京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

石積みの門前町 光秀の城下町 坂本を歩く③

2020年09月12日 09時13分00秒 | 日記
 最後の訪問地は滋賀院門跡です。

途中の「穴太衆積み」の石垣が坂本の町を象徴する景観となっています。もとは比叡山の堂宇の石垣を担当した石工集団が穴太村の人達であった事から名付けられています。



以前は数件あった石工集団でしたが今や栗田建設の一軒のみになってしまいました。

滋賀院門跡は徳川家康のブレーン天海が元和元年(1615)に後陽成天皇から京都法勝寺を賜り移築されたのが始まりです。
その後、次の後水尾上皇より「滋賀院」の号を賜わっています。





まず、目に入るのは勅使門です。



昨年の台風の影響でしょうか、屋根の檜皮がかなり痛んでいます。

建物は明治11年の火災で全焼してしまい、今の建物は明治以降の再建や延暦寺からの移設です。









庭園は建物が建った後の造営で南北に長い池泉観賞式の庭園です。
作庭は小堀遠州と言われ、蓬莱山を中心に亀嶋、鶴島を配した庭園です。





西塔の本堂釈迦堂の「不滅の法灯」の実物です。
説明書にもあるようの「油断大敵」の語源とも言われています。

滋賀院門跡は天台座主の御座所で普段はこちらで過ごされ、法要や行事がある日は輿で比叡山に登らました。

比叡山の僧侶が引退して山を降り坂本の里に住まわれ住居にされたのが「里坊」です。現在も54ヶ所が残されていて、その中のひとつ「旧竹林院」は通常公開されている里坊のひとつです。

今回は行かなかったですが滋賀院門跡の裏側には天台座主も務めた南光坊天海の墓所「慈眼堂」があります。

毎年、秋には里坊の数ヶ所が公開されます。(今年はコロナの影響でどうなるのでしょうか?
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