浦城(うらじょう)跡は、南秋田郡八郎潟町(はちろうがたまち)浦大町にある。
左が高岳山(たかおかさん)231mで、副川(そえがわ)神社があり、
天照(あまてらす)大神・豊受(とようけ)大神が祀(まつ)られている。
右の平坦に見える部分が標高121mの浦城跡である。
浦城跡への登り口は、画面左端にも駐車場があるけれど急坂である。
登り口はもうひとつ、麓(ふもと)を右に進み、秋田自動車道路の下をくぐって、
山を半周した裏側(北側)にある。
いまのところネットの地図に載っていないけれど、バスも通れる舗装道路と駐車場があり、
ここからは登りやすい。
「NPO法人 浦城の歴史を伝える会」の方たちによって、
手入れがよくされている。
見張り台
見張り台から、西の眺望。
光っているのは八郎潟(はちろうがた)が干拓された後も
残った八郎湖と大潟村を囲んでいる承水路(しょうすいろ)。
画面右上に霞んでいるのが、男鹿(おが)の寒風山(かんぷうざん)と本山(ほんざん)。
承水路に架かる橋の左手に押切城(おしきりじょう)があった。
本丸跡
神奈川県三浦半島を勢力圏にしていた豪族三浦氏は、1247年に北条氏に滅ぼされ、
一族は各地に散らばっていった。
この城最後の城主、三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)もその子孫であった。
西観音の瀧(たき)
城主、盛永が戦いに敗れ、切腹したところ。
ここが北側の登り口。
水を汲みに来ていた人がいた。
水飲み場があり、私も飲んでみた。
誰に敗れたかなどは、あとで。
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