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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

桜井哲夫 「新しい”棲み方”のために」'84

2011-01-15 13:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


私は大学で経済学部に入りながらも、経済には一切興味が無かった。

元々、絵かきの道を進みたかったが、親の「おまえ、そんなもんでメシが喰えると思ってんのかぁ」に完全拒絶され、親に抵抗できない情け無い自分が居た。

だから2年も素浪人し・さ迷い歩いた。

大学では、絵ばかり描いていた。

しかし、不思議と興味あった労働法・祭と現代社会・社会学だけは、前向きに授業を聞いた。
そこで出会ったのが社会学の桜井哲夫先生だった。

先生の授業用にも使われた本「近代の意味~制度としての学校・工場~」は、今でもアンダーラインを引かれ、くたくたになりながらも、ボクの本棚にある。



その本の「ある箇所」の文章が自分のカラダにズシンと来、折あるごとに、読み返す。

以下の文章は私が生きる上で、迷路に入ってしまったとき、リセットして「超えていく」【=SURVIVE】ことへの認識の原点に立ち返らせる。

エイリアンであることを知ってしまった者への言葉。

この言葉は、もはや、ボク自身の言葉のように思ってしまっている。

******************

・・・・さて、他人とのコミュニケーションを次第に失い、激烈な競争原理のなかに置かれた私たちは、ともすれば、集団的な陶酔のなかに誘惑されやすくなっている。

このような危険をはらむ社会のなかで、社会の強制する論理と戦いつつ、逃げながらも「狂気」に至らないためには、どのような道が可能なのであろうか?

その手がかりとして、中井久夫の論攷「世に棲む患者」を敷衍しつつ、社会の強制する論理からの脱出(エクソダス)の道を考えていくことにしたい。

勿論、本論攷は、分裂病患者の退院後の社会復帰について書かれたものである。

にもかかわらず、ここでは少数者が少数者として、決して多数者に同化せずに生きていく道を示唆する視点を私たちに提供している。

その道はまた、私たちにとって不可欠なテリトリーの行動にもかかわらず、普段は労働や教育を中心とする社会のなかで見失われてしまっている空間行動にほかならない。

皮肉なことにも、私たちにとって生きられるテリトリー的な空間行動は、分裂病患者のように非日常的な現実を介して透視されてくるのである。



ところで、中井は、退院後の患者たちが思いも寄らない行動をとり、独特の人間関係を作り出していることに気づいた。

つまり彼らのうち、ある者は、ビア・バーの常連になったり、またある者は、ある決まった映画館に行ったり、さらに決まったときに海を見るために列車に乗って出かけたりする者もいるという具合に・・・・人に知られぬ場をもっている。

そうした場では、彼らは名前も知られないまま、その存在が許容されている。
何年も言葉を交わしたビア・バーの常連もお互いの名前や職業を知ることもないままである。

そして、こうした行動は次第に「橋頭堡=前進基地」を幾つか生み出すようになる。

行きつけの喫茶店から囲碁会所、パチンコ、コンサートといった具合に、オリヅルランが根を張っていくのにも似ており、また仔ウサギが巣から徐々に行動圏を拡大するのにも似ている。


中井は、通常の組織に生きる人々が、職業中心の同心円(ヤマノイモ型)構造に生きているのに対して、オリヅルラン型の行動様式のなかに少数者が少数者として独自に生きていく道を見出している。



そのことに関連して、さらに彼は、自分の団地生活の経験について語っている。

第1期の団地生活のリーダーたちは有能な弁護士・会計士などで、彼らは 4・5年で団地を去って一戸建てに移る。
第2期は,組織(政治,宗教)に属する人々が活躍した。

そして静かになった第3期は、労働に対する価値観の違う人々が現れてきたのである。

仕事に関して有能であっても、仕事は“仮の姿”・“払わなければならない税金”として受け定め、自分の独特の世界(鉄道趣味・UFO研究・書籍収集)をもつ人々がこの時点で姿を現してきたという。

つまり、競争に駆り立てられ、「しっと」や「ねたみ」に駆り立てられるこの群衆社会のなかで、群れに同調せずに生きていく「棲み方」を私たちは自分で見つけていかなければならない。



それは職場集団から離れた「橋頭堡」を次々に作っていくことなのであり、この発想は
G.ドゥルーズ=F.ガタリのいう「リゾーム(地下茎)」とも通じている。

ここで「リゾーム」とは、常に数多くの入り口をもつということを指す。

切断されても止まることなく、接合を繰り返し、一点にとどまることなく広がり続けるリゾーム(地下茎)というのは、いかにも自由奔放なライフスタイルであり、あらゆる組織や制度を拒否するヨーロッパ的なラディカリズムである。

最近の言葉でいうと、それは「マルチチュード」(A.ネグリ&M.ハート)である。



再び,本論攷の内容に戻るならば、中井は「橋頭堡」は決して「基地」にならないと指摘している。
ヴァージニア・ウルフのいう「女が一人でもいられる部屋」にも似た、人々の視線を避けられる、侵されない一隅が必要だという。

確かに「リゾーム」と比べると、中井のいうことは、ある意味できわめて保守的で常識的であるかも知れない。

にもかかわらず、保守的で常識的であることのほうが、必要な場合もある。
速く走るよりも、自分のペースをくずさないことの方が重要な場合もある。
すべてひとびとに一様に走りつづけることを強制する必要もない。


われわれに必要なことは、基地からのびやかに各橋頭堡をめぐりながら、次第に他の地下茎との連携のなかに入ってゆくことなのだ。


急ぐことはない。

われわれはいままであまりにも速く走りすぎてきたのだから。。。。。

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好きな詩 : The Smiths 「Heaven Knows I'm Miserable Now」'84.05

2010-11-22 20:34:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
酔っ払って朦朧としている時はしあわせだった
でも僕が今悲惨なのは神様だけが知っている

ぼくは仕事を探していた そして仕事を見つけた
だけど今のぼくが どれほど惨めなことか

このぼくの人生
ぼくが生きていようが死んでいようがどうでもいい連中に
どうして自分の貴重な時間を預けねばならないんだ!

恋人達が絡み合ってぼくのそばを通り過ぎる
それにくらべて 今のぼくときたらどれほど惨めなことか

ぼくは仕事を探していた そして仕事を見つけた
だけど今のぼくが どれほど惨めなことか

このぼくの人生
ぼくが生きていようが死んでいようがどうでもいい連中に
どうして自分の貴重な時間を預けねばならないんだ!

一日の終わりに彼女がぼくに求めたこと
あのカリギュラでさえ顔を赤らめる

「家の中にずっと閉じこもりすぎよ」
そう彼女が言った
だからぼくは当然のごとく逃げ出した

このぼくの人生
顔面に蹴りをいれたくてたまらないやつらに
どうして微笑みを投げかけられるというのか!

酔っ払って朦朧としている時はしあわせだった
でも僕が今悲惨なのは神様だけが知っている

「家の中にずっと閉じこもりすぎよ」
そう彼女が言った
だからぼくは当然のごとく逃げだした

このぼくの人生
ぼくが生きていようが死んでいようがどうでもいい連中に
どうして自分の貴重な時間を預けねばならないんだ!

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好きな詩、セリフ : U2 「Running To Stand Still」'87

2010-10-30 10:22:48 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


そして彼女は目ざめた 死んだように横たわっていたところから
「これから行くところで ちょっとすることがあるの」そう言って汽車に乗り込む
どしゃぶりの雨の中へと踏み出す、夜の闇から逃げ出すためなのかもしれない・・・・・・
ハラララデディ ハラララデディと歌いながら・・・・・・

その罪は甘く、話すにはにがい想い出
ここはセブンタワー、逃げ出す方法はただ1つ
なみだを流さずに泣き コトバに出さずに語り 声に出さずに叫ぶことが出来れば

そうさ、闇の世界で仕方なく毒を手にした
そして、ここから遠ざかった・・・・・・
ハラララデディ ハラララデディと歌いながら・・・・・・

彼女は真っ赤な目をして街を走り回る 真っ黒に突き出した雲から降りそそぐ雨の中
そして戸口でばったり出会った僕に
「白金と真珠を持ってくる」と「海から盗んできたの」と言う
彼女は暴れる、荒れ狂う・・・・・・
嵐が彼女の目に吹き荒れるようだ

彼女は注射針を手放せない
その生活から抜け出さずに、彼女はそこに居続ける

***

ドラッグ漬けの彼女と僕
アメリカの暗黒面を想起する

クスリ漬けで肝臓をやられた自分が、この曲に「安息」を覚えた
その歌詞がこのようなものだった事は、偶然ではなかったようである
外はどしゃぶりの雨 台風が近づいてくる

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T.E.ロレンス 「E・ガーネットへの書簡」

2010-06-24 22:59:45 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


わたしは満足を求めてあらゆる詩を読んだが満足は得られなかった。

わたしが欲しかったのは精神の食事であったのに、わたしが蒐集したのは精神のボンボンやエクレアだった。

詩をあきらめたわたしは、空想の食事を追って散文をあさり、いたるところに卑少な名作を見つけ、それから、人類よりも偉大となるべく誠実に努力したごく少数の人びとを見つけた。

わたしの空腹を満たすものは、かれらの悪戦苦闘だけだ!
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『逸脱せよ!愚行たろうとも。』

2010-04-25 16:25:05 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


寺山修司さんには、色々な事を学ばせていただき、まだまだ死ぬまで学び続けることであろうが、寺山さんのこの写真のショットが、すごくカッコよく、大好きな写真である。

今日は、そんな寺山さんのつむぎ出してきた「セリフ」の一節。


「さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう・・・・・」
                                寺山修司
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司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』

2010-03-11 00:59:57 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


私は歴史小説を書いてきた。

もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、歴史を愛している。

歴史とは何でしょう?と聞かれるとき、「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。

私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。

歴史の中にもいる。
そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。

だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは(もし君たちさえそう望むなら)おすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。

未来というものである。

私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
君たちは、ちがう。
21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう?」

そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。

だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。
それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。

自然こそ不変の価値なのである。

なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。

人間は(繰り返すようだが)自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。

歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。

「人間こそ、いちばんえらい存在だ。」という、思い上がった考えが頭をもたげた。
20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。

20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対し、いばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。
そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

「自分に厳しく、相手にはやさしく」という自己を。

そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。

科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。

そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。

原始時代の社会は小さかった。
家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。

他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。

この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

もう一度くり返そう。

さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。

君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。

・・・・・書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

***

最後の一行に、何も言う・添える言葉も無い、染み入るような名文である。
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三島由紀夫  「檄文」 より  1970年11月25日 市ヶ谷駐屯地にて

2010-01-08 01:10:55 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。

われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。

しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。

憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。

国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。
日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。
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RC サクセション 「サマータイムブルース」 '88.8.15発売中止

2009-12-31 01:16:21 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
RCサクセション、というか、清志郎は元々、言いたい事を言いたいように生きてきた。
それが、次第に、政治・クソメディアとの衝突を生むことになる。

そのきっかけとも言えるのが、この「サマータイムブルース」。
そして、その言いたい事を言えない世界に、更に、インディーズで発売する事になる’89年の「タイマーズ」の活動に繋がっていく。

***

1989年という年は稀有な年で、ここで、東西冷戦が崩壊し、ベルリンの壁は壊れ、共産主義国家ではチャウシェスク等のように射殺されクーデターが起き、日本においては、昭和天皇が崩御し、世界が変わり目を迎えた年であった。

かたちんば=自分の皮膚感覚では、いや既に、’86年末段階で、ひたすら「今日より新しい明日」を目指したニュー・ウェイヴも、音楽世界も全て「終焉」し、停滞時期に入り、この後、何も新しいものが生まれなくなり、まったりした平坦な「終わりなき日常」(By宮台真司)が始まったと思っている。

そんな中で、たった1人で、もがくように叫んでいたのが清志郎だった。

渡辺美里が「変わりはじめたマイ・レボリューション♪」と、『大ウソツキの明日』を表層的に語った時には、もう、全てが終わっていた。

自分は『頑張れば~何とかなるから~』という、何一つココロに刺さって来ないクソ・ソングに嫌悪以外の何も覚えない。

すごく、この時期の清志郎は、周囲のムーブメントも無く、「孤立無援の闘い」をしていた記憶が強かった。

「サマータイムブルース」も、レコード会社ともめて発売中止になったが、チャボのギターがエイドリアン・ブリューばりにパオパオ吠えて、シンプルだけど、RCの中では好きな曲だ。

’82年の「いけないルージュマジック」で、個人的に大好きなセリフ・・・「人の目を気にして生きるなんて つまらないことさぁ~」という部分。

自分は、そのコトバに刺激を受けながらも、結局、未だに人の目を気にしながら生きていることだろうが、このコトバを「地」で生きて、そう言い切れたのが清志郎だったのだろう。

***



RCサクセション 「サマータイムブルース」

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ!何のため?
狭い日本の『サマータイム・ブルース』

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ!何のため?
狭い日本の『サマータイム・ブルース』

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い <悪かったな、何だよ!>
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ!根拠がねえ!
これが最後の『サマータイム・ブルース』

<原発という言い方も改めましょう。
何でも縮めるのは、日本人の悪い癖です。
正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。
心配は要りません。>

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだな『サマータイム・ブルース』

電力は余ってる
要らねえ!もう要らねえ!

電力は余ってる
要らねえ!欲しくない!

原子力は要らねえ!
危ねえ!欲しくない!

要らねえ!要らねえ!欲しくねえ!
要らねえ!要らねえ!

電力は余っているよ
要らねえ!危ねえ!
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佐野元春   「また明日・・。」(ライヴ)'92年

2009-11-15 20:04:26 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


ひかりにあふれた 夜明けが近づく
僕は 一日中 空を 眺めていた
擦り切れた希望に とりとめない世界で
SAY GOODBYE AND KISS ME

夢を見た まぼろしかもしれない
君は 一日中 バラを 集めていた
残された理想が 見当たらない世界で
SAY GOODBYE AND KISS ME

また明日 また明日 逢えるなら
また明日 また明日 君と行く
SMILE FOR ME

荒地をながめて 歩きつづけよう
君と 一日中 愛を重ねていた
愛を 重ねていた
虹のように 空をかけて 
傷ついた自由 かまわない
もうかまわない
SAY GOODBYE AND KISS ME

また明日 また明日 逢えるなら
また明日 また明日 君と行く

また明日 また明日 逢えるなら
また明日 また明日 君と行く
SMILE FOR ME

また明日 また明日 逢えるなら
闇の中 風の中 君と行く
SMILE FOR ME


作詞 : 佐野元春
作曲 : 佐野元春

TBSテレビ「筑紫哲也のNEWS23」テーマ曲
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高橋幸宏  「サハヴァ」'78

2009-08-22 12:20:30 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


1979~1980年、まさに、「YMOイヤー」であった1980年、少年だった自分はYMOに衝撃を受けて・・・それ以来、30年近く、YMOと3人に夢中で走って来たが、「YMOイヤー」であった1980年の夏(8月)に、NHK-FMの夏のスペシャルとして「サウンド・オブ・ポップス」で、YMOの特集があった。
それをダビングして編集したカセット・テープは、今でも自分の宝物だが、月曜日~金曜日までの5日間に、YMOの曲の日、そして3人それぞれにスポットを当てた日、そして、YMOファミリーのプロデュース集と広範囲の曲がかかった。

その特集では、3人とともに、聞き手をしたのが、これまた時の人=糸井重里だった。

***

このとき、初めて聴いたのが、幸宏(当時はユキヒロという名義でしたが)の1978年のファースト・ソロ・アルバム「Saravah!」からの、このテーマ曲「サハヴァ」、それに「サンセット」という曲だった。



僕は、当時、この編集テープを毎日のように聴いて、毎日、夢のような世界に行くことが出来た。

このアルバムでは既に、細野さんがベースを、そして、トータルにストリングスや編曲を行ったのが坂本龍一だった。
全編に渡って、幸宏が惹かれてきたヨーロピアンなダンディズム、ロマンティシズムが全開のアルバムであったが、それも坂本龍一の持つロマンティシズムとの融合で開花した世界だったのかもしれない。

当時を振り返って細野さんは、「教授も自分もアメリカ志向に向いている中、YMOにユーロピアンな感覚を持ち込んだのは幸宏だった」とも言っていた。

***

当時、中学校の間では、とにかくユキヒロが一番人気があった。
今までに無いスタイリッシュで汗を感じさせないクールな幸宏のドラムのかっこよさにみんな憧れ、感化され、授業中にエンピツでドラムをトンツクトンツクやっている子が多く居た。

***

しかし、何度聴いても、この「サハヴァ」という曲は、この切ない感じ、ロマンティシズムにひたってしまい、永遠の名曲だなと想う。
歌い方が少し口ごもって、ノドで声を出す感じは、細野さんの影響だったと、幸宏は、ある番組で語っていた。

その後、何十枚もソロ・アルバムを出しているし、素晴らしいアルバムや曲も多いが、自分が幸宏の曲で選曲をするならば、この曲は(歌詞の美しさも含めて)絶対に外すことの出来ない1曲だと思う。

***

どうも、まみちゃんのせいもあるが、このところ、こういった切ない曲ばかり聴いている気がする。

***

<歌詞>

Saravah! 甘い日々
カドリール 青い天使
いつかまた どこかで会おう

So Long 淡い風 心にかかる夢よ
いつかまた おまえと会おう

今 限りない 記憶をたどる
酔いしれ ピエロみたいに

時はいつまでも 同じリスムで
過ぎ去る 歌をかなでる


Saravah! 甘い夜
最後の グラスを 飲もう
もうすぐに・・・ 夜が明けるから


作詞:高橋ユキヒロ
作曲:高橋ユキヒロ
編曲:坂本龍一・高橋ユキヒロ



■アルバム「Saravah!」
produced   by 高橋ユキヒロ
co-produced by 坂本龍一
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