こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏に向かう日々と100曲:フィールド・ワーク

2024-06-30 18:50:00 | 音楽帳

29(土)風邪的症状はのらりくらりとまだじぶんのカラダにまつわりついて、去ってくれない。“少し体温下がったぞ”と喜び動き出すと、すぐ熱が37℃台に戻って来る。アタマをゴチンとする頭痛やタンの絡みとセキは相変わらず。

しかし、午後には外も晴れ出した。

室内に居て休んでいるだけでは窒息するし、風邪的症状のやりたい放題に心身を任せていたら、(じぶんのなかでしか分からない妄想感覚だが)"まるで主体性が欠如・悪魔に身を売り渡した社畜同然じゃないか"、という思いになり、フラフラになりながら無理してでもチャリ小旅に出た。手足のリハビリ・"慣らし"にはチャリがとても適しているようだ。

フラフラとコンビニに寄り、用事を済ませて外に出ると、ひたいに汗。ぜーぜー肩で息をする中、絶叫車が近付いてきた。

「・・・ゆりこ本人が乗って、みなさんの住むまちをみずから回っています」と選挙カーは言う。

イカサマ・詐欺・カネで塗りたくられたペルソナ笑顔の女は、下町になんか関心はないのだ。それでも、おまえらの住むまちを巡ってやってんだ、というらしい。本当は中指たててやりたかったが、そんなエネルギーもなくうつむいて汗を拭いて終わってしまった。。。いったい誰がこんな者を長年都知事に居座らせて、またさらに続けさせるんだろうか・・・。理解が出来ない。こんな奴らには屈しない、とじぶんの中だけでも決意を新たにする。

症状は本日30(日)も継続中。土曜と同じく外に少し出たが、今度はキリ雨が降り出した。

夕方、少しオーディオで音楽を聴く。こないだ取り出した1986年のカセットテープにも収まっている「フィールド・ワーク」が聴きたくて、ひさびさにレコードをターンテーブルに乗せた。当時はレコードからカセットテープに落として一日何回も聴いていた。

ひたすらココロに雨が降り続いていた浪人時代。この曲もじぶんを奮起させるための1曲だった。朝死んだような寝起きから、じぶんの尻にムチを打つように「プシューッッッッ・・・ズバババババ・・・」と大音量で聴いて鳥肌を立たせていた。

1984年秋発表の「音楽図鑑」という膨大に広がる世界をじぶんの中でどう処理すればわからなかった反省から、その後教授の作品は発売日当日手に入れることを自分に義務付けした時期だった。(「フィールド・ワーク」1985年2月21日発売だというので、その日レコードを受け取ったはず。)

そして、周りの意見がつきまとわないうちに、あるいは鮮度の良いうちに、と帰ってすぐレコード盤を掛け、じぶんの耳ですぐ聴くようにした。教授当人も「音楽図鑑」のように長期足出まといにならないように、単発でシングル盤をいくつも出し続けた。

最初は(当時信頼を寄せていた)立花ハジメと創っていた骨格に、ウタ入れをするためにトーマス・ドルビーに歌詞とヴォーカルを依頼。そんなプロセスの中で出来た本曲はドルビーの声が内なるエモーショナルを刺激し、聴いている方に高揚感・解放感をもたらす。東京、ロンドン2つのミックスが入っているが、個人的にはやはりドルビーのロンドンミックスが、ダメになりそうな精神をドライヴさせてくれる支えだった。そんなわたし。39年後の今聴いても何一つ変わりないエネルギーを感じ、改めてシビレてしまった。

■坂本龍一フューチャリング トーマス・ドルビー「フィールド・ワーク」1985■

プロデューサー:坂本龍一

アレンジメント:坂本龍一&立花ハジメ

ミックス:トーマス・ドルビー(←ロンドン・ヴァージョン)

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夏に向かう日々と100曲:ポール・ハードキャッスル「レインフォレスト」1985

2024-06-28 15:00:00 | 音楽帳

3週間くらい気管がおかしいので総合病院に行った前回25(火)夜。

深夜流れるテレビから都知事選・政見放送で白塗りの河合ゆうすけが高笑いする隣で、頭痛がし出した。寝る前体温を測ると37.1℃・微熱。寝てもまたヒューヒュー言って断続的にセキをして・・・翌朝起きると38.1℃へ。さらに熱は38℃台を上がっていく。

・・・(熱の原因不明、必死に因果関係を知ろうとするが不明。)

仕方なく午後からの仕事を休んで、再度通院。今度は遠方へ行くエネルギーはなくて、すぐ行ける近くへ。しかし、アタマはガンガン、手足腰は関節痛。外に出ると梅雨時の熱風猛暑。気温は30℃程度でも湿度の高さからくらくらする。ふらふらしながら冷汗をかいて医者へ。

 

悩んだ末コロナとインフル検査をしたが、(運よく)どちらでもなく、それ以外の原因不明の発熱。「コロナでもインフルでもそれ以外でも、結局は対処療法しかないんだよー」と(情けないでしょ)と言いたいような顔つきで医者が言う。クスリを貰って帰ってきた。

思えば昨年6月には初めてのコロナ感染。世間では「6月病」なんて言葉もきくが、梅雨明け後の猛暑とは別で、梅雨さなかの時期特有のつらさがある。

帰ると何も食べず、水分のみで横になり、ゆらぐ風景と意識の中どっぷり寝入った。

  (上はねむりネコ・ちる坊)

水曜・本日木曜とカラダを休めると、何とか体温も落ち、回復基調に入った。

おおごとにならずでよかった。。。さすがに活発に動けるわけではないので、今日は草花への水やり、そして溜まった録画の整理をして過ごした。

***

と、ここまで書いたのは木曜。

そして翌日28(金)の本日。

これで終わったかと思いきや、熱がぶり返し、今日は37.0℃丁度のあたりをうろうろ。タンの絡み、頭痛も去らないので、用心とって本日も仕事を休みとした。外はひたすら“激しい雨“が降る。雨は夜半まで止まないらしい。

浪人の頃、だいじに聴いていたカセットテープを引っ張り出した。カセットの背中には「1986年の自画像」なんてキザなタイトルがついている。ひたすら毎日苦しかったときに身を任せ、すがった当時好きだった曲が収まっている。そんな中の1曲が「レインフォレスト」。

この曲はレコード盤ではもっていないけど、このカセットテープで聴きまくった。ヒットした「19(ナインティーン)」よりも好きだな。

■■Paul Hardcastle「Rainforest」1985■

やたらカチャカチャ言うシンセやリズムボックスが心地良く体内に響く・・・。やはり自分は音楽より以前に、機械的な音が好きなんだな、と再認識。LP「マイクロチップに愛をこめて」というタイトルも良いなあ。

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夏に向かう日々と100曲:中島みゆき「あした天気になれ」1981

2024-06-25 22:50:00 | 音楽帳

20(木)に「もう既に(梅雨に)入っているのではないか?」と書いた途端、翌日21(金)には梅雨入り。。。

【平年より14日、昨年より13日遅く、1951年の統計開始以降、6月22日に梅雨入りした1967年と2007年に次ぎ3番目に遅い。

記録的に遅い梅雨入り。】

***

リハビリに向かうため支度していたら、出るまぎわに限って(←やはり)ちる坊がうんこをする。

その片付けをしていたら、ぎりぎりになってしまう。

 

急いで外に出てみると、昨日同様えたいの知れないモワモワのサウナ状態かつ30°越え、、これが外の仕事なら確実に熱中症で倒れる陽気、、。

歩く足がなぜか?すごい遅く感じられる。

いくら歩いても前に進まない感覚。

カラダ全体が水分滞り、湿気含んでるようでひどくおもたい、、。

 

どうやら、寝ている間の脱水ですこし平衡感覚がおかしい。

これは熱中症の前兆なので、注意する。

 

最後は競歩みたいに必死で歩いて、ギリギリにリハビリに間に合ったが、施術中にノドがヒューヒュー・・・鼻がむずむずしてくしゃみが止まらず・・・。

この3週間くらい、横になるとノドのかゆみとタンが絡み、ぜんそくのように気管が苦しくなってセキでタン転がしをする。

これを繰り返し、ろくに寝ないまま朝が来る・・・。

そろそろごまかしが利かなくなってきたので、ほかの用事を延期して遠路はるばる青山の病院に行く。

混んでいて、一日仕事になってしまう。日没とともにだるいカラダひきづって帰る。

 

帰った夜、シングル盤のかたまりから適当に拾い上げて、ターンテーブルにレコードを乗せる。プチプチ言わせてレコードを聴く。

久々に中島みゆきの「あした天気になれ」を聴く。教授の「サウンドストリート」で藤真利子がゲストにきた回(1981年)で掛かった一曲。中学三年生・15歳の頃、そのカセットテープでよく聴いたもの。。。

「・・あした孤独になあれ・・」というヤケクソで自虐的な歌詞の部分、けっこう好きなんだ。

 

■中島みゆき「あした天気になれ」1981■

ちる地蔵

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夏に向かう日々と100曲:Ásgeir「It Will Rain」2014

2024-06-20 12:00:00 | 音楽帳

長らく更新できぬまま日々が過ぎた。

脳内がとっちらかって、まとまらない。

脳内にたくさんのメダカや金魚が泳いでいる中、すくってみようとするのだけど、四方八方にランダムに泳ぐ彼らを一匹も捉えられない。そんな感じ。

そこでふんずまり、日々の行動はストップしてしまう。このブログに限らず日常のなにごとも、である。

しかし、それでは何もすすまないので、訓練かねて、脳内に泳いだり消えたりする雑念のしっぽを捉えて、キーボードをたたいて文字にしてみる。あるいは、時折シャッターを切った写真を選んでみる。

ああしようこうしようという断片に終わっても、それが今なのだから仕方がない。

***

梅雨入りが大幅に遅れている。もう既に入っているのではないか?と思うのだが。。。

既に30℃を超える日もあり、高い湿気と相まった熱中症的な日も出てきた。

激しい雨が一日やまなかった18日火曜。

久々にアウスゲイルの好きな曲を移動中に繰り返し聴いた。

ラジオから流れてきた美しい声と曲が好きになったのは2014年。あっという間に、もう10年が経つんだな。

毎日毎日なにごともなく、インターFMを聴きながら働いていた日々ももうはるか遠くのこと。。。

 

まるでロバート・ワイアットのように高く美しい声。

アウスゲイルの楽曲はヒットした「キング&クロス」に始まり、続いてインターFMが繰り返し流してくれた「イット・ウィル・レイン」へ。どちらも好きな曲で雨の中聴いているとしみじみする。共に時代とは関係ない名曲、死ぬまで毎年こんな季節になると聴くんだろう。

■Ásgeir「It Will Rain」2014■

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航海日誌:「ワールドロックナウ」終了

2024-04-09 22:00:00 | 音楽帳

今回も単なる個人的備忘録。

FM番組「ワールドロックナウ」が終わるいきさつを知ったのは3月末の最終回だった。たまには聴いてみようとラジオ番組表を見ると「DJ: 伊藤政則」と書いてあり躊躇した。なにかの間違えか?もしくは、番組名は一緒だけどMCが変わったのだろうか?と次に思った。でも、まさかこの番組は渋谷さんありきで成立していた番組だから、それは無いよな。。。

しばらく不可思議な状況に戸惑っていたが、調べて全容を把握したところ・・・昨年11月渋谷さんが急遽入院となり、ピンチヒッターとして政則さんがDJとして起用されたらしい。その後スタッフ側と渋谷さん側が協議の末、27年続いた番組「ワールドロックナウ」を3月末もって終了させることに決定したという。同時に渋谷さんはロッキンオングループの社長を退任し、山崎氏に席を譲ることとなった。

渋谷さんらしいと思ったのは、一体どんな病状かなど一切の情報はどこからも漏れていないことだった。経営者だから社員・関係者に不要な心配をさせまいという意識もあるだろうが、無駄な情報をさらしたくはないのだろう。

***

私が実際に渋谷さんのラジオを初めて聴いたのは、1981年の「サウンドストリート」だった。当時中学生だった自分は1980年初めにはYMOの洗礼を受けており、渋谷さんの居る世界とは既に距離があった。

「ロックでなければ何でもいい」とジョン・ライドンが放った言葉が代表するように、80年代初め「ロック」はチープで陳腐、形骸化した音楽を示す言葉になっていた。そんな時代に「ロック」という言葉を多用し、観念的に音楽を語る雑誌(=ロッキンオン)という先入観があり、渋谷さんにも良い印象は持っていなかった。全く同じ言葉を教授(坂本龍一)が番組(サウンドストリート)内でぼそぼそと話していたのをぼんやり覚えている。「・・・自分は先入観を持っていたんだけど、(渋谷さんに)会ってみたら意外とそうでもなくて、ともだちになれそうです・・・」。(この1981年当時はまさか数十年後に「NoNukes/非核」コンサートを一緒にやることになるとは思いもしなかった。)

そもそも自分がロッキンオンや渋谷さんの存在を知ったのは、年の離れた兄弟に拠るものだった。その男が長く伸ばした髪、古臭い風体やプログレ・ハードロック崇拝、それ以上に精神異常で偏屈、理解しがたかった彼/上の世代への吐き気するような嫌悪感が、渋谷さん周辺への懐疑心に繋がっていた。

そんな前提があったけれど、渋谷さんの「サウンドストリート」を次第に聴き、ロッキンオンを買って読むようになり、自分の先入観が先入観に過ぎない部分も大いにあることを認め、それまでとは違う音楽と出会っていくことになる。一時は木・金の2日連続で渋谷さんがサンスト担当だったので、最低でも週2日は渋谷さんの話しを聞いていた。自分が音楽との出会いに喜びを感じていた1981から1984年あたり、毎週毎週様々なスタイルのレコードを紹介してもらった記憶が強い。

***

また「サウンドストリート」以降も、渋谷さんが関わるいくつかの番組を聴いてきた。「FMホットライン」「日立ミュージック&ミュージック」、その他NHKラジオで放送されるライヴとかにはよく解説で登場してきたし、テレビで構成担当だった番組とかも見ていた。ただ21世紀入ってからはそれまでみたいに熱心に毎週聴くということはなくなり、「ワールドロックナウ」もたまに聴くという感じだった。

年末になると大貫憲章さん・伊藤政則さんと一年を振り返る特番をやること知ってから、毎年楽しみにしていた。果たしてこんなに仲良かったっけ?と思ったりもしたが、紆余曲折の末3人一緒にわいわい番組でしゃべっている様はほほえましかった。そして昨年末も聴かなきゃと思っていたが、なんやかんや忙しくなって年末特番を聴けぬままこの3月末をむかえてしまった。「ワールドロックナウ」は終わるけれども、その時間は4月から新たに「洋楽シーカーズ」として大貫憲章さん・伊藤政則さん2人の番組になり、先日の土曜に第一回放送がされた。

***

ラジオ「若いこだま(1973年~)」や「ヤングジョッキー」からの古い付き合いの方は半世紀以上ということになる。形態を変えて新譜を紹介する番組は半世紀断続的に続いてきたが、今回このような形で途中で番組を終えることとなった。

昔1986年 3月末突然「サウンドストリート」が終了することになった際は、最終回レッド・ツェッペリン特集だった。(当時録音したカセットテープはどこかにあるはずなのだけど、探してもまだ見つからず。。。)渋谷陽一と言えばレッド・ツェッペリン、やはり最終回はツェッペリン特集で、というリスナーからのリクエストはがきにすごく抵抗していたのをよく覚えている。また番組内でこんなことを言っていたのを覚えている。“わたしにとってのサウンドストリート”を書いたはがきが多いけど、”あなたにとってのサウンドストリートよりも、私にとってのサウンドストリート“のほうがもっと・・・と言おうと思って(最終回収録に)臨んだけれど、このはがきの量を前にしてそうは言えなくなった。こうして番組を終えられることはある種幸福なこととも思う。だけど番組が終わるたびに、ツェッペリンを出さざるを得ないようなヘヴィーな事態は今回のこれで終わりにしたい。番組が変わっても「まあ、渋谷がDJやってんだから・・・」と思ってほしい。

27年続いた「ワールドロックナウ」の最終回はリクエスト特集だった。私もそんなに経ったとは思えないが、あの1986年からなんと38年が経っている。

リクエストが一番多かったという曲として政則さんが選んだ最後の曲は、38年前と同じレッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」だった。今回の「ワールドロックナウ」終了はサンストの終了とは全く意味合いが違う。政則さんは渋谷さんの復活に向けた応援としてこの曲をかけた。

■Led Zeppelin「Achilles Last Stand」1976■

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航海日誌:Red Sails In the Sunset

2024-01-16 22:00:00 | 音楽帳

東京は今年一番の冷え込み、氷点下1度近い日となった。
下町では10メートル近い北風が吹いて、土けむり上がるほどに。

隅田川のわきで初めて梅の花をみた。
もうすでに咲いていたのかもしれないが、意識したのは今日のこと。

そして、ふたたび自転車に乗った“異次元への旅”・・・。
今日は、平山さんが走ったエックス橋を自転車で走った。
夕暮れが美しい。



■高橋幸宏「サンセット」(Co-producer, Arrange, Orchestration by 坂本龍一)1978■





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音盤日誌:Lou Reed 「Perfect Day」’72

2024-01-14 22:50:00 | 音楽帳

備忘録。

昨年、映画(パーフェクト・デイズ)の予告編を映画館の暗闇で不意打ちに観た瞬間、ゾオーッと総毛立った。というのも、映画そのものがとても魅力的だろうという予感が第一の理由だが、それとは別に 流れた曲がルー・リードの同名の曲だったからでもある。(映画は”Days”、曲は”Day”だけども。)
1月4日自転車の旅を経て、この曲が入っていたカセットテープを夜にがさごそ探していた。元々このルー・リードの原曲を初めて知ったのは、この曲が作られた70年代でも80年代でもなく、20年後の 90年代のクロスオーバーイレブンだった。山積みのカセットから、この曲が収録されている2本のカセットテープを探し当てた。1本は初めてこの曲を録音した1992年、もう1本が1996年。共にクロスオーバーイレブンの放送を聴きながら、残すことに決めたテープだった。

(ちなみに、この「パーフェクト・デイ」という曲を初めて聴いたのは80年代初め・1982年のことだった。ヘヴン17が別で作っていたユニット”B.E.F”によるカバー。彼らが好きなクラシック的名曲を選んでリメイクしたアルバム「ポップス黄金狂時代」に入った1曲。これもまたクロスオーバーイレブンで聴いた。)



このカセットテープにはたくさんの想い出がある。
まずはこれを録音したのは東京ではなく大阪だった。仕事を始めた頃、企業社会の奴隷一員として/転勤というシステムに乗っかり 右も左も全く知らない文化圏/関西に投げ込まれ、針のむしろの上で過ごしていた。当時の大阪、それも梅田近くという中心に住んだのに 本屋さんやレコード店がほとんど無く、テレビも東京でやっている番組の半分は放映されず、知り合いも話し相手もおらず、異国で寂しい日々を過ごしていた。そんなさなかにラジオから録音した「パーフェクト・デイ」と一連の曲たち。ひとりで1Kの狭いマンションの一室で聴いていたこれらの曲は、こたえるような寂しい日々に さらに沁みてくる物憂げな色をたたえていて、なんとも言えないものだった。
もがくように働いても働いても、なにもかもがうまくいかない、といった日々。人生とはそんなようなものだが、「パーフェクト・デイ」はそういう日々に相対して ただそこに“在った“。遠くではない/近い距離で鳴っていたが、決して寄り添うような曲ではなかった。じぶんの部屋のオーディオのあたり、1Kの部屋のすみっこに潜んで、同居している。そんな感じだった。

この曲が入ったカセットは90年代にかけてよく聴いた。
そして、この後、これらのお手製カセットテープと共に、この小さい部屋で阪神淡路大震災に遭うことになるが・・・。
それはまた別の日のお話しにしよう。

■Lou Reed 「Perfect Day」1972■

A面
1. Perfect Day / Lou Reed
2. Graceful Man / Jane Kelly Williams
3. Ladies Of The Canyon / Joni Mitchell
4. New Man / Howard Jones
5. Am I The Same Girl? / Swing Out Sister
6. 世界は恋人たちを愛してる (All The World Loves Lovers)/ Prefab Sprout
7. 1963/ New Order
(1~4が1992年7月13日録音、5~6は1992年11月17日録音、7はCDより落としたもの)


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音盤日誌:”God Only Knows”

2023-12-30 23:40:00 | 音楽帳

備忘録。

ボーっとしているわけじゃないが、いつのまにか1ヶ月半以上が経っていた。あっというまに11月は終わり・・・師走も暮れ、クリスマスも貫き過ぎ、すぐに翌年になる勢いで時は流れている。
なんやかんやせわしなく、一人で文章に向かう心の余裕がなかった。じぶんの中では葛藤して悩み苦しんでいるんだが、”それ”を相手にしているうちに、外では目まぐるしい閃光のような時が暴れ、時は早回ししたような速度で移ろった。

残る日は10日を切り、焦らないといけない頃合いなのに、年賀状を書く、という気にはなれない。賀状には、過ぎたる年のケガレをいさめ新しい年へ寄せる期待が込められているが、今の自分がそこに行くにはかなり無理矢理な気持ちの跳躍が必要で、それこそ薬や酒でもなければ行けない。

この人は毎年年末こんなこと言ってる、、何年も、何十年も。
そう言われても仕方ないかもしれない。
(←※結局はいずれ間際になってあたふたと最後は書くのだろうけれども。)

***

年の瀬になり、テレビでは一年を振り返る番組をやるようになった。その番組内には、必ずその年亡くなった方を振り返るコーナーがある。徹子の部屋とか、それ以外の番組でも、、つい画面を流れるのを見てしまった。改めて幸宏、教授と続いた訃報と寒い季節がフラッシュバック、再度呼吸が止まるような思いがした。

・・・とんぷく服用。

***

小林克也さんの「ベストヒットUSA」の録画がたまりに溜まっていて、先週土日に観ていた。(ハードディスクがパンパンだから・・) 。1月分が終わり、日曜は2月分を観た。
2月4日放送では、マンハッタン・トランスファー50周年記念アルバムから一曲。

克也さんは80年代当時「ベストヒットUSA」に彼らが出て、その場でアカペラで歌ってくれたシーンを振り返り、涙が出るほど感激したと言う。また、アメリカで見たクインシー・ジョーンズのライブの前座で、マンハッタン・トランスファーがオーケストラを従えて歌った時の凄さを語った。

彼らの50周年記念アルバム「50」収録の一曲は、「God Only Knows」。オーケストラに比べ4人の声のボリュームが小さくて、何回か繰り返し聴いた。美しいハーモニー、深遠なる響き。映像で見る4人は、良い歳の取り方をしていた。

この曲「God Only Knows」を自分が知ったのは、デヴィッド・ボウイのアルバム「トゥナイト」に収録されたカバー。アルバム自体は1984年リアルタイムの当時に手に入れたものの、ヘヴィーローテーションで聴いていたのは80年代後半だった。ボウイのヴァージョンもオーケストラ仕立てのバックだった。
そのときは「神のみぞ知る」というタイトルがボウイらしいなあ、と思い、てっきり古いスタンダードが原曲だと思い込んでいたが、今回それが間違いで(古いといえば古いが)元はビーチボーイズ(ブライアン・ウィルソン)の作品だったことを初めて知った。

歌詞も初めて読んだ。宗教とか哲学的意味合いを持っていると思ってたが、”キミがいなくなった世界など神のみぞ知る世界”というラヴ・ソングだった。
しかし、このマンハッタン・トランスファーのヴァージョンを聴くと、ラヴ・ソングといいながら、その裏側に宗教や哲学的意味合いを感じる。

“キミがいない世界”という箇所に、幸宏や教授がダダッと居なくなってしまってから続く 空虚な世界がつい重なってしまう。
この感覚はまるで”空気吸うだけ”だが、それでも生きて行かねばならない。
そう言ってみる。

■Manhattan Transfer with WDR Funkhaus Orchester 「God Only Knows」2022■

ずっと愛しているとは言えない
でも頭上に星が輝く限り
君は疑う余地なく
僕の愛を信じていいよ

君なしの僕は神のみぞ知る

もし君がいなくなったら
人生が続いても・・・

信じてほしい
世界なんて意味がなくなる
生きがいがなくなるよ

君なしの僕は神のみぞ知る

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秋の100曲:ガーデニング・バイ・ムーンライト「メソッヅ・イン・ザ・マッドネス」’83

2023-11-11 20:30:00 | 音楽帳

夏からの暑さや高温を引きずって、秋の訪れも遅くなっていくうち、いつのまにやら11月8日(水)の立冬。
そして、昨日のつめたい雨。
今日は今日とて、終日の白い空と曇り。
一挙に冬めいた閉塞感。そんな一日。
広い空は空で自分から分離され、自分はこんな地上。
狭苦しい一室に幽閉されている。
立冬を超えはしたが、気分の中ではまだ秋。そう言いながら、家の中でホッカイロを引っ張り出して、モミモミしながらふところを温める。夕闇どきにやっとガチャガチャした周囲の雑音が去り、一人レコード観賞に向かう。

1983年この時期というと、相変わらずエアチェックにはげみ、ニューウェイヴ新譜をチェックしまくり、少ない小遣いをカセットテープとレコードに使いながら、一人の部屋で音楽を聴いていた。そんな40年前もこの2023年も同じような一人の夕闇どきを過ごしている。

そんな中で、“ガーデニング・バイ・ムーンライト”なるバンドの1枚も忘れられないレコードだろう。では彼らのレコードを当時聴いていたのか?と言えば、全く聴いていない。雑誌フールズメイトの新譜レビュー欄にある数センチメートル角のモノクロ写真とレコード評を読んだだけである。そのモノクロ写真と文章から醸し出されるイメージに酔っていただけ。何とかそのレコードを聴いてみたいと思いながら、輸入盤を買うこともかなわず、1983年どころか、80年代どころでもなく、20世紀が終わるまで、このレコードの中身を1曲すら聴くことがなかった。

何よりも当時はこのレコードジャケットの圧倒的なイメージのトリコになっていた。
12インチシングル「ストレンジ・ニュース」では、神経のシナプスが繋がり合うような文様をバックにした夜に起立した1本の樹、そしてそれに向かい合うコート姿の2人の影。LPレコードでは夜が迫る逢魔ヶ時の蒼さの中、うつむいた男と風車に手を掛けて登ろうとする男の姿。ジャケットを見ているだけで、ノイズ/アヴァンギャルド/サイケデリックといった世界と陰鬱で抒情的な世界が融合したような音が勝手に脳内で鳴ってくる。その聴いてもいない未知の音のイメージはティアーズ・フォー・フィアーズのファーストアルバムにオーヴァーラップしていて、彼らの音をもっと実験音楽寄りにしたイメージだった。この脳内イメージだけで1枚の架空音楽アルバムが出来るくらいのふくらみを持っていた。

 このレコードを実際聴いたのは21世紀アタマのこと。やっとのことで手に入れたレコードなのに、いざ聴くと「なんだよ、こんなもんか」という感想で、それまで抱いていた幻想はあっさり壊された。こういうガッカリ感は、音楽を聴く数十年の中で何百回となく繰り返してきたけれど・・・聴かずに幻想のままで居た方が良かったのではないか?とまで思ったりもした。

それ以降は数年起きに取り出してみてはターンテーブルに乗っけて聴いてみた。そして「やっぱりダメだ」を繰り返し・・・。そんな彼らの唯一に近いLPと12インチが「すごいイイ」と体内に響き出したのは、この5,6年のこと。

ガーデニング・バイ・ムーンライト。。。というバンド名。月夜の下のガーデニング、とでもいうのか?この長たらしいバンド名が特有のイメージを喚起させる。メンバー2人がジョン・フォックスやトーマス・ドルビーなどのレコード制作に参加してきたというのもなるほどと思う。だが、楽曲によって作り方やイメージが異なるために、1つのバンドイメージの像を結ばない。逆に言えば、異なるイメージで制作された楽曲を集めたLP盤は幕の内弁当のようにいろどりあるが決定打がない。このへんがCD化されていない理由だろう。
でも、繰り返し聴いているうちに豊かなアルバムと感じるようになった。ジャパンやウルトラヴォックスを思わせるドラム・パーカッションにアクセントを持たせた箇所、“間”の取り方、サンプリングなのか?ところどころに挟まるリピート音の使い方、ダブ的な処理された箇所などアイデアも豊富だ。
最初に見たジャケットから勝手に抱いたイメージからはズレていたが、それを壊した後にやっと40年目にして「好き」と言えるアルバムに収まった。CD化はされていないようだが、YouT ubeにはアップされているので、ぜひぜひのおススメ盤。こんな薄暗い日に聴くと良い。

■Gardening by Moonlight「Chance」1983■




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秋の100曲:マイケル・センベロ「オートマティック・マン」’83

2023-10-27 23:00:00 | 音楽帳


ここ数日はどういうわけか、この曲が浮かぶ。
気が付くと、脳裏でこの曲が鳴り続く時間がよくある。幸宏のオールナイトニッポンでこの曲が掛かったのは1983年11月8日。
移ろいゆく季節に反応して、脳が40年前の記憶を引っ張り出してきたのだ。まだ11月じゃないし、40年前ほど寒くないし・・・なのだけど。どういうことだか。。。

幸宏のオールナイトニッポンで掛かる曲はおおむねトシ矢嶋さんがロンドンから持ち帰ってきた新譜レコードだったが、
一部放送局としての「おとなの都合」で掛かる曲もあった。
この曲「オートマティック・マン」は明らかに後者だったのだろう。
この日のラジオ放送を録音したカセットテープを擦り切れるほど繰り返し聴いているうちに、耳から体内に焼き付いてしまって、好きになった1曲。

自分としては意外な1曲だが、“アメリカのヒットチャートなんてバカバカしい”と思う一方で、
ストレートで肩のチカラを抜いた軽いヒット曲に魅力を感じていたのも事実だった。

***

日本で知られるマイケル・センベロは、映画「フラッシュダンス」のサウンドトラックに収録された曲「マニアック」だろう。
1983年当時「ベストヒットUSA」で映像が流れるのを見て、「なんて軽薄な!」と思ったものだが、9月10日と17日の2週に渡ってビルボード1位になった。
そんな彼はどちらかというと裏方のスタジオミュージシャンで、スティーヴィー・ワンダーと8年近い活動歴があり、リード・ギタリストとして参加。
その他セッションやプロデュース業などを務め、当時自宅に「ボサ・ノヴァ・ホテル」と名付けたスタジオを持っていたという。

シングル「オートマティック・マン」はチャート34位と「マニアック」ほどはヒットしなかったが、自分には忘れられない1曲。
この曲を聴いていると、芋づる式に三宅さん・小倉さんといったSETのメンバー、幸宏やトシ矢嶋さん(”大久保林清”こと)景山民夫さんらで構成されたオールナイトニッポンの楽しかった夜を想い出す。

■Michael Sembello「Automatic Man」1983■


(2023.10.26 夜)
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