こんにちは。
私は猫のももです。
私のお話を聞いていただけますか。
私は2010年の秋に生まれて、そして2011年にこの家にやってきました。
1.
ママは、その時、今新しく動物を飼うのはどうなんだろうかと悩んでいたみたいです。
2011年の3月に大きな地震がありました。
悲しい想いをしたのは、人間ばかりではなかったからです。
でもパパがホームセンター内にあるペットショップで、じっとパパを見つめていた私を見てひとめぼれをしたそうで、私は家族になったのです。
迎えにパパと一緒に来たママは
「えっ、子猫・・・・だよね。」とちょっと首をかしげました。
私はちょっと育ち過ぎていたのです。
だから私の為に払わなければならない「オカネ」と言うものが大分安くなっていたみたいなのです。
もちろんそんな事は私には分からない事です。
ただペットショップのお姉さんが、私を抱いて頬を寄せて言いました。
「本当に良かったね。」
それを横目で見ていたママは、後で私に言いました。
「あの時パパとももちゃんが見つけあったのは運命だ。」って。
私がそのペットショップを去る日も、大きな余震があってホームセンターの中が大きく揺れました。
「余震って分かっていても怖いわ。」と震えるママの肩をパパが抱いていました。
やって来た家には、やんちゃなラッタ兄ちゃんと優しいルート兄ちゃんもいました。
ルート兄ちゃんは大学最後の3月でしたが、結局卒業式も行われず、普通の教室で行われた卒業証書授与式の後、就職の決まっていない学生たちが大学に研究生として残ろうと、事務局の周りを列をなしていたそうです。兄ちゃんはその道を選びませんでした。
と言っても、私が来たのはそんな事のあった後からです。
2.
ある時、ママが「テレビ」と言う四角い窓を見つめてぼろぼろと泣いていました。
テレビと言う窓は、人間の為のものですから私はほとんど見ませんが、その頃、私もまだまだ子猫。好奇心も強かったので一緒に見ていました。
3月11日には、きっと大きな揺れの為にがれきの下になってしまった猫や犬もいたでしょう。
大きな津波の渦に巻き込まれてしまった猫や犬もいたでしょう。
そんな事は全くニュースでは見る事はありません。
でもその日は、がれきの下にもならず津波にも飲み込まれていなかったのに、家族と引き裂かれてしまった猫と犬の事がテレビに映っていました。
「ゲンパツ」のせいだとかです。
会いに来たその猫と犬のお母さんが、
「お前、痩せたなあ。」とやって来た猫に声を掛けました。
その猫は痩せたばかりではなく、すっかり薄汚れてしまっていました。猫はツンツンとすましていました。
でも私には分かりました。
― ふぅやれやれ。やっとお留守番は終わりね。長かったじゃないの。
その猫はそう言っていたのです。
でもお母さんとお父さんは様子を見に来ただけ。
泣きながら帰っていきました。
それを犬が追いかけました。
テレビを見ていた人は、みんな声をあげて泣いたと思います。
なぜだか、猫には時々不思議な力が出せる時があるんです。
その時もテレビには映っていないその続きの猫と犬の姿が、私には見えたのです。
犬は途中まで全力で追いかけました。でもとうとう力が尽きて走り去っていく車を胸がつぶれる思いで見送りました。
そしてとぼとぼと今来た道を戻って、自分の家に戻りました。
そこには猫がのんきそうな顔をして寝ていました。
戻ってきた犬のがっかりした顔を見て、猫はまた長い留守番が始まった事を知ったのです。
「きっと」と猫は言いました。
「きっと私が何か悪い事をしたのね。」
「きっと」と犬が言いました。
「俺が良い子じゃなかったからだ。」
二匹は互いの体を舐めあって泣きました。
灯の消えた村の夜は真っ暗です。
ただ降るような星が天空で瞬いているだけです。
二匹は丸まってまるで一匹になったように寄り添って眠りました。
3.
優しいルート兄ちゃんにとって、2011年は本当につらい一年でした。
「もっも」と帰ってきた兄ちゃんは、ただ名前を呼んで頭を撫ぜてくれました。
「もっも」と名前を呼ぶだけ。
でもその呼び方で、それは涙をこぼす代わりに名前を呼んだのだと私には分かっていました。
「シュウショク」と言うものが決まりません。
「キュウジン」と言うものがありません。
「ヒサイチ」ではないのに、「ガレキ」の中を歩いているような毎日だとママは言っていました。
パンパンと頬を叩いて、ママは笑顔を作っていました。
そしてその笑顔の効果を確かめるように「ネッ、ももちゃん」と私の顔を覗き込むのでした。
4.
テレビと言う窓で、女の人が
「震災から4年。」と言いました。
「じゃあ、ももちゃんも4歳だね。早いわ~。こんなに大きくなっちゃって。」とママ。
震災で私の年を数えるのは止めてもらいたいような気もしますが、、きっと分かりやすいのでしょう。
「ももきち~!!!」と仕事から帰ってきたルート兄ちゃんが、ハイテンションで頭を撫ぜに来ました。
ルート兄ちゃんは言いました。
「あの時さ、ももきちが居てくれてどれだけ癒されたことか。うちに来てくれて良かったなあ。」
「ありがとう、もも。」とママが言いました。
「ありがとう、もも。」とパパも言いました。
ところで、もう一人いたラッタ兄ちゃんはいつ帰ってくるのでしょう。
「そうねえ。次は夏に帰ってくるかしら。それとも次のお正月かしら。」とママがぼやいていました。
長いお出掛けです。
いったいいつお出掛けしたのでしょう。
私にはいつの間にかと言うことが多すぎてさっぱり分かりません。
だから私は今でも時々不安になるのです。
それで爪を隠した丸めた手で
「ねえねえ。ねえねえ。」とママの肩を叩きます。
「えっ、なあに。良く分からない。ごはんあげたし、おやつもあけたし、トイレは綺麗だし、ベランダに出たいわけじゃないし・・・・・」
猫語が分からなくてママは困っているみたいです。
なかなか私の思っている事は伝わらないのです。
私の願いはただ一つ。
「私を一人ぽっちにしないでください。」ー。
いつの間にかわけも分からず家族と引き離される、そんな事がありませんように。
そう私は祈っているのです。
5.
こんにちは、私は猫のももです。
2010年に生まれて2011年にこの家にやってきました。
あの時、命絶たれてしまった者の無念さはいかばかりか知る術もない事ですが、残された者たちにはそれぞれの4年間がありました。
あの時と言う点があり、そこから今と言う点に線でつなぎ、その線を覚えていくのだとママが言います。
2011年を生きた猫の皆様、そして猫と共に地上に生きる皆様、
長いお話を聞いてくださってありがとうございました。
昨年の3月11日の記事は→「忘れないよ、3.11」