京都洛北にある崇道神社は桓武天皇の実弟で皇太子であった早良親王をお祀りしている神社です。
参道は深い緑に包まれています。
早良親王は延暦4年に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され乙訓寺に幽閉されました。
その後、淡路に流される途中も無罪を主張し、絶食死しました。
親王の死後、桓武天皇の近親者に不幸が続いたり、都に疫病が流行したりしました。
医学が発達していない当時は、これらは早良親王の祟りとされ、その怨霊を鎮める為に延喜19年に崇道天皇の追号を贈り陵墓を現在の八島陵へと改葬されました。
神社の創建年代の詳細はわからないそうですが貞観年代以降と推定されています。
早良親王をお祀りしている神社は上御霊神社や藤森神社、白峯神宮などがありますが崇道天皇のみをご祭神にしているのはこちらだけです。
伊多太神社は延喜式内社に載る古社でこの地域の産土神です。
また、湧水の神、農業の神として崇敬されています。
明治41年には崇道神社に合祀されています。
境内には小野神社も鎮座されており代々の小野氏一族をお祀りしており、ご祭神は小野毛人(みえし・妹子の子)です。
現在の社は昭和46年に地元の方々により再建されました。
境内の裏山には毛人の墓があり発掘調査の結果、毛人の墓誌が発見され国宝に指定されています。
現在、京都国立博物館で開催されている「京の国宝」展に展示されていました。