが、時代の流れと共に一緒に過ごしてきた自分には、パンクの影響を受けてスタートした初期の頃の12インチや、1枚目のアルバム「ソングス・トゥ・リメンバー」を忘れて欲しくは無いなあというのが本音である。
元々、アートスクール出身のグリーンが始めたユニット「スクリティ・ポリティ」。
最近、やっと「Early」という初期の曲を収録したCDが発売されたものだが。
寡作であったが、ジャケットのアートワークも曲も、アートスクール出身らしく、すごくアイデアに富んでいて、驚かされる事も多かった名曲の数々を創り出した「スクリティ・ポリティ」は、ほんとに80年代において、偉大な存在だったと思う。
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個人的には、初期のパンクの影響強い「オペック・イマック」という曲が好きである。
原始的なドラムというよりタイコに近い音、ギターは練習しているような音で失敗しているさまをそのまま、暗黒的サウンドの中、暗くつぶやくようなグリーンの声・・・・。
また、その後、「ソングス・トゥ・リメンバー」にも収録された12インチ「スウィーテスト・ガール/ライオンズ・アフター・スランバー」、そして「フェイスレス」がとてもとても好きです。
これらの曲を知り、聴いたきっかけは、1981年4月に始まった教授の「サウンドストリート」であり、1982年の半ばに始まった、ピーター・バラカンさんの「スタジオテクノポリス27」であった。
そのカセット・テープは、約30年を経ているが、未だに愛蔵品として保存してある。
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俯瞰的に見ると、「キューピッド&サイケ’85」は確かに素晴らしく、グリーンの才能全開の作品なのだが、その完璧すぎるサウンドは、ややもすると商業的な音楽と取られかねない「危うさ」を同時にも抱えている。
そういう意味で、自分には、初期のアイデアあふれる「オペック・イマック」ならびに、12インチの数々の方を愛してしまう。
もともと寡作なグリーンではあるが「キューピッド&サイケ’85」以降のアルバムも出るたびに、全部聴いてきたが、1985年以降、今までを超える作品を創り出せないでいる。
坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏という3人の天才は、雲の上の人としても、「才能やひらめきというのは、枯渇するものなのだ」と、グリーンの創り出す音楽と共に生きてきた自分は思ってしまうのである。
音楽家は、死を迎えるまで、常にきらめき続ける事が如何に困難であるかを思ったりする。