新薬師寺を後にし次に東大寺戒壇院の東側にある千手堂を訪ねました。
戒壇院は、老朽化による修復と耐震化工事の為に閉門されています。
一年の調査がこの10月でようやく終わり11月からは二年間の予定で工事が行われる予定です。
中にお祀りされている天平時代の傑作・四天王立像は東大寺ミュージアムに仮住まいされています。
戒壇院が拝観出来ない代わりに通常非公開の千手堂が三年間にわたり公開されています。
千手堂は2回目の拝観ですが、美しいお姿の十一面観世音立像は見応えがたっぷりです。
最初の千手堂は鎌倉時代後期に東大寺の大勧進に任じられた圓照上人により建立されました。
その後、火災や兵火で焼失し、現在の建物は平成14年(2002)に被災前の姿に修復されました。
ご本尊は千手観音菩薩立像(鎌倉時代・重文)で四方を守護する四天王立像(鎌倉時代・重文)と共に黒漆塗厨子(鎌倉時代・重文)に安置されています。
厨子の扉絵には十一面観世音の眷属である風神雷神や二十八部衆が描かれています。
檜の寄木造で全身に塗られた金泥や切金細工がこの像をより美しく神秘的に見せています。
須弥壇の向かって左手には愛染明王像(鎌倉〜南北朝時代・重文)がおられます。
檜の寄木造で像の大半が当初のままだそうです。
密教の仏さまが東大寺にあるのも不思議です。
それだけ真言密教、天台密教の影響が強かったのでしょう。
また、右手には鑑真和上坐像(江戸時代・重文)が安置されています。
この像は江戸時代享保18年(1733)に唐招提寺開山堂の鑑真和上像を忠実に模刻された像です。
唐招提寺の像は乾漆造ですが、こちらの像は木造です。
和上は天平勝宝6年(754)に大仏殿前に戒壇を設け聖武太上天皇と光明皇太后に授戒された後、その翌年に戒壇院を開かれています。
そんな鑑真和上の遺徳を偲ぶ像でもあります。
江戸時代に描かれた「東大寺戒壇院伽藍絵図」です。
今回、訪ねた千手堂は絵の中央左上に描かれています。
ご本尊の千手観音の御朱印を授与して頂き、次に直ぐ近く水門町にある写真家・入江泰吉の旧居を見学します。