京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2018錦秋の京都② 等持院

2018年11月23日 08時40分49秒 | 日記
11月21日は、京都市緑化協会さんの「京の庭巡り」せに参加し、等持院と真如寺を巡りました。
講師は、協会の理事もされておられる吉田昌弘先生です。先生は平安遷都1200年の記念事業のひとつ梅小路公園内の「朱雀の庭」を設計され賞もお取りになられています。

まずは、足利氏の菩提寺 等持院です。




最近、方丈、義政好みの茶室清漣亭、足利歴代将軍の木像が安置されている霊光殿の改修が行われており拝観が出来ません。その分、拝観料が割引されており良心的な対応だと思います。

庭園には初代将軍尊氏の墓があり台座の正面には延文三年四月の銘があり大きさは思いのほか小さい宝篋印塔です。尊氏の人柄が伺えます。



庭園は西側と東側とでは随分と趣きが違います。

東側は鎌倉時代の高僧 夢想疎石作庭で心字池を中心に回遊するに従って風景が変わります。護岸の石組、枯滝にその特長を見る事が出来ます。
その他に西方寺の上段の庭園、天龍寺の曹源池庭園が夢想の作庭と伝わります。
一方、書院から望む西側の庭園は芙蓉池を中心とした庭園で、寒の頃から春先にかけ咲き始める有楽椿(侘助椿)、初夏の皐月、7月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花などが見どころとなっています。また、尊氏百年忌の長禄元年(1457)に復興した際に茶室清漣亭が新築されました。



等持院は、「きぬかけの道」の南側に位置し、景観の良い場所にあります。平安時代には嵯峨天皇が夏に雪山が見たいと言われ絹を掛け、雪山に見立てた衣笠山があり等持院からは借景になるのですが、立命館大学の校舎で見えなくなっています。その校舎を隠すために背の高い植栽で囲まれているのが残念です。







2018錦秋の京都① 智積院

2018年11月22日 09時00分53秒 | 日記
11月20日は、京都府仏教連合会主催の講演会に参加しました。講師は、僕が敬愛してやまない加藤友規氏です。創業の歴史ある植彌加藤造園社長で、京都造形芸術大学の教授もされておられます。庭師、会社社長、大学教授と二足では足らず、三足の草鞋でご活躍されています。



演題は「寺院庭園の魅力について」で、パワーポイントを使いわかりやすくお話されていました。
内容については割愛させて頂きます。

講演会の受付時に頂いた庭園の拝観券でお庭だけではなく国宝の長谷川等伯の楓図、長男久蔵の桜図もたっぷりと鑑賞しました。

庭園は国の名勝庭園に指定されています。















智積院の地は、豊臣秀吉の子 鶴松の菩提寺祥雲禅寺の跡地で先程の桜図、楓図も祥雲禅寺の障壁画でした。徳川の世になり方広寺大仏殿や阿弥陀ヶ峰の秀吉の墓、この祥雲禅寺も徹底的に破却されこの地は智積院に与えられ真言宗智山派の総本山として今日に至っています。











智積院での拝観を終え、自販機で缶コーヒーを飲みながら次のプランを考えます。候補は、渉成園、二条城、金戒光明寺の三ヶ所です。やはり夜間拝観が初訪問の金戒光明寺にしました。初めてだと、やはり感動の度合が違いますから、、、

賀茂別雷神社(上賀茂神社)から大田神社へ

2018年11月20日 22時45分02秒 | 日記
少し前の記事になりましたが、11月10日は"まいまい京都"の上賀茂神社イベントに参加しました。
上賀茂神社一の鳥居前で受付(今日の担当は阿比留さんです。)を済ませ、神職の藤木さんを待ちます。





藤木さんの案内で葵祭の前行事の競馬会神事がこちらの参道横の馬場で行われる事や枝垂れ桜、神馬舎の説明がありました。





古くは、貴族や武家は家の繁栄や戦勝祈願で神社に馬を奉納していました。その名残りが絵馬となり神社に願い事を書いて奉納するようになりました。

また、この上賀茂の地はすぐきの産地でも知られ境内にもて"この原理"に利用して漬物を作る行程の展示があります。すぐき漬けは塩のみで後は乳酸菌の発酵を利用しています。酸味は強いですが身体にはいいそうです。近くにはすぐき漬けの名店「なり田」さんがあります。

その後、正式参拝があり、上賀茂神社のご由緒の説明、国宝の本殿、権殿の前で神職さんが祝詞をあげられた後にお祓いを受けました。式年遷宮が終わったばかりなので檜皮の屋根や朱色の彩色も美しくなっていました。あの台風21号の強風にも耐えたんですねー。本当に良かったです。







正式参拝の後、高台にある摂社、お稲荷さんを巡りました。こちらの参道は台風の影響で多数の倒木があったようです。摂社のある高台からは展望が開け見晴らしがいいです。上賀茂さんにこんな高台があるのを今まで知りませんでした。









次に平安時代から杜若の名所 大田神社を訪ねました。藤木さんはこちらのご出身だそうです。
近年は鹿の食害で花の数が随分と少なくなっていましたが周りに鹿よけの金網を設置するなどの対策をされ、今年も訪れましたがかなり復活してきたように思います。







大田神社の前には北大路魯山人生誕の碑があります。



彼は上賀茂神社の神官の家に生まれましたが神職には就けずに丁稚奉公にだされます。
彼は母親の不貞の子で、父親はこれを苦に自殺、母親は失踪、親戚、縁者に育てられ、また虐待を受けるなど不遇な幼少期を過ごしました。しかし、奉公先で絵画、彫刻、料理などさまざまな知識、技能を身につけて、やがて、京都画壇の総帥 竹内栖鳳に見出され運命が開けました。しかし、幼少期の環境が影響したのでしょうか、6度の結婚生活もいずれも破綻しています。しかし、美食家、陶芸家として才能を発揮し、今では京都の有名料亭でも彼の器が使われています。

まいまいのイベントはこれで終わりです。
上賀茂神社に参拝した後はだいたい今井食堂さんで頂きます。鯖煮定食とおすすめ定食の2定食しかありませんが、この鯖煮が絶品です。3日間も煮込んいるので見た目は辛そうにみえますが、味が染み込んでいて骨まで美味しく頂けます。
また。ごはんも丼にたっぶりと盛られて出され、"おつゆ"も量はたっぶり、具はうす揚げと大根のみのシンプルさですが、とても美味しく懐かしお味噌汁です。
今回は、初めておすすめ定食を選びました。鯖煮、チキンカツ、コロッケ、卵焼きがワンプレートで出され、香の物まで付いています。ファミレスでミックスグリルを選ぶ僕のような欲張り屋にはピッタリのメニューです。これだけの量、味で750円とは驚きです。





店内には元オリックスバッファローズの平野佳寿投手(現ダイヤモンドバックスのメジャーリーガー)のサインが飾らせていて以前から気になっていました。たぶん、彼の出身大学の京都産業大学の野球部が近くの神山にあるのでよく、立ち寄っていたのだと思います。
会計の時に奥様にお尋ねすると、このオフも来られたようで真新しいサインが飾ってありました。

お腹も満たされて14時からの二条城本丸御殿の修復の講演があるアスニー京都へと向かいました。

番外編 滋賀県湖東(鶏足寺・石道寺・多良峡・永源寺)バスツアー

2018年11月19日 10時00分02秒 | 日記
今日、11月14日は、阪急交通社の滋賀湖東バスツアーに参加しました。
朝の7時10分に三国ヶ丘を出発し一路へ。
最初に訪れたのが長浜市木之本町にある鶏足寺(けいそくじ)。最近、湖東三山、永源寺のツアーによく組み込まれるようになりました。









参道には地元の方々が木製のリーフ、竹細工、栩(とち)の実が入ったお団子、五平餅などを販売されており、商売気というよりも訪問者を地元の食材、名物でもてなす感を凄く感じました。

集合時間まで時間があったので近くの石道寺(しゃくどうじ)を拝観し、重要文化財の十一面観音像をお参りしました。寺の縁起によると神亀3年(726)に延法上人により開基され、延暦23年(804)に伝教大師最澄により再興され、本尊十一面観音像を祀り巳高山(ここうざん)石道寺されました。







ご本尊は平安時代中期の欅の一木造りで普段は厨子の中におられるので彩色が残り木目が非常に美しい観音像で国の重要文化財に指定されています。今も博物館に寄託する事なく村の人たちが月番でお守りされています。

次に訪れたのが岐阜県大垣市にある多良峡です。「揖悲・関ヶ原・養老国定公園」「岐阜県の名水50選」「飛騨・美濃効用33選」「大垣市景観遺産」にも選ばれている渓谷です。









最後に訪れたのが臨済宗永源寺派大本山永源寺です。すっかりメジャーになった近江一の紅葉の名所です。直ぐそばを愛知川がながれ昼夜の寒暖差が紅葉の発色を良くしているのでしょうか?
寺の由緒は下にアップしているので素晴らしい紅葉風景をご覧下さい。
到着がちょうど夕暮れ時だったので、まだ陽が残る永源寺とライトアップされた永源寺の両方を楽しむ事ができ充分に満足出来たバスツアーでした。
かって、白州正子さんが深く愛した湖北の十一面観音。時間を作ってゆっくりと巡りたいとの思いを強くした一日でした。


















宇治木幡南山手 松殿山荘

2018年11月18日 09時20分11秒 | 日記
今日、11月17日は以前から予約していた松殿山荘を見学しました。こちらは今からおよそ900年前に時の関白藤原基房が松殿(まつどの)という別業を営んでいた跡地と言われています。





弁護士だった流祖高谷宗範(たかや そうはん)本名恒太郎は遠州流に精通しており、1918年(大正7年)に当時ひろく行われていた小間の茶のみならず茶道の起源である広間の茶、書院式の茶道を復興する目的で、この地を買い求め、十有余年の歳月をかけて建てたものです。
宗範の始めた茶を山荘流といいます。

今は、財団法人松殿山荘茶道会が管理されています。
平成29年(2017)に、本館はじめ12棟が国の重要文化財に指定されました。







大玄関は江戸時代の豪商天王寺屋五兵衛の屋敷の玄関を移築したもので、靴脱ぎ石も大阪より移設したものです。また、床柱は天王寺屋の屋敷の大柱を丸く削ったものです。天井は折り上げ格天井、鴨居は節のない檜の一枚板が使われ大変に凝った恒太郎の数寄を感じる造りとなっています。







続いて、お茶席に案内され、宗範の理想とした広間で25名の一席目でした。正客、次客はお点前で出されますが他は点出です。お薄も爽やかお味で、お菓子は上七軒の老松のお干菓子です。
正客に座られた方が何もおっしゃらないので年配のお茶の心得のありそうな女性の方と僕とで、お軸の事や、お釜、茶杓について亭主の方にお尋ねし、なんとかお茶会の場を取り繕った次第です。









眺望閣は18畳の立礼席の茶室で比叡山、上醍醐寺、二上山、生駒山、石清水八幡宮、大山崎、京都西山、明治天皇桃山御陵、愛宕山と見渡せ、遠くはあべのハルカスも見えました。
こんな素晴らしいパノラマを眺めながらお茶を頂く 最高の贅沢です。











山荘の設計は、すべて宗範自ら行っており、その基本は、方円の考えにもとずいており「心は円なるを要す」心は円満に丸く行いは常に正しく四角く、の考えに根ざしており随所に丸と四角の組み合わせがみられます。







丁度、紅葉🍁の見頃で庭園、各所に点在する建物をゆっくりと堪能させて頂き、流祖宗範のすごくこだわった数寄を感じる見学会でした。また、新緑の春も訪ねたくなりました。