京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

文子(あやこ)天満宮

2020年09月06日 10時23分00秒 | 日記
 松ヶ崎大黒天の次に向かったのが渉成園の北西に鎮座される文子(あやこ)天満宮です。





何度か来ていますが、御朱印の授与をお願いしたくの再訪問です。





ご縁起については駒札の通りですが少し補足します。
「文子天満宮天神縁起」によれば、道真公が延喜元年(901)に藤原時平の懺悔により九州太宰府へと左遷され、その途中に乳母であった多治比の文子に形見として道真公自作の自らの神像を授与されました。
文子は道真公を偲び庭先に小さな祠を造りお祀りしたのが当天満宮の起こりです。





天慶5年(942)に多治比の文子に"世にあるとき、しばし右近の馬場(現在の北野天満宮の地)に祀られることを望む)とのお告げがありました。





そこで多治比の文子は天暦元年(947)6月9日にこの神像を北野の地にお祀りをしました。これが北野天満宮の始まりです。

天暦年間に近江比良の祢宜神良種(かみのよしたね)の子太郎丸にも託宣が下り、文子は僧最鎮、法儀、鎮西らと北野天満宮を崇め祀りました。
それ以降、藤原氏らの寄進により社殿が整い、永延元年(987)には北野祭が行われています。

また、道真公の名誉も回復され、正暦4年5月には正一位左大臣の官位を、同年10月には太政大臣の官位が贈られています。





寛弘元年(1004)には一条天皇が初めて行幸され、王城鎮護の神社となり、それ以降、全国に天神信仰が始まり、次々に天神社、天満宮が創建されるようになりました。



鳥居の前に「天神信仰発祥の神社」の石碑が建てられています。