kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

「昔の光いまいずこ」(2)

2012-11-13 16:10:19 | 霞んだ光景
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 浦城(うらじょう)跡は、南秋田郡八郎潟町(はちろうがたまち)浦大町にある。
 左が高岳山(たかおかさん)231mで、副川(そえがわ)神社があり、
 天照(あまてらす)大神・豊受(とようけ)大神が祀(まつ)られている。
 右の平坦に見える部分が標高121mの浦城跡である。


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 浦城跡への登り口は、画面左端にも駐車場があるけれど急坂である。
 登り口はもうひとつ、麓(ふもと)を右に進み、秋田自動車道路の下をくぐって、
山を半周した裏側(北側)にある。
 いまのところネットの地図に載っていないけれど、バスも通れる舗装道路と駐車場があり、
ここからは登りやすい。


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 「NPO法人 浦城の歴史を伝える会」の方たちによって、
手入れがよくされている。


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 見張り台


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 見張り台から、西の眺望。
 光っているのは八郎潟(はちろうがた)が干拓された後も
残った八郎湖と大潟村を囲んでいる承水路(しょうすいろ)。
 画面右上に霞んでいるのが、男鹿(おが)の寒風山(かんぷうざん)と本山(ほんざん)。
 承水路に架かる橋の左手に押切城(おしきりじょう)があった。


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 本丸跡
 神奈川県三浦半島を勢力圏にしていた豪族三浦氏は、1247年に北条氏に滅ぼされ、
一族は各地に散らばっていった。
 この城最後の城主、三浦兵庫守盛永(みうらひょうごのかみもりなが)もその子孫であった。


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 西観音の瀧(たき)
 城主、盛永が戦いに敗れ、切腹したところ。
 ここが北側の登り口。
 
 水を汲みに来ていた人がいた。
 水飲み場があり、私も飲んでみた。


 誰に敗れたかなどは、あとで。
 
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コメント

「昔の光いまいずこ」(1)

2012-11-12 11:54:37 | 霞んだ光景
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 檜山城(ひやまじょう)は、「秋田県能代市檜山字古城外」にあり、
室町時代から使われている標高145mの山城である。
 正面の山が檜山城跡、川は檜山川である。


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 城跡登り口。
 車で登れるのだが、道幅は狭く急坂である。
 この日は落ち葉も積もって滑りやすく、私の運転技術では無理なので、歩いて登った。


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 酒で薄まった血液と運動不足のため息切れしたが、
攻撃されないように作られているのが山城なのを、歩くことによって実感した。


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 二の丸


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 本丸
 城跡は木々で覆われているが、攻撃を防ぐために急勾配を
いたるところに設置しているわけだから、実用時には木はなかっただろう。


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 隅櫓(すみやぐら)跡から能代市街方面の光景で、日本海も見える。
 木々がある現在の状態では、敵が攻めてくるのを発見することはできない。
 隅櫓は偵察と防備を兼ねた城の隅にある施設で、角櫓とも書く。


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 同じく隅櫓跡から、北の白神山地を眺める。
 眺めているうちに、米代川はもっとこの城寄りのところを
流れていたような気がして、少し流路を変えた。
 麓を流れる檜山川を使い、底が平らな川船で行き来していたような気がする。

 数回に分けて幻想していくのは、関が原合戦頃の話である。
 そのころ安東愛季(あんどうちかすえ)、その子、実季(さねすえ)がこの城にいた。


 「昔の光いまいずこ」は、歴史そのものが目的ではないから、簡易説明にしている。
 
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コメント

卑弥呼(ひみこ)

2012-11-06 14:45:16 | 霞んだ光景
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 女性の顔を、3Dで作った。
 どうすれば、女性らしく見えるのか試行錯誤しているうちに
できた画像である。
 女性の恐ろしさをみごとに表現していると思えたので、
画題を卑弥呼とした。^^;
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使用ソフト:3Dフリーソフト Blender 2.64
  前回の車で、タイヤを円柱からべベル(面取り)をして
 作ろうとしたが、うまく作動しなかった。
  Bメッシュという形式に変わったためのバグのような気がした。
 しかし、今回の人形作りでは、そのBメッシュのおかげで、
短時間で作り上げることができた。
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