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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

学割日記

2006年07月04日 | Weblog
下にも書いた、ゼミのメンバーの一人が、ブログ開設したと報告してきました。早速、例の「表象」学会をレポートしてます。正直な感想が面白いぞ。ですよね。

学割日記

最近のこと、まとめて

2006年07月04日 | Weblog
6/28 今年担当しているある私立大学のゼミではじめて「飲み会」をやった。突然提案した割には、八割方学生が参加してくれて、それに普段教室でははなせないこともたくさん話せて、誠にうれしかった。それにしても、こういう機会に毎回思うのだけれど、いまどきの学生ってなんてシャイでまじめでいいひとたちなんだろう。気づけばすっかり酔ってしまった。

7/1 ヤン・ファーブル『主役の男が女である時』(@彩の国さいたま芸術劇場大ホール)。
1時間の上演中、最後の15分くらいが全裸でオリーヴオイルがまき散った床の上でソロのダンサー(コリアンのスン・イム・ハー)が踊るシーンだったのだけれど、そこだけが面白かった。すべる勢いで流れる体からは、ふつうの床での動くのとは違うキャラクターが生まれていたからだ。ぬるっとして、つるっとした体は、なまめかしいと言うよりもかわいらしく「卵」のよう。ある曲が始まるとそれが流れる間、きまって憑かれたように激しく踊る。それが繰り返される。前半もそうで、執拗に曲がなると体が勝手に動くといった設定を反復する。ぼくにはそれ自体があまり説得力がなく、ダンサーにもそういうフォーマットにも惹かれるところがなかった。ただ、この全裸のところだけは、どうしようもない脆弱な、羊水の中の赤ん坊のような柔らかな、不確かな体に魅了された。でも、タイトルにもある「男」についての男=銀色の玉(タマ)とかのアイディアには、全くもって醒めてしまった。音楽も含め、全体的にセンスというか批評性が感じられなかった。

7/2 矢内原美邦プロジェクト『青ノ鳥』(@STスポット)。
医学部系の学生たちが登場人物。「やせいねこ」という名のいえねこが野生化してしまったのを探そうとする者や、実験マウスの死に過剰に敏感になっている者とか、社会に巻き込まれるときの一個の生の脆弱さなどがベースになって「劇」は展開している(?)ようにも見えた、とくに前半。少しセンチなセリフに並んで過剰に動く体。それによって、演劇とダンスの関係を今回の矢内原はどう料理する?とか、そんなことを頭で理解しようとしていた前半は、正直あまり乗れなかった(マイクの前でしゃべる、とか、どなるのに声の出し方はウィスパー、とか、早口で入れ替わりしゃべりまくり動きまくりの背景にテロップでセリフをフォロー、とか、いろいろな試みも目立ったりしたので、なお考えてばかりいた)。
ところが、後半、3人の男たちが森に行く、という場面のあたりからか、とくに彼らの意味なく数字にこだわるセリフが、こだわりすぎてて妙におかしく思えて、つい吹き出してしまったあたりから、ぐーんと面白くなった(乗れた)のだ。3人のしゃべりながらの激しい動きが即興的に交錯する瞬間にぞくっとする。その時不意に「これ(ギャグ)マンガみたいだ」と思った。セリフの表情を体で伝えようとマンガのキャラがどんどん自分をデフォルメさせていく、あの感じ。すると、超早口でしゃべりまくるのなんかも、漫画を読むスピードを再現しようとしたと考えれば、合点がいく。これは、演劇でもダンスでもなく、あえていえばマンガだ。無理にこじつけるのもいけないが、そう考えたとたんに、いろいろなことがクリアになって(マンガなんだからセリフはいるよな、とか)、どんどん楽しくなっていく。下北の「漫読」の男の不思議な抑揚、みたいな不思議な抑揚だらけの身体、そうあれはマンガ的身体を上演する舞台だったのだ、きっと。
『3年2組』に乗れなかったぼくとしては、痛快(!)な気持ちだった。また、ニブロール(矢内原作品)を愛せる!考えてみればSTの狭さも良かったのかも知れない。激しい動きに体がデフォルメして見えるなんてのは、遠目で見たらなかなか難しいだろうと思う。

ニブロール(矢内原作品)を見る前に、しばし来年のイベントのためのミーティングをST脇のドトールでした。面白いことが出来そうだ。ところで、そのとき話題になったのは「浅田彰が、チェルフィッチュは「ゴミ」と一蹴した」ってやつ(@駒場、表象文化論学会)。ヤン・ファーブルのチケを先に取っていたために、見に行けなかったのだけれど、だからこまかいニュアンスは分からないのだけれど(でも翌日には、ゼミの学生がメールで報告してくれていた。きっとそんな感じでこの話口コミでもうずいぶん出回っているんじゃない?)、浅田氏が賞賛するひとたちの枠からチェルがはずれたことは(「ゴミ」ってそういうこと?そういうこととすれば)、時代を画する事態、という気もした。ちょっと。むしろ浅田彰がチェルを絶賛していた!なんてエピソードが残る方が「チェルやばい!」ってことになっていたかもしれないわけで。この話、今後、どう転がっていくのだろうか。

さて、今度は、ニブロール(矢内原作品)観劇後、湘南へ向かう。2週間後に迫ったプライヴェート・イベントの打ち合わせ。風は強かったが、雨の予報ははずれ、6時半頃には波に映えた、とてつもなく美しい夕日が見られた。当日も、こんな感じでよろしくお願いしますよ、神様。楽しみにしててください、ご来場予定のみなさん(写真が会場です)。