京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

石積みの門前町 光秀の城下町 坂本を歩く②

2020年09月11日 09時12分00秒 | 日記
 西教寺を後にし、山沿いの道(山辺の道)を進みます。





駒札の縁起にあるように、この辺りにお祀りされていたお地蔵さまを一ヶ所に集めた所です。





日吉大社境内は古代からの古墳の密集地で境内全体が史跡に指定されています。 

いよいよ日吉大社境内です。
まずは東本宮からです。



御本殿(国宝)のご祭神は大山杭の神(おおやまくいのかみ)です



樹下宮(じゅげぐう)で、ご祭神は鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)で東本宮のご祭神とはご夫婦です。)



東本宮は織田信長による比叡山焼き討ちで焼失し、後に秀吉により再建された建物だけに装飾品には金具が多用され華やかな感じがします。





神輿収蔵庫と奥宮への参道です。
収蔵庫には七基の神輿が納められています。

春の山王祭には二基の神輿が八王子山上の急斜面にある金大巌(こがねのおおいわ)に鎮座される三宮、牛尾宮に立ち寄られます。

こちらの神輿が平安時代に度々、強訴に使われた神輿で、当時の最高権力者"治天の君"であった白河法皇でさえ思うにならないひとつとして挙げています。(賀茂川の水、双六の賽の目、山法師-「天下三不如意」と言われています。)




御神木の杉の大木の間には石仏のお地蔵さまが居られます。大木の重みにも耐え、我々を見守ってくださっている事から「忍耐(しんぼう)地蔵」として親しまれています。





大己貴神(おおなむちのかみ)をご祭神とする西本宮の御本殿です。(国宝)

天正14年(1586)造営の「日吉造」で、床下にはかって仏事を営んだ「下殿」と呼ばれる部屋があります。神仏習合の名残りですね。

徳川の治世になり造営された為か、装飾品などの派手さはないですね。







西本宮楼門の4隅の軒下には木造の猿が軒を支えて守っています。

西本宮を出て旧竹林院方向へと進みます。



山王鳥居と呼ばれる神仏習合を表す独特の形の鳥居です。
日吉大社境内でも、ここ一ヶ所だけです。





参道を横切る大宮川に架かる「大宮橋」。秀吉寄進と伝わりますが何故か年代が合いません。日吉三橋のひとつで国指定の重要文化財です。





「大宮橋」のすぐ下流に架かる「走井橋」です。こちらも日吉三橋のひとつで国指定の重要文化財です。







次に滋賀院門跡へと向かいます。