kintyre's Diary 新館

野球(西武ファン)や映画観賞記等を書き綴っています。野球のオフ期には関心の高いニュース等も取り上げています。

映画『もうひとりのシェイクスピア』を観て

2012-12-23 19:08:38 | ヨーロッパ映画

12-103.もうひとりのシェイクスピア
■原題:Anonymous
■製作年、国:2011年、ドイツ・イギリス
■上映時間:129分
■観賞日:12月22日、TOHOシネマズシャンテ
■料金:0円(1カ月フリーパス)

 

□監督・製作:ローランド・エメリッヒ
◆リス・エヴァンス(オックスフォード伯エドワード・ヴィア)
◆ヴァネッサ・レッドグレイヴ(エリザベス1世)
◆ジョエリー・リチャードソン(若き日のエリザベス1世)
◆デヴィッド・シューリス(ウィリアム・セシル)
◆セイヴィア・サミュエル(サウサンプトン伯ヘンリー・リズリー)
◆セバスチャン・アルメストロ(ベン・ジョンソン)
◆レイフ・スポール(ウィリアム・シェイクスピア)
◆エドワード・ホッグ(ロバート・セシル)
◆ジェイミー・キャンベル・バウアー(若き日のエドワード・ヴィア)
【この映画について】
史上最高の劇作家と呼ばれながら、その生涯が謎に包まれているウィリアム・シェイクスピア。彼の手による名作の数々は、実は別の人物が手がけていたともいわれる、文学史上最大の謎に迫る歴史ミステリー。数々のスペクタクル作で知られるローランド・エメリッヒ監督が、16世紀末のロンドンを舞台に、時代に翻弄された男の運命を描く。(この項、MovieWalkerより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
16世紀末。エリザベス一世統治下のロンドンの街では演劇が盛んになり、市民も貴族も芝居に熱狂していた。ある日、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアが、サウサンプトン伯に連れられ、評判の芝居を見にやってくる。作者はベン・ジョンソン。
鮮やかな芝居に感心するエドワードだったが、芝居の途中でエリザベス一世の宰相、ウィリアム・セシル卿の兵が現れて上演を中止させ、劇場は大混乱となる。セシルは、老いたエリザベスの後継にスコットランド王ジェームスを据えようとしていた。エドワードにとってセシルは義父だが、彼はチューダー朝の王たるべき者が後継であるべきと考えていた。エドワードが庇護するサウサンプトン伯とともに“エリザベスの隠し子”と噂されるエセックス伯も強力なチューダー朝派で、セシルは彼らをエリザベスから遠ざけようしていた……。

16世紀半ば、若きエリザベスは、オックスフォード家に招かれ、エドワードによって書かれた芝居を見る。それから間もなく父を亡くしたエドワードは、ある密かな理由からセシル卿に引き取られて英才教育を受け、文武に秀でた美しい青年へと成長。やがてエリザベスはエドワードを男性として愛するようになる。女王とエドワードの恋愛に危険を感じたセシルは、エドワードを宮廷から追放。だがエリザベスはエドワードの子を身ごもっていた。
エドワードはセシルの娘と結婚を強いられ、以来彼は望みを失い、屋敷の書斎に篭ってばかりいる生活を送るようになった……。牢に捕われていたベンを助けたエドワードは彼を自分の屋敷の書斎に招くと、自分が書いた戯曲を君の名で上演して欲しいと申し出る。エドワードが渡した戯曲は「ヘンリー5世」。半信半疑で役者たちに戯曲を渡したベンだったが、ローズ座での上演は大好評。興奮した観客は作者の登場を要求するが、その時、ベンの機を先んじて、芝居に出ていた役者ウィリアム・シェイクスピアが舞台に進み出て自身が作者であると名乗り出る……。

この作品、原題は「匿名」という意味だが邦題ではシェイクスピア自身のストーリーのような錯覚を覚えるが、原題にあるようにオックスフォード伯が書いた作品を無名の役者兼作家だったシェイクスピアを利用して発表させていたという内容。だからか、シェイクスピアの話ではなくて「オックスフォード伯」の話なのだ。
そのオックスフォード伯に絡む当時の時代背景とエリザベス1世の関係を巧に絡めた展開で、ヴァネッサ・レッドグレイヴ演じる女王は貫録あるが、彼女の若い頃だけを演じている訳ではないのでレッドグレイヴが配役されたのだろう。

この「シェイクスピア」別人説は以前からある説で、彼の自筆の原稿が無いとかいきなり表舞台に登場したとか、有名な肖像画にも別人説がある。中にはエリザベス1世説まで囁かれている。
そういう歴史を探るのは面白いが、私自身は別人説はどうでも良いのだ。これでも私の大学での専攻は「英語英文学」だし、卒論もシェイクスピア関連だから、別人だとしたら大学での勉強は何だったのか?って感じ。更には、卒業後、何度も英国に行って生誕地のストラスフォード・アポン・エイヴォンにまで行って来たのだから...。


映画『007 スカイフォール』を観て~アカデミー賞2部門受賞

2012-12-08 19:50:24 | ヨーロッパ映画

12-96.007スカイフォール
■原題:007Skyfall
■製作年・国:2012年、イギリス・アメリカ
■上映時間:143分
■観賞日:12月8日、TOHOシネマズ六本木ヒルズ
■料金:0円(1カ月フリーパスポート)



□監督:サム・メンデス
□主題歌:アデル
◆ダニエル・クレイグ(ジェームズ・ボンド)
◆ハビエル・バルデム(シルヴァ)
◆ジュディ・デンチ(M)
◆ベン・ウィショー(Q)
◆レイフ・ファインズ(ギャレス・マロリー)
◆ナオミー・ハリス(イヴ)
◆ベレニス・マーロウ(セヴリン)
◆アルバート・フィニー(キンケイド)
◆オラ・ラパス(パトリス)
【この映画について】
スパイ映画の代名詞ともいうべき『007』シリーズ50周年にして第23作目。ダニエル・クレイグが三度目のボンド役を演じ、『ノーカントリー』のハビエル・バルデムが悪役で登場。
シリーズ初となるオスカー監督サム・メンデスが緊迫したアクションを交えながら、ジェームズ・ボンドというひとりの男の“死と再生“を重厚なタッチで描き出す。なお、アカデミー賞ではアデルが歌った主題歌賞、音響編集賞の2部門で受賞した。(この項、ぴあ映画生活より転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
愛した女性を死に追いやった組織を追い詰めるべく、ハイチやボリビアなど各地を舞台に壮絶な戦いを続けるジェームズ・ボンド。ある日、直属の上司Mが秘めていた過去の事件が浮かび上がってくる。その衝撃的な内容は、Mに対するボンドの信頼と忠誠心を試すかのようだった。そんな中、彼らの所属するイギリス情報局秘密情報部“MI6”が何者かの標的に。ボンドの任務は、その相手を発見し、脅威を取り除くこと。たとえ、その代償がいかに個人的なものだったとしても……。

007シリーズ生誕50周年にして23作目がこのスカイフォールだ。今回はイスタンブールが舞台になっていて、オープニングでNATOの囮捜査官の氏名が記されたHDDが何者かに盗まれたことで、ボンドはマニーペニーと共にHDDの行方を追うのだが、ボンドがHDDを持っていたフランス人傭兵と列車上で格闘している間に、マニーペニーが本部のMからの銃撃指令を受けて発射した弾が運悪くボンドを直撃して?しまい川へと落ちて行き生死不明の状態に。
ボンドは辛くも死を逃れていたのだが、MI6本部では殉職したとされた。ボンドは帰還せずリゾート島?で一人過ごしていた。その時、MI6本部が何者かに爆破され、ボンドは帰国を決意した。だが、体力が戻らないボンドは直ちに現場復帰をする訳には行かず、復帰へ向けて仮免状態で現場復帰を果たす。
その後、ボンドは上海~マカオと渡り黒幕が元MI6のシルヴァであることが判明。シルヴァは自身がMに裏切られたとの思いからHDDを盗み殺害を繰り返す。そして、シルヴァとボンドの対決はMも同行して、ボンドの心のふるさとであるスコットランドの「スカイフォール」へと舞台を移す。だが、ここでの戦いで傷を負ったMは戦死、シルヴァはボンドに殺害される。

Mはこの事件が落着した暁には引退することになっていたのだが、引退するこなくその座を去ることになった。さて、MI6部長はマロリーが引き継ぎ、イヴが新マニーペニーとなり、007シリーズは次作から新たな体制でのスタートを切ることになる。

こうして23作目にして007シリーズは新たな展開へ向けて一旦は終幕となる。と言ってこの人気シリーズが永遠にジ・エンドとなる訳では無い。今回はボンドと対峙する悪役にスペイン出身のハビエル・バルデムがキャスティングされ、彼の悪役としての不気味さが発揮されていた。そのバルデムとボンドがマカオ沖の島で対峙する場面のモデルになった場所が長崎県の通称軍艦島と呼ばれる現在は無人島になっているかつては炭鉱があった島だ。
実際には軍艦島を模してスタジオで再現セットを組んだそうだが、エンドロールでは日本語で「長崎県軍艦島」とクレジットされていた。

最後に、007映画の楽しみの一つである主題歌はアデルが担当している。この曲、中々良い出来です。アカデミー賞の作曲賞と主題歌賞にノミネートされているので結果が楽しみです。 


映画『情熱のピアニズム』を観て

2012-11-26 20:37:54 | ヨーロッパ映画

12-93.情熱のピアニズム
■原題:Michel Petrucciani Body & Soul
■製作年・国:2011年、フランス・ドイツ・イタリア
■上映時間:103分
■観賞日:11月25日、吉祥寺バウスシアター(吉祥寺)
■料金:1,800円



□監督:マイケル・ラドフォード
【ドキュメンタリーの為、主な出演者及び証言者】(順不同)
◆ミシェル・ペトルチアーニ(生前の本人)
◆ユージニア・モリソン(ミシェルの恋人)
◆フィリップ・ペトルチアーニ(兄)
◆トニー・ペトルチアーニ(父)
◆アルド・ロマーノ(ドラマー)
◆エルリンダ・モンターニョ=ヒスコック(最初の妻)
◆リー・コーニッツ(サックス奏者)
◆エリオット・ジグモンド(ドラマー)
◆アレクサンドル・ペトルチアーニ(息子)
◆アンディ・マッキー(ベース奏者)
◆マリー・ロール・ロペルシュ(ミシェルの恋人)
◆フランソワ・ザラカン(プロデューサー)
【この映画について】
その笑顔を見れば誰もが彼を愛さずにはいられなかった。そしてその演奏を聴けば並外れた才能に圧倒され、生み出される音楽に酔いしれることになる。名門ブルーノート・レコードとヨーロッパ出身のミュージシャンとして初めて契約を交わした稀代のピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニの短くも情熱的な人生を、彼を知る人々の貴重な証言と数々の演奏シーンで綴ったのが本作である。
メガホンをとったのは『イル・ポスティーノ』で世界的に絶賛され、ドキュメンタリーの名手でもあるマイケル・ラドフォード。恋する相手には事欠かず、何でも経験してみたいと常に変化を愛したペトルチアーニ。どんな時も全力で生きた姿に魅了される。
(この項、gooより転載しました)


【ドキュメンタリーの為、ストーリーは割愛】
「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォード監督が、36年という短い生を駆け抜けたフランスのジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニの生涯に独自のアプローチで迫るドキュメンタリー。
ミシェル・ペトルチアーニの数奇な人生は、1962年、全身の骨が折れた状態で生まれた時から始まる。ガラスのような骨を持つ病気のため、幼少の頃は歩くこともできず、身長は成人してからも1メートルしかなかった。だが、彼は桁外れの音楽的才能と、誰にでも愛されるカリスマ的人格を神から与えられた。8歳で初舞台を踏み、13歳でプロデビュー。

渡米後は数々の伝説的ミュージシャンとセッションを重ね、フランス人として初めてブルーノート・レコードと契約を交わし、彼の才能は世界中に知れ渡ることとなる。幼少期から亡くなる直前までの日常や演奏風景のほか、彼を良く知る錚々たるミュージシャンやレーベルプロデューサーのインタビューを交え、人々を魅了し続けたカリスマの人生に迫る。

そもそもジャズのレパートリーは少ない私ですが、何故かこの映画は観てみたいと思ったので近所の映画館で偶然公開していた本作を観た。彼のCDは1997年にブルーノート東京でトリオで臨んだライヴ盤「Trio In Tokyo」と、この映画を観た後に買った「Music」の2本だけなので、余分な知識無しで映画を観たことになる。
この映画ではイタリア系フランス人一家で音楽家でもある父を中心としたミシェルの生い立ちに始まり、アメリカへ渡ってからの生活からNYで亡くなるまでの全てを網羅している。彼のキャリアは渡米してから暫くは陽の目を見ないが、英語力の驚異的な上達と同時に徐々に彼の名声は高まって行く。

世界的名声を得た彼はライヴに没頭し、死の前年である1998年には200本を超えていた。愛すべき天才の素顔は豪快で自信に溢れ、享楽的でユーモアを解する愛すべきキャラクターだったが、常に女性問題を多く抱えていた。孤独を嫌う天才のそばには常に女性に囲まれており、それは彼が結婚しても変る事は無かった。
作品の中でも彼の元妻や元恋人と称する女性が度々登場し、彼との思い出話をカメラの前で語っていたが、どの女性も彼を悪く言う事は無かった。
音楽面では彼の生前のライヴ演奏シーンがふんだんに紹介され、彼を良く知る錚々たるミュージシャンやプロデューサーらが証言している。そして彼の情熱ほとばしる演奏が如何に聴衆を魅了していたかが良く分かる構成だった。
最後の方で父ミシェルとウリ二つの容姿を持つ息子アレクサンドルが画面に登場したのには驚いた。何と、息子も父と同じ障がいを抱えているのだった。

20歳までしか生きることが出来ないとさえ言われて、36歳まで生きてNYで亡くなった。その最期は連日のライヴで体調を崩し、しかもドラッグに依存しての最期だったのは残念だが、充分に濃い人生を全うしたのではないだろうか!


映画『ロックアウト』を観て

2012-11-24 10:07:48 | ヨーロッパ映画

12-91.ロックアウト
■原題:Lockout
■製作年・国:2011年、フランス
■上映時間:95分
■観賞日:11月23日、渋谷シネパレス(渋谷)
■料金:1,800円

 

□監督・脚本:スティーブン・レジャー、ジェイムズ・マザー
□脚本・製作:リュック・ベッソン
◆ガイ・ピアース(スノー)
◆マギー・グレース(エミリー)
◆ヴィンセント・リーガン(アレックス)
◆ジョセフ・ギルガン(ハイデル)
◆レニー・ジェイムズ(ハリー)
◆ピーター・ストーメア(ラングラル)
【この映画について】
プロデューサーとしてアクション表現に磨きをかけてきたリュック・ベッソンが描く、2079年の未来社会。囚人たちの暴動が発生した宇宙刑務所を舞台に、人質となった女性を救い出すミッションに挑む元CIAエージェントの活躍を描いたSFアクション。閉鎖された監獄で、500人の囚人を相手に孤軍奮闘するのはガイ・ピアース。切れ味鋭いアクションだけではなく息詰まる心理戦が融合した作品だけに、ピアースの細かな演技にも注目したい。
監督は、短編やテレビシリーズで活躍してきたスティーブン・レジャーとジェムズ・マザー。ベッソン特有の斬新なアイデアにあふれた設定と、気鋭の監督による緊張感みなぎる映像の連続が本作の大きな魅力だ。(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】
2079年。極限まで高まった人類の安全への欲求は、刑務所の管理体制にまで及んでいた。コールドスリープによる囚人の完全管理、銃火器搭載の自動防衛システム、ソーラーシステムによる半永久稼働の最新設備を備え、500人の凶悪犯を実験的に収容した脱獄成功率0%の刑務所“MS-1”。それは、地上ではなく宇宙に浮かぶ究極の監獄だった。

組織の重要機密漏えい事件を追っていたCIAエージェント、スノーは、ホテルの一室で殺害された同僚を発見する。しかし、激しい追撃を受けるうちに、証拠を握る仲間は消え、国家安全保障局に捕えられたスノーは同僚殺しの容疑によってMS-1への収監が決定する。
その頃、MS-1は人道団体を率いる大統領の娘エミリーの訪問を受けていた。囚人に対する扱いに疑惑を抱く彼女の目的は、聞き取り調査を行なうことだった。早速、囚人の中で最も凶暴と言われるハイデルの聴取が始まるが、ハイデルは隙を突いて銃を盗み、瞬く間に囚人たちをコールドスリープから目覚めさせる。
一斉に解き放たれた500人もの凶悪犯たち。MS-1は誰も近づくことの出来ない完璧な要塞と化し、刑務所職員とエミリー一行は彼らの人質となってしまう。囚人たちのリーダー、ハイデルの兄アレックスは、囚人全員の解放を要求。1時間ごとに人質を殺してゆくと宣言する。
エミリーが大統領の娘であることに彼らが気付くのも時間の問題だった。CIA調査官ハリーは、動揺する大統領にスノーのMS-1潜入を提案。500人の凶悪犯に1人で立ち向かう単独潜入ミッションが、こうして幕を開ける……。

主役のガイ・ピアース出演の映画は沢山観ているが、彼が主演となると?どちらかと言えば地味なタイプの俳優さんだが、ここでは凄腕の一匹狼的なCIAエージェント役で、その経験を買われて?宇宙へと飛び出して人質となった大統領令嬢を救いに行くという役割。
そもそもMS-1へ行くもう一つの理由はスノーの元パートナーのメイスがそこに居るとの情報があったのも理由だった。この宇宙監獄とも呼ばれるMS-1だが、大統領令嬢が簡単に乗り込めるような場所とは思えないのだが、それよりハイデルが隙をついて銃を奪うシーンは鮮やかなのだが、あんなに簡単に奪われて良いのか?ってな疑問が湧いてくる。
そして看守と凶悪犯達の立場が逆転してしまい、ついにはアメリカ大統領までが乗り込んでくる事態に発展も、大統領は娘の身を案じて強行突入を進言する情報機関長官ラングラルによって指揮権をはく奪されてしまうなど大統領としての威厳は見られず。

結局、脱出ポッドでの帰還は出来なくなり、それでもMS-1の大爆発と同時に宇宙服を纏っていた二人は無事にNYへ帰還するのだが、本当に宇宙服だけで大気圏を突破出来るのかはコレマタ疑問に感じました。
コールドスリープで精神に異常をきたしたメイスだったが、その時メイスはスノーに大事なブリーフケースの情報を与えていたことで、彼への疑いは晴れて、スノーの機転でハリーが二重スパイだったことが判明。大事なメモリーカードも戻って来てメデタシ。

ガイ・ピアースは宇宙で大統領令嬢エミリーを救出することになるのだが、決して強くて格好いいヒーローでは無かったのだが、それでもガイ・ピアースの従来のイメージとは違う役柄だったので、彼の演技の幅が拡がったのは間違いないが、リーアム・ニーソンのようなタイプのアクション・スターにはなれそうな雰囲気は...無いかも?


映画『ソハの地下水道』を観て

2012-10-28 22:25:06 | ヨーロッパ映画

12-84.ソハの地下水道
■原題:In Darkness
■製作年、国:2011年、ドイツ・ポーランド
■上映時間:145分
■字幕:吉川美奈子
■観賞日:10月27日、TOHOシネマズシャンテ(日比谷)
■料金:1,800円

 

□監督:アグニェシュカ・ホランド
◆ロベルト・ヴィェンツキェヴィッチ(レオポルド・ソハ)
◆ベンノ・フユルマン(ムンデク・マルグリエス)
◆アグニェシュカ・グロホフスカ(クララ・ケラー)
◆マリア・シュレーダー(パウリナ・ヒゲル)
◆ヘルバート・クナウプ(イグナツィ・ヒゲル)
◆キンガ・プライス(ヴァンダ・ソハ)
【この映画について】
たとえ死と隣り合わせの戦時下であろうと、そこが悪臭と汚濁にまみれた下水道だろうと、人は人としての営みを辞めることはない。ホロコーストを題材にした映画はこれまでにも数多作られてきたが、実話をもとに『太陽と月に背いて』『敬愛なるベートーベン』のポーランドが誇る女性監督アグニェシュカ・ホランドが極限状態のリアリティを追求した本作は、ソハという主人公によってユニークさを極めている。
一介の貧しい労働者である彼は狡猾ではあっても英雄や聖人からは程遠い。その男が絶望的な暗闇の中で一筋の希望の光りとなる。いわば普通の人の正義と良心の軌跡が描かれるのだ。米アカデミー賞外国語映画賞ノミネートの秀作。出演は「国家の女リトルローズ」のロベルト・ヴィエツキーヴィッチ。(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
1943年のポーランド。下水修理と空き巣稼業で妻子を養っている貧しい労働者のソハは、収容所行きを逃れるために、地下水道に繋がる穴を掘っているユダヤ人たちを発見する。
ドイツ軍に売り渡して報奨金を手にするチャンスだったが、迷路のような地下水道の構造を誰よりも知り尽くしたソハは、彼らを地下に匿い、見返りに金銭を得ることを思い立つ。ところが、子供を含むユダヤ人のグループは彼の手に負えるような規模ではなかった。面倒を見きれないほどその人数は多く、隠れ場所の移動や食料の調達さえ容易ではない。その上、執拗にユダヤ人狩りを行う将校が目を光らせ、ソハの妻子や若い相棒は処刑の恐怖に怯えるようになる。

自らも極度の精神的重圧に押し潰されそうになり、手を引くことを決意するソハだったが、時既に遅し。同じ生身の人間であるユダヤ人たちに寄り添い、その悲惨な窮状を目の当たりにしてきたソハは、自分でも信じ難い、彼らを“守る”という茨の道を選択するのだった……。

この作品は最近のヨーロッパ映画で取り上げられるパターンが目立ってきた、第2次世界大戦下のユダヤ人迫害に関するものである。例えば、「黄色い星のこどもたち」とか「サラの鍵」もそうですね。
で、この作品は1943年のポーランド領ルヴフ(現、ウクライナ領リヴィウ)が舞台でユダヤ人を救済した名もなきポーランド人の物語である。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害は熾烈を極めており、ユダヤ人の身にいつ危険が迫るかという強迫観念に怯えながらの生活が続いていた時代だ。
ルヴフの町にもユダヤ人狩りの足音が迫っており、彼らは危険が迫れば直ぐにでも逃げ出せる準備だけは整えていた。そして、遂に、ユダヤ人一斉検挙の日に、彼らは前もって下水道に実を隠すべく手筈を整えていたが、下水修理工のソハとシュチェペクは、彼らの存在を知り彼らから下水道の中の安全な場所を提供する見返りに報酬を要求してきた。

ソハには妻子がおり生活に余裕はなく、ユダヤ人に対して良い感情は持っておらずも、彼らから金をせしめて最後は軍に通報しようと企む。
だが、そのソハにも少しずつ彼らに対する同情心が沸いてきて、下水道へユダヤ人を匿っているのでは無いかと軍から怪しまれても機転を利かせて彼らを救うのだった。
そんなユダヤ人の地下生活は過酷だった。地上の大雨の際には雨水が大量に地下に流れ込みあわや全滅の危機も何とか乗り越えた。
ユダヤ人たちも一枚岩ではなく、早く地上へ戻りたい家族もいるし、中には出産を控えている妊婦もいたり、子供もいたりと、この地下生活は結局1年4カ月(だったと思いますが)続いた。上が安全だと決心して地上へと戻ったのだが、エンドロール前の字幕でソハは彼らを解放後、間もなくしてソ連軍の車両に轢かれて亡くなったそうだ。

この地下生活を送ったユダヤ人は戦後世界各地に散らばり、「この名もなき英雄・ソハ」の行為は、匿われてその後生き延びた一人が回想録を死の前に執筆したのがきっかけのようだ。
歴史上の時系列と、映画上の時系列は登場人物も含めて多少異なるようだが、最初はユダヤ人を救う気持ちは薄かった「ソハ」だが、彼らの命を救ったのはソハだったのは紛れもない事実だ。

映画としては英語のセリフはなく、基本はポーランド語でありながら、当時のルヴフの民族分布をあらわしたように、登場人物のルーツによりドイツ語、ウクライナ語、イディッシュ語(ユダヤ人の言語)などで話され、途中で苛立ったソハが「ポーランド語で話せ!」というシーンが登場する。まあ、日本人はそれらの言語の違いは分かりませんし、字幕を追いかけるだけですが、ユダヤ系の監督ならではのこだわりがこういう点にもありましたね。
映画の大部分は下水道の中でのシーンであることから、映像は当然ながら全体として暗く汚水が漂うシーンばかりなので撮影スタッフは苦労したようだ。下水道は実物を模したセットを作って撮影されたそうだ。

決して派手で娯楽性に富む作品では無いが、ユダヤ人の生命力の強さと、それを助けたソハの心境の変化の推移がしっかりと描かれていて、とても印象的な作品だった。


映画『危険なメソッド』を観て

2012-10-27 13:02:33 | ヨーロッパ映画

12-83.危険なメソッド
■原題:A Dangerous Method
■製作年、国:2011年、イギリス・ドイツ・カナダ・スイス
■上映時間:99分
■字幕:グレイヴストック陽子
■観賞日:10月27日、TOHOシネマズシャンテ(日比谷)
■料金:0円



□監督:デヴィッド・クローネンバーグ
◆ヴィゴ・モーテンセン(ジグムント・フロイト)
◆カール・グスタフ・ユング(マイケル・ファスベンダー)
◆ザビーナ・シュピールライン(キーラ・ナイトレイ)
◆ヴァンサン・カッセル(オットー・グロス)
◆サラ・ガドン(エマ・ユング)
【この映画について】
『クラッシュ』『イースタン・プロミス』などで知られるデヴィッド・クローネンバーグ監督が、『つぐない』の脚本家クリストファー・ハンプトンの戯曲を映画化した伝記ドラマ。精神分析の礎を築いた偉大な心理学者、ジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユングが師弟のように絆を深め合いながらも、ユングの患者であったザビーナ・シュピールラインをめぐって葛藤し、決別するまでを描く。
ユング役のマイケル・ファスベンダー、フロイト役のヴィゴ・モーテンセン、ザビーナ役のキーラ・ナイトレイという実力派キャストの演技合戦は圧巻。(この項、シネマトゥデイより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
1904年。29歳のユングは、チューリッヒのブルクヘルツリ病院で精神科医として働いていた。精神分析学の大家フロイトが提唱する“談話療法”に刺激を受けた彼は、新たな患者ザビーナにその斬新な治療法を実践。
間もなくユングは、ザビーナの幼少期の記憶を辿り、彼女が抱える性的トラウマの原因を突き止めることに成功する。しかし、医師と患者の一線を越えてしまった2人は、秘密の情事を重ねるようになり、ザビーナを巡るユングの葛藤はフロイトとの友情にも亀裂を生じさせてゆく。貞淑な妻よりも遥かに魅惑的なザビーナとの“危険なメソッド”に囚われ、欲望と罪悪感の狭間で激しく揺れ動くユング。やがて彼は、自分自身も想像しなかった痛切な運命を辿ることになるのだった……。

この作品、ユングとフロイトという精神分析学の大家の話だから難解な部分も多かったが、この二人と患者であるサビーナの3人が話の中心で、グロスはユングを性的に洗脳?するという役目でヴァンサン・カッセルの登場シーンは少なかった(あの髭は似合っていなかった)。
中でも冒頭から強烈なインパクトを残したサビーナ役のキーラ・ナイトレイの統合失調症(精神病の一種)患者役である演技は凄かった。ユングとの対話治療中の表情や池に飛び込んで泥だらけになって絶叫する場面は、本当の精神病者(想像上のですが)を観ているみたいで美人女優の看板を下ろす覚悟で臨んだのでしょう。
サビーナの治療を巡ってユングとフロイトの方針は食い違いをみせるようになり、妻子のいるユングを再三誘惑し(「ユングの子供が欲しい」とまで迫る)中々想いは成就しないが、グロスに洗脳されたユングはサビーナと遂に一線を越えた関係になってしまう。

結局、フロイトはユングを養子にまでして自分の後継者と期待していたが、理論の違いから最後は関係が破綻してしまう。そして、サビーナとの関係に嫉妬した妻エマは夫の不倫を世間にばらしてしまい、遂にはサビーナとユングの関係も終焉を迎え、サビーナは同じロシア系ユダヤ人医師と結婚してロシアに帰国するもナチスの侵攻時に虐殺されてしまったそうだ。
ユングはサビーナともフロイトとも関係が破綻してしまい、ラストではショボンとした姿で湖を眺めている姿は哀れだった。

俳優陣ではやはり前述のようにキーラ・ナイトレイの精神病患者の演技と、病状が収まってからの彼女の本来の演技との対比が凄く、そういいう意味では彼女の今までの出演作の中では一番演技が印象に残った。
ヴィゴ・モーテンセンはアメリカの俳優だが、ハリウッド映画よりヨーロッパ映画での出演がハマっているような気がする。次回は硬派アクション映画で観てみたい。


映画『最強のふたり』を観て

2012-09-16 22:42:26 | ヨーロッパ映画

12-74.最強のふたり
■原題:Intouchables(英題:Untochable)
■製作年・国:2011年、フランス
■上映時間:113分
■観賞日:9月14日、TOHOシネマズシャンテ



□監督・脚本:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
◆フランソワ・クリュゼ(フィリップ)
◆オマール・シー(ドリス)
◆アンヌ・ル・ニ(イヴォンヌ)
◆オドレイ・フルーロ(マガリー)
◆クロティルド・モレ(マルセル)
【この映画について】
フランスで公開されるや歴代興収記録第3位という大ヒット。フランス国民の3人に1人が観たばかりか、ヨーロッパ各国でもNo.1ヒットを飛ばし、ハリウッドがリメイク権も獲得した話題の本作。主人公は体が麻痺して車椅子生活を送る大富豪と、スラム出身の黒人青年。クラシック音楽を愛し、現代美術に造詣が深い富豪と、アース・ウインド&ファイヤーが好きで会話も下ネタが多い青年。歳も趣味も性格も、育ってきた環境もまったく違う2人だからこそ、利害関係のない人間同士の友情が生まれたのだ。しっとりとした人情ものではなく、さらっとしたコメディタッチで描いたのは正解で、後味もいいさわやかな作品となっている。
監督は、本作が長編4作目となるエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ。出演は「PARIS(パリ)」のフランソワ・クリュゼ、「ミックマック」のオマール・シー。(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
ひとりは、スラム街出身で無職の黒人青年ドリス。もうひとりは、パリの邸に住む大富豪フィリップ。何もかもが正反対のふたりが、パラグライダーの事故で首から下が麻痺したフィリップの介護者選びの面接で出会った。
他人の同情にウンザリしていたフィリップは、不採用の証明書でもらえる失業手当が目当てというフザケたドリスを採用する。その日から相入れないふたつの世界の衝突が始まった。クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ──だが、ふたりとも偽善を憎み本音で生きる姿勢は同じだった。

互いを受け入れ始めたふたりの毎日は、ワクワクする冒険に変わり、ユーモアに富んだ最強の友情が生まれていく。そんなある日、心配してドリスの経歴を調べた親戚が、宝石強盗で半年服役した前科者だから気をつけるようにとフィリップに忠告する。しかしフィリップは、「彼は私に同情していない。そこがいい。彼の素性や過去など、今の私にはどうでもいい事だ」と、毅然と答えるのだった。
フィリップを車の荷台に乗せるのを「馬みたいだ」と嫌がって助手席に座らせたり、早朝に発作を起こした彼を街へ連れ出して落ち着くまで何時間も付き合ったり、意外にもドリスには自然な思いやりや優しさがあった。だが別れは突然やってくる。ヘマをして仲間にシメられたドリスの弟が、ドリスのもとに逃げ込んで来たのだ。家族のことを真剣に思うドリスを見たフィリップは、「やめにしよう。これは君の一生の仕事じゃない」と提案する。

翌朝、名残を惜しむ邸の人々に、陽気に別れを告げるドリス。フィリップは真っ当な介護者を雇い、ドリスは運転手の仕事を見つける。ドリスは自分の人生を始めるが、フィリップは再び孤独に陥っていた。そしてドリスは突然真夜中に呼び出される。いったいフィリップに何があったのか……。

不慮の事故で半身不随となった大富豪と貧しくスラム街で育った移民の子が、大富豪の介護を通して出会いお互いの人生に影響を与えたストーリー。冒頭でドリスがフィリップ邸で面接を受けるシーンで、他の応募者は真面目に?紋切り型の応募理由を述べていたのに対して彼だけは失業手当をもらう為だけに来た事を正直に言い放ち戸惑う秘書をよそに、フィリップだけは何故だか笑顔で明日来るように言う。
このシーンは予告編でも触れられている通り、この映画のこれからの展開を如実に物語っている。如何にも素行に問題ありそうな移民青年の本音をずばり言う姿勢を気にいったフィリップは、この青年に自分が求めていた「本音で障がい者と物を言える」存在だとピンと来たのでは無いだろうか?

ドリスは貧しい母子家庭に育ち家に戻っても母から罵声を浴びるだけで、父親違いの幼い弟達が待っているだけで素行のよろしくない同じ立場の連中とたむろするだけの生活が中心。だがフィリップの介護をすることで、彼は自分が必要とされていることに生甲斐を見つけ始め、また、フィリップも自分を憐れむだけの介護士ではない、自分を健常者と同じ目線で扱ってくれるドリスに信頼を置くようになる。
この辺の過程は丁寧に描かれていてドリスのフィリップに接する姿勢も嫌味を感じさせない良さがある。大富豪とスラム育ちの移民の子という、出会う機会が無いと思われる話も、徐々にドリスの現状や過去も描かれるようになりフィリップの知る所になっても(フィリップの知人からもたらされるのだが)フィッリプのドリスに接する態度に一切の変更は無いばかりか、信頼は増すばかりだった。

ドリスによってもたらされたフィリップの知らない世界への接触も、徐々にドリスの将来を心配しはじめたフィリップによってドリスはフィリップ邸から去る日が来る。ドリスの去ったフィリップ邸では後任の介護士が雇われるもフィリップに取ってはドリスの後継者としては物足りない。
最後は、フィリップが文通していた女性との面会を取り持ち、さり気なく彼の元を去るラストがカッコ良かった。そして、エンドロールへと移行する直前に、本物の二人の映像が登場してその後どうなったかが字幕で紹介される。

本当に見事なストーリー展開で、無駄なシーンは何一つ無く全てのシーンがどこかで繋がっていて、ラストの女性とフィリップの面会も伏線が張られていた。
ストーリーの見事さと共にこの作品はフィリップを演じたフランソワ・クリュゼの車椅子での演技、軽妙なトークが絶妙だったオマール・シーのドリス役、この二人で無ければ成し得なかったであろう演技は最高だった。恐らく今年のベスト10に確実に入りそうな作品だった。


映画『ローマ法王の休日』を観て

2012-08-04 22:49:35 | ヨーロッパ映画

12-64.ローマ法王の休日
■原題:Habemus Papam
■製作年・国:2011年、イタリア・フランス
■上映時間:105分
■字幕:岡本太郎
■観賞日:8月4日、TOHOシネマズシャンテ



□監督・脚本・精神科医:ナンニ・モレッティ
□脚本:フランシェスコ・ピッコロ、フェデリカ・ポントレモレーリ
◆ミシェル・ピッコリ(ローマ法王、メルヴィル)
◆イエルジー・スチュエル(ヴァティカン報道官)
◆レナート・スカルパ(グレゴーリ枢機卿)
◆フランコ・グラツィオーシ(ボラーティ枢機卿)
◆カミーロ・ミッリ(ペスカルドーナ枢機卿)
◆ロベルト・ノービレ(チェヴァスコ枢機卿)
◆ウルリッヒ・フォン・ドーブシュッツ(ブルンマー枢機卿)
◆ジャンルカ・ゴビ(スイス衛兵)
◆マルゲリータ・ブイ(精神科女医)
【この映画について】
カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた『息子の部屋』で知られるイタリア人監督ナンニ・モレッティ。彼が、新ローマ法王に選ばれてしまった男の逃亡劇を描くコメディ。新法王がローマの街で出会う人々とのふれあいを通し、人間の信仰心や法王のあり方などを見出していく姿をユーモラスにつづる。(この項、Movie Walkerより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
現ローマ法王の訃報に接し、新しい法王を選出するために各国からヴァチカンへ枢機卿たちが招集される。システィーナ礼拝堂で投票が行われるが、枢機卿たちは心の内では重責を担う法王に選ばれたくないと一様に思っていた。
投票の結果、メルヴィルが選出される。すでに聖ペドロ広場には新しい法王の就任を祝いにきた人々で溢れかえっていた。就任の演説が控えていたが、メルヴィルは重圧から逃げ出してしまう。新法王が行方不明になったのを知った事務局広報は、そのことが公にならないよう画策し、街中を捜索する。一方ローマの街に逃げ込んだメルヴィルは、市井の人々と触れ合ううちに、人生における大切なものや信仰心、なぜ法王が必要なのかなどを見つめ直していく。

まずこの邦題をみて(原題は「新法王が選ばれた!」という意味らしい)明らかに「ローマの休日」を連想させるタイトルになっているのは何故か?まあ、そんなシンプルな疑問を感じるのだが、中身は冒頭にヨハネ・パウロ2世法王の葬儀の実写映像から始まって、枢機卿lらが何か呪文の様な言葉を唱えながら礼拝堂へと向かう様子は荘厳さを感じさせられた。
ローマ法王選出は資格を持つ枢機卿が外部との連絡を絶って広い礼拝堂の中の一室に閉じ籠って決め根比べ「コンクラーベ」と呼ばれる。投票の結果は礼拝堂の煙突から登る煙の色(黒は未決定、白は決定)で外部に知らされ、TVのニュース映像(現法王はベネディクト16世)で見た方も多いのでないか。
この選挙の様子では本命とされていた枢機卿が選出されず、その結果を待っている間に「自分が選ばれませんように」と祈っている様子は滑稽だった。中々結果が出ずにその間にお互い選出者の選考でヒソヒソ話が続く中で、下馬評に上がっていなかったメルヴィルの名前が急浮上して彼が選ばれた。枢機卿から祝福の言葉をかけられ法王の証である赤いマントを被せられ始めて我に返ったメルヴィルは事態が呑み込めず、新法王のスピーチを待ち構える民衆に背を向けて逃げ出してしまう。

ここからはローマ法王の職責に耐え切れないメルヴィルが周囲の説得に一切耳を貸さずに極秘裏に市内の精神科医と面談を受けた後に、取り巻きをまいてローマ市内へと消えてしまいてんてこ舞いに。
聖職者となる前に舞台俳優だったメルヴィルにはローマ法王の職責は重すぎた。久し振りに市内に出てかつての自分の姿を思い出して小劇場で舞台を観賞したりしているところを側近に見つかり、ヴァティカンに戻ることを懇願されるが断り続ける。

この間にも新法王の姿を待ちわびる民衆に対して、ヴァティカンは如何にも新法王が居るかのようにスイス衛兵に窓際に立たせるなど苦肉の策を施していたが、法王失踪の噂は徐々に広まってしまい法王庁は困惑するばかり。
そして遂にメルヴィルは新法王としてその姿をバルコニーにあらわしたが、そこで発せられたのは意外な一言だった。

法王を演じたミシェル・ピッコリはコメディ・タッチの演技でローマ法王の苦悩を上手く表現していた。ストーリー的には形式ばった法王選出の様子や、周囲がアタフタする描き方はユニークで面白かった。だが、メルヴィルがヴァティカンを脱走してローマ市内を彷徨うあたりは多少眠たかったシーンだ。ラストはかつての自分の姿を思い出し吹っ切れて法王選出を受諾すると思ったのですが...。
むしろ法王庁内部の戸惑いとか、それを報道するマスコミの様子をもっと盛り込めば個人的には楽しめたのだが、それでもローマ市内に実在する建築物を使用してのロケ映像は観光気分で楽しめた。システィーナ礼拝堂やサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーはローマの撮影所チネチッタ内にセットを作って撮影したそうだ。

それにしてもローマ法王を題材にしてこのような映画を製作してヴァティカンからクレームが付けられなかったのだろうかと日本人の私は思ってしまう。ローマ法王と日本の天皇では選出方法が異なるが、日本ではこの様な映画が製作される可能性はゼロに近いでしょうね。


映画『The Lady ひき裂かれた愛』を観て

2012-08-01 23:39:16 | ヨーロッパ映画

12-62.The Ladyアウンサンスーチー、ひき裂かれた愛
■原題:The Lady
■製作年、国:2011年、フランス
■上映時間:133分
■字幕:松浦美奈
■観賞日:8月1日、ヒューマントラストシネマ渋谷(渋谷)

 

□監督:リュック・ベッソン
◆ミシェル・ヨー(アウン・サン・スーチー)
◆デヴィッド・シューリス(マイケル・アリス)
◆ジョナサン・ラゲット(キム)
◆ジョナサン・ウッドハウス(アレックス)
◆スーザン・ウールドリッジ(ルシンダ)
◆ベネディクト・ウォン(カーマ)
◆フトゥン・リン(ネ・ウィン将軍)
◆アガ・ポエチット(タン・シュエ)
【この映画について】
非暴力を貫いてミャンマーの民主化に挑み、アジア人女性初となるノーベル平和賞を授与された活動家、アウン・サン・スーチーの実録ドラマ。長きにわたる同国軍事政権との戦いと、それを支えてきたイギリス人の夫と息子たちとのきずなを、『レオン』『フィフス・エレメント』などのリュック・ベッソン監督が重厚なタッチで映し出していく。
『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』のミシェル・ヨーが、ビルマ語のセリフを完全習得するだけでなく、本人のしぐさやなまりまでも研究し熱演。共演は『ネイキッド』のデヴィッド・シューリス。(この項、シネマトゥディより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
ビルマ(現ミャンマー)建国の勇士として亡き後も国民から敬愛されている将軍を父に持つ、アウン・サン・スーチー。1988年、母の看病のためにイギリスから祖国のビルマへと戻った彼女は、軍事政権が若者たちの民主主義運動を弾圧するのを目の当たりにしてショックを受ける。そんな中、民主主義運動家たちが彼女の帰国を知って選挙への出馬を訴える。彼らの切実な思いを知って立候補を決意し、民衆の前に立つスーチーだが、それを機に軍事独裁政権から想像を絶する圧力をかけられ……。

スーチーは英国で夫と二人の息子に囲まれて過ごしていたのだが、母の容体が悪化したことに伴い母国へ緊急帰国したことで運命が変ってしまうとは、その時点では予想もしていなかっただろう。既に母国はビルマからミャンマーへと独裁政権によって国名まで変えられていて、帰国した時は国内には不穏な空気が漂っていた。
母の入院先の病院の周囲には軍が鎮圧したデモ隊の学生が血だらけになって病院へと運ばれて行く姿を見てスーチーは母国の現状を知り唖然とする。その後、英国から家族も合流し、何時の間にか「建国の父」アウン・サン将軍の娘スーチーが帰国していた事実が知れ渡ると、選挙への出馬を求める声が日増しに強まって行った。

ここからは軍事政権側と国民の期待感が拡がる間を行ったり来たりが続くのだが、最初は建国の父の娘と言う国民の期待と自分は一介の主婦に過ぎないとの狭間で悩みながらも、彼女の中に流れる父の血が彼女を徐々に政治への道と目覚めさせる。当初はぎこちなかった演説も回数をこなすうちに民衆を引きつけて行くようになり、そうなると今度は軍事政権側から見れば「危険人物」とのレッテルを貼られ、自宅軟禁を強いられ自由を奪われる。
それでも家族の愛に支えられ、愛する夫が英国で病床に倒れて帰国看病出来ない辛さを味わいながらも祖国を思う強い意志は変ら無かった。その間にもノーベル平和賞受賞の知らせがもたらせるが、授賞式に出席したのは夫と息子たちだった。スピーチの様子を隠し持っていたラジオで電池が無くなるのを心配しながら使用人と2人で聴いている姿が感動的だった。

スーチーさんの生涯について我々日本人はあまり知らない。彼女が2年位京大に留学していたことは知っているが、この映画では冒頭に父から柔和な表情で語りかけられるシーンから始まり、直後、謀略にかかってしまい落命するのだが、広大な邸宅での生活と偉大だった父の最期を冒頭に持ってきた事で彼女の少女時代が観客に伝えられる構成は良かった。
その後は学者である夫との恵まれた英国での生活が続き、一人の幸せな女性としての様子が描かれているが使用人もいて学者としての夫の地位もこれである程度理解出来る。
それもこれも母の看病で帰国するまでの話であり、大部分はここから先の波乱万丈な人生が描かれていて、母の生い立ちと祖国での地位に戸惑いを隠せなかった家族も徐々に理解するようになる。この家族の理解が無ければ彼女の活動も行き詰っていたに違いない。

邦題の一部にあるように「ひき裂かれた愛」とはがん闘病中の夫マイケルの元に駆け付けることが出来ない苦悩=愛についてであり、夫も妻の祖国での立場を理解して「帰国しろ!」とは言いたくても決して言わない。この夫婦の愛が強固な証拠であり息子達も立派であった。
スーチーを演じた中国系マレーシア人のミシェル・ヨーは、リサーチ段階で実際の映像などを通じて話し方やビルマ語を徹底的に学んだそうで、メイクも彼女にそっくりだし凛とした様子も本人を想起させられる。彼女の熱演には賛辞を贈りたいが、公開館が少ないのが残念だ。


映画『少年は残酷な弓を射る』を観て

2012-07-15 22:49:26 | ヨーロッパ映画

12-57.少年は残酷な弓を射る
■原題:We Need To Talk About Kevin
■製作年、国:2011年、イギリス
■上映時間:112分
■字幕:佐藤恵子
■観賞日:7月14日、TOHOシネマズシャンテ



□監督・脚本・製作総指揮:リン・ラムジー
□脚本:ローリー・スチュワート・キニア
◆ティルダ・スウィントン(エヴァ)
◆エズラ・ミラー(ケヴィン)
◆ジョン・C・ライリー(フランクリン)
【この映画について】
ほんの赤ん坊の頃から悪魔的な子どもだったケヴィンに身震いさせられる。彼はなぜあれほど母に手ひどい仕打ちを繰り返すのか。『モーヴァン』から9年ぶりにメガホンをとった本作で脚本も手がけたリン・ラムジー監督は、時系列を巧みに入れ替え、極上のサスペンスタッチでこの残酷な母と子の物語を展開させる。
原作は英オレンジ賞受賞のライオネル・シュライバーによる同名小説。ラムジー監督と長年の友人であるティルダ・スウィントンが主演だけでなく製作指揮を担っている。図らずも母となった悩めるエヴァの変遷を演じて見事なスウィントンはもちろん、それに負けていないケヴィン役エズラ・ミラーの存在感も素晴らしい。(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
自由奔放に生きてきた作家のエヴァはキャリアの途中で、夫フランクリンとの間に子供を授かった。ケヴィンと名付けられたその息子は、なぜか幼い頃から、母親であるエヴァにだけ反抗を繰り返し、心を開こうとしない。やがて美しく、賢い、完璧な息子へと成長したケヴィンであったが、母への反抗心は少しも治まることはなかった。そしてこの悪魔のような息子は、遂にエヴァの全てを破壊するような事件を起こす……。

16歳になる3日前の日、ケヴィンは学校で邦題にある通りの出来事を起こし、帰宅すると父と妹にも弓を射るという大事件を引き起こし母エヴァだけが残された。冒頭でエヴァが外出から家へ戻ると外壁部分にはペンキが一面に塗られていて、それを一人で必死に消そうとしていたのだが、それはこのケヴィンと面会して帰ってきた所で繋がる。
そもそもエヴァはフランクリンと交際していたころは売れっ子の旅行作家であったのだが、取材先にまで押し掛けてきた彼とのセックスで望まない形で妊娠してしまいケヴィンを出産し、その後、妹と二人の母となる。だが、出産直後からケヴィンは母のそういう気持ちを察していたかのように懐かないのがこの映画のポイントである。
父には懐くのだが母には徹底的に反抗的な態度を取っていたケヴィンが、父からの贈り物だった弓矢をその父と妹に放った。残されたエヴァは旅行会社で下働きしながら生活費を稼いでケヴィンと面会するのが日課になった。だが、刑務所で面会しても二人の間に会話は殆どない。なのにエヴァは16歳になったケヴィンと会いに行く。

話は常に母エヴァの視点で進行し「母と息子の関係」が主題なので、観ている側は何故ケヴィンがここまでエヴァを避けているのかを探る必要があるのは、ケヴィンの視点で語られないからだ。原題は「ケヴィンについて話しましょう」だが主語は「We」なのでこの「We」は誰を指しているのかと考えてしまうが、私はそれは「この映画を観た人」かな?って思うのだが・・・。
ケヴィンが取った行動について、彼自身の口から母と面会中に語られることも無く、ナレーションも無いので、だから「我々、映画を観た者が」彼について語ることが必要なのかな?

家族の配役ですが主役のティルダ・スウィントンの中性的な風貌と絶望的な表情がとてもマッチしていて、それとは対照的に楽天的な夫フランクリンを演じていたジョン・C・ライリーも良かった。だが、やはりケヴィンを演じた19歳のエズラ・ミラーの眼力の鋭さと色気がなければ映画全体の印象も変っていたと思う。

母の愛を求めていたケヴィン、その息子への愛情の注ぎ方に迷いがあった母エヴァ。父と妹を排除することで母エヴァへの愛を独占しようと試みた息子。16歳の息子がシャバに出て来る日が来るのだろうか?仮にその日が何時の日か来たら、二人はどう接するのだろうか?最後にそんなことを考えてしまった。


映画『私が、生きる肌』を観て

2012-06-23 23:19:22 | ヨーロッパ映画

12-51.私が、生きる肌
■原題:La Piel Que Habito(英題:The Skin I Live In)
■製作年、国:2011年、スペイン
■上映時間:120分
■字幕:松浦美奈
■観賞日:6月23日、TOHOシネマズシャンテ



□監督・脚本:ペドロ・アルモドヴァル
□脚本:アグスティン・アルモドヴァル
◆アントニオ・バンデラス(ロベル・レガル)
◆エレナ・アナヤ(ヴェラ・クルス)
◆マリサ・パリデス(マリリア)
◆ジャン・コルネット(ヴィセンテ)
◆ロベルト・アラモ(セカ)
◆ブランカ・スアレス(ノルマ)
◆スーシ・サンチェス(ヴィセンテの母)
◆バーバラ・レニー(クリスティーナ)
【この映画について】
妻を失った天才医師が、自ら開発した“完璧な肌”を移植して妻そっくりの美女を創り上げる。スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルが、愛と狂気の境界線に挑んだ衝撃作。惜しげもなくさらされるエレナ・アナヤの裸体、ジャン=ポール・ゴルチエによる華麗な衣装、退廃的な性描写。官能美あふれる映像に目を奪われる。(この項、MovieWalkerより転載しました)
【ストーリー&感想】
謎めいた雰囲気を漂わせる女性ベラは、全裸と見まがうしなやかな肢体に肌色のボディ・ストッキングをまとい、ヨガの瞑想に耽っている。彼女は画期的な人工皮膚の開発に没頭する天才形成外科医ロベルによって幽閉されていた。ロベルが夢見るのは、かつて非業の死を遂げた最愛の妻を救えるはずだった“完璧な肌”の創造。あらゆる良心の呵責を失ったロベルはベラを実験台に、開発中の人工皮膚を移植し、今は亡き妻そっくりの美女を創り上げてゆく……。そして、ベラは一体何者で、どのような宿命のもとでロベルと巡り合ったのか……。

アルモドヴァル監督作品なのでストーリーが一筋縄ではいかないとは思っていた。やはり、そこには糸が複雑に絡みながらも、最後は一つになって行くのだが、襲ってくる眠気を振り払って集中して観ていれば伏線もしっかり見えてくるので見逃さないことが肝心だ。
ヴェラはそもそも「男」だったというオチに辿り着くまでに、ロベルの娘へ暴行をした「男」への復讐から全てが始まっている。だがだが、ロベルの妻が浮気が原因で全身火傷を負って亡くなるのだが、その相手とロベルと同居する老母との関係、いきなり数年ぶりに宝石店強盗として追われる身になって匿ってもらう弟の存在。
これが一本の糸となって「ベラ」の存在が明らかになった。人工皮膚を移植され性転換手術で女性となった「ベラ」には洋服店を営む母と恋人の存在があった。

アルモドヴァル監督はそんな複雑な人間関係を2時間に凝縮したのだが、「ベラ」の正体は「ヴィセンテ」という名の男だ。「ヴィセンテ」はロベルの娘をレイプして娘はそれを苦にして自殺してしまう。この復讐心と妻を救えなかったとの悔悟の情など複雑な感情がロベルを人工皮膚開発へと邁進させた。
「ヴィセンテ」は性転換を施され人工皮膚を纏って「ベラ」へと変身させられるのだが、ベラはほぼ終日監視されており、まるで脱走させられない飼猫の様な存在だ。ベラの奥底には「ヴィセンテ」が未だに宿っており、その部分がロベルへの従順を装いながら、最後はロベルの隙をついて彼が隠し持っていた銃を奪い射殺する。

そして彼は一目散に実家の洋服店を営む母へと会いに行くが、変わり果てた姿の「息子」をみて信じろと言うのが所詮無理な話で、彼が必死に「ヴィセンテ」であると訴えても母もかつての恋人も一瞥もくれなかった。
外見は「ベラ」のまま「ヴィセンテ」に戻ることが出来なかった彼だが、果たして、今後の人生はどうなるのだろうか?

主役のアントニオ・バンデラスは感情を極力排した役柄に徹しながらも、意志の強さと研究に没頭する役を熱演していた。だが、この作品で一番目立ったのは「ベラ」役のエレナ・アナヤだろう。この表現の難しい役を彼女が見事に演じていたからこそ、アルモドヴァル監督の描いたとおりの作品になったのだろう。
エレナ・アナヤでは無く、仮に容姿が良く似ているペネロペ・クルスだったら、既に彼女のイメージが定着しているので違った印象になっただろうが、アナヤにはそのような定着したイメージが無かったのでアルモドヴァル監督としてはこの起用は成功だった。


映画『ル・アーヴルの靴みがき』を観て

2012-05-19 22:51:52 | ヨーロッパ映画

12-40.ル・アーブルの靴みがき
■原題:Le Harvre
■製作年・国:2011年、フィンランド・フランス・ドイツ
■上映時間:93分
■字幕:寺尾次郎
■観賞日:5月19日、新宿武蔵野館(新宿)



□監督・脚本・製作:アナ・カウリスマキ
◆アンドレ・ウィルム(マルセル・マルクス)
◆カティ・オウティネン(アルレッティ)
◆ジャン=ピエール・ダルッサン(モネ警視)
◆ブロンダン・ミゲル(イドリッサ)
◆エリナ・サロ(クレール)
◆イヴリヌ・ディディ(イヴェット)
◆フランソワ・モニエ(八百屋)
【この映画について】
政治や経済がどれだけお先真っ暗であっても、世の中そんなに捨てたものではない。うらぶれた港町のごく普通の人々がそう信じさせてくれる。そこはかとない悲しみと笑いが静謐な画面から浮かび上がり、観る者の心にささやかでも温かい幸福感がひたひたと染み渡るのだ。
フィンランドが生んだ世界の巨匠アキ・カウリスマキ監督の『街のあかり』以来5年ぶりに撮る本作は、不条理に満ちた世の中への静かな怒りと、そこに生きる人々への優しさに満ちた新たな名作である。2011年のカンヌ国際映画祭では国際批評家協会賞、エキュメニック賞スペシャル・メンションに加え、愛犬ライカの名演にパルム・ドッグ審査員特別賞が贈られた。
庶民の人情と善意がたぐり寄せる奇跡を、時に優しく、時にこぼれだすオフビートなユーモアを交え、つむぎだされたヒューマン・ドラマの傑作。(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
北フランス、ノルマンディー地方の港町ル・アーヴル。かつてパリでボヘミアンな生活を送っていた元芸術家のマルセル・マルクスは、ここで靴磨きを生業にしている。
駅や高級革靴店の前で仕事をしているが、日々の稼ぎはわずか。だが、家には自慢の女房アルレッティと、愛犬ライカが帰りを待っていてくれる。決して豊かではないが、毎晩呑みに行きマルセルはそんな暮らしに幸せを感じていた。ある日、港にアフリカ・ガボンからの不法難民が乗ったコンテナが漂着する。警察の検挙をすり抜けた一人の少年イドリッサは、港でマルクスと偶然に出会う。イドリッサの母親がいるロンドンに送り出してやるため、密航費を工面しようとマルセルは奮闘するが、時を同じくして、妻アルレッティは体調の不調をうったえ入院、医師から不治の病を宣告される。

カウリスマキ作品は2006年作の「街のあかり」を1本観ただけなのだが、その時の印象は強く残っている。暗めの映像をバックに孤独な人の心を見事に描いていた。だが、残念なことに次の作品はどうなっているのか気になっていたのだが、その前作から5年を経てこの作品は公開された。

今回の舞台はフランス北部の漁港ル・アーブルで、そこに住む靴磨きのマルセルと妻のアルレッティが主役で、そんな田舎町に突如として現れたアフリカからの密航者。密航者の少年イドリッサを匿うマルセルは難民キャンプに収容されている少年の祖父と面会するなど積極的に動く。
そして、少年の母が住むロンドンへ送り届ける為には密航費用3000ユーロを工面しなければならない。靴磨きのマルセルには大金だが、彼は知人のミュージシャンに頼んでチャリティ・コンサートを開催し費用を工面した。
だが、警察官のモネは密航者捜索の過程でマルセルが匿っているのではないかと疑いの眼を向ける。ここで、地元の人情が発揮される。モネは警察官として何とか地元に溶け込もうとするが、マルセルの妻が入院中ということもあって周囲の人間はマルセルへ温かかった。普段は、ツケ払いが溜まる彼を快く思っていなかった者もいたが、こうした協力のもとで彼は少年を密航船に乗せる。
だが、警察の追及は厳しく少年が乗る船場にまでやってきた。そこで、モネは少年の乗る船に乗り込み、ハッチを開けるとそこには少年の姿が...。少年とモネの視線が交差したその瞬間、モネは何も無かったかのようにハッチを閉じる。だが、その様子を見ていた別の警官が怪しみモネにハッチを見せるように迫るが、モネは「職権」を利用してこれを一蹴した。

そして、船は静かにロンドンを目指すのだった。安心して家に戻ったマルセル、そこには容体が悪化していたものの奇跡的に回復した妻が戻っていた。

妻との間には子供は居ないが、彼は妻と過ごす時間が何物にも代えがたい幸せな瞬間だった。その妻の病状が奇跡的に回復したのには驚いたが、少年もきっと無事に海を渡って無事ロンドンの母に会うという「奇跡」に遭遇することだろう。


映画『裏切りのサーカス』を観て

2012-05-15 13:22:43 | ヨーロッパ映画

12-38.裏切りのサーカス
■原題:Tinker Tailor Soldier Spy
■製作国、年:イギリス・フランス・ドイツ、2011年
■上映時間:128分
■字幕:松浦美奈
■観賞日:5月14日、TOHOシネマズシャンテ



□監督:トーマス・アルフレッドソン
□原作:ジョン・ル・カレ
◆ゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー)
◆キャシー・バーク(コニー・サックス)
◆ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム)
◆デヴィッド・デンシック(トビー・エスターヘイス、コードネーム:プアマン)
◆コリン・ファース(ビル・ヘイドン、コードネーム:テイラー)
◆トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン、コードネーム:ティンカー)
◆キアラン・ハインズ(ロイ・ブランド、コードネーム:ソルジャー)
◆ジョン・ハート(コントロール)
◆マーク・ストロング(ジム・プリドー)
◆スティーヴン・グレアム(ジェリー・ウェスタービー)
◆トム・ハーディー(リッキー・ター)
◆スヴェトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)
◆サイモン・マクバーニー(オリヴァー・レイコン)
【この映画について】
元MI6諜報(ちょうほう)員の経歴を持つ作家ジョン・ル・カレによる人気スパイ小説を、『ぼくのエリ 200歳の少女』のトーマス・アルフレッドソン監督が映画化したサスペンス。英国諜報組織の中枢に20年も潜入しているソ連の二重スパイを捜すため、引退生活から呼び戻されたスパイが敵味方の区別もつかない中で真相に迫る姿を描く。
主演のゲイリー・オールドマンをはじめ、『英国王のスピーチ』でオスカーを受賞したコリン・ファース、『インセプション』のトム・ハーディら実力派の競演は必見。(この項、シネマトゥデイより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6とソ連国家保安委員会KGBは熾烈な情報戦を繰り広げていた。そんな中、英国諜報部<サーカス>のリーダー、コントロールは、組織幹部の中に長年にわたり潜り込んでいるソ連の二重スパイ<もぐら>の存在の情報を掴む。ハンガリーの将軍が<もぐら>の名前と引き換えに亡命を要求。コントロールは独断で、工作員ジム・プリドーをブダペストに送り込むが、ジムが撃たれて作戦は失敗に終わる。

責任を問われたコントロールは長年の右腕だった老スパイ、ジョージ・スマイリーと共に組織を去ることとなる。直後にコントロールは謎の死を遂げ、引退したスマイリーのもとに<もぐら>を捜し出せという新たな命が下る。
標的は組織幹部である“ティンカー”ことパーシー・アレリン、“テイラー”ことビル・ヘイドン、“ソルジャー”ことロイ・ブランド、“プアマン”ことトビー・エスタヘイスの4人。過去の記憶を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていくスマイリー。浮かび上がるソ連の深部情報ソース<ウィッチクラフト>、そしてかつての宿敵・ソ連のスパイ、カーラの影。やがてスマイリーが見い出す意外な裏切り者の正体とは……。

この作品は東西冷戦時代が舞台で、しかも作者が諜報員だったジョン・ル・カレによるものなので所謂小説家が創造した世界とは一線を画し、作者の実体験または業務上知り得ていた事柄が基になっているのは想像に難くない。
登場人物のスパイ達のコードネームは単純でユニークなものが多くてクスッとさせられるが、その同僚達の間でもお互い知らないことが多い。中には同僚の妻と不倫していた者や足を洗って外国で英語教師として生活している者やロシアの女スパイと関係を持つ者など様々だ。
親玉格のコントロールを演じたジョン・ハートの演技を筆頭に、英国の俳優達の演技は流石だったのだが、ストーリー的には旧ソ連のスパイとの微妙な関係が裏で続いていたり、その敵側スパイとの接点、女スパイの存在がチラチラと映し出される場面は冷戦時代のそれを思わせ緊張感を煽いでいる。だが、この旧ソ連スパイとの関係を築いたのは意外な人物だったのがキーポイントだった。そこから展開が早くなったのだが、数少ない女性登場人物の一人の鋭い眼差しと女性ならではの分析力が光ったシーンだった。

結局、この配役から言って、また、容疑者と名指しされた4人+スマイリーの中での知名度の高さからもコリン・ファース(「英国王のスピーチ」で世界的な注目浴びました)が「モグラ」で、死んでいた筈だったプリドーが実は母国に戻っていたのがオチでした。
ゲイリー・オールドマンの渋さも含めて英国人俳優総出演的なオールスター・キャストで、映像的にも英国らしさが存分に出ていて良かったのですが、この映画はやはり1度観ただけでは細部を頭に入れるのは難しかった、と言うのが私の本音。と言って2度観れば納得するのでしょうが、2度目がいつ来るのかは...。


映画『アーティスト』を観て~アカデミー賞受賞作品

2012-05-12 12:43:43 | ヨーロッパ映画

12-36.アーティスト
■原題:The Artist
■製作国・年:フランス、2011年
■上映時間:101分
■字幕:寺尾次郎
■観賞日:5月12日、TOHOシネマズ六本木ヒルズ



□監督・脚本・編集:ミシェル・アザナヴィシウス
◆ジャン・デュジャルダン(ジョージ・ヴァレンティン)
◆ベレニス・ベジョ(ペピー・ミラー)
◆ジョン・グッドマン(アル・ジマー)
◆ジェームズ・クロムウェル(クリプトン)
◆ペネロープ・アン・ミラー(ドリス)
◆ミッシー・パイル(コンスタンス)
◆アギー(ジョージの愛犬)
【この映画について】
第84回アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、監督賞、衣装デザイン賞、作曲賞の5部門を受賞。フランス人監督とフランス人による主演、しかもモノクロでサイレント(無声映画)。そんなハンディをものともしない受賞結果は、セリフや音響効果に頼らなくても、素晴らしい映画ができるという“証(あかし)”でもある。
サイレント映画が作品賞を受賞するのは、第1回アカデミー賞以来83年ぶり。ストーリーはごくシンプルながら、感情を表情や動きで表現するサイレント映画の手法が、現代では逆に新鮮に見えるから不思議だ。主演の2人が実に魅力的で、戦前のハリウッドスターを演じながらも、現代アメリカ人俳優には出せない味をよく出している。(この項、gooより一部転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
1927年、サイレント映画全盛のハリウッド。大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、共演した愛犬とともに新作の舞台挨拶で拍手喝采を浴びていた。熱狂する観客たちで映画館前は大混乱となり、若い女性ファンがジョージを突き飛ばしてしまう。それでも優しく微笑むジョージに感激した彼女は、大胆にも憧れの大スターの頬にキス。その瞬間を捉えた写真は、翌日の新聞の一面を飾る。写真の彼女の名前はペピー・ミラー、未来のスターを目指す新人女優だった。

映画会社キノグラフでオーディションを受けた彼女は、愛らしい笑顔とキュートなダンスで、ジョージ主演作のエキストラ役を獲得。撮影後、楽屋を訪ねてきたペピーに、ジョージは“女優を目指すのなら、目立つ特徴がないと”と、アイライナーで唇の上にほくろを描く。その日を境に、ペピーの快進撃が始まる。踊り子、メイド、名前のある役、そして遂にヒロインに。
1929年、セリフのあるトーキー映画が登場すると、過去の栄光に固執し、“サイレント映画こそ芸術”と主張するジョージは、キノグラフ社の社長と決別する。しかし数か月後、自ら初監督と主演を務めたサイレント映画は大コケ。心を閉ざしたジョージは、心配して訪ねてきたペピーすら追い返してしまう。それから1年。今やペピーはトーキー映画の新進スターとして人気を獲得していた。一方、妻に追い出されたジョージは、運転手クリフトンすら雇えなくなり、オークションで想い出の品々を売り払う。執事にその全てを買い取らせたペピーは、ジョージの孤独な背中に涙を流す。

酒に溺れるジョージは自分に絶望し、唯一の財産であるフィルムに放火。愛犬の活躍で救出されたジョージの元へ駆けつけたのは、変わらぬ愛を抱くペピーだった。“銀幕のスター”ジョージを復活させる名案を携えて……。

フランス映画がハリウッドのサイレント時代を舞台にした作品でアカデミー賞を5部門も受賞したのは快挙だ。大作やリメイク物が幅を利かせているハリウッド映画界に取って、フランス映画界が放ったサイレント映画は盲点だった。今の映画ファンはサイレント映画と言われても観た経験は皆無に近く、そうした意味でも新鮮さを感じた作品。そういう自分もチャップリン映画を数本観た程度のレベルで、劇場でサイレント映画を観たのは初めて。
サイレント映画なので当然ながらセリフが無く、所々でスクリーンに字幕が出るが会話全てをフォローしている訳では無いので、そこはストーリーの流れを読んでセリフを自分で「感じる」という作業を頭の中で繰り返す、こういう作業が必要なので眠くなっている暇は無い。

ストーリー的にはトーキーへの変換期についていけなかった無声映画のスターと、その転換期の流れに上手く乗ってスターダムを駈けあがった女優との対比を描いている。こういう時代の境目、例えばラジオからTVへ、LPからCDへ、ビデオからDVDへと時代の変化は必ず訪れる。そこで旧時代にしがみついて流れに乗れなかったジョージは言わば旧時代の象徴、逆にそのジョージに見出されたぺピーは新時代の申し子である。ただこのぺピーはジョージに見出された「恩」をスターになっても忘れることは無かった。
これがストーリー上のポイントであり、ぺピーはスクリーンから消えて忘れられた存在になっているジョージを、再び引っ張り出そうと画策。かつての思い出の品々を次々と売り飛ばして辛うじて生活費の糧にしていたジョージだが、ぺピーは密かにそれらを買い戻していた。ぺピーのジョージへの思いは通じ、ラストは二人で活き活きとスタジオでダンスを披露するのだが、この時のジョージを観ているとジーン・ケリーのようだった。

このサイレント映画が作った流れがこのままハリウッドへ逆輸出されるとは思えないが、フランス映画界にしてやられたとの思いはあるだろう。フランスがここまで見事にサイレント映画へのオマージュを捧げるとはお見事の一言に尽きる。

余談ですが、ジョージの愛犬「アギー」の名演技にも拍手


映画『マリリン 7日間の恋』を観て

2012-04-29 13:54:20 | ヨーロッパ映画

12-34.マリリン 7日間の恋
■原題:My Week With Marilyn
■製作国・年:アメリカ・イギリス、2011年
■上映時間:100分
■字幕:戸田奈津子
■観賞日:4月29日、角川シネマ有楽町(有楽町)

 

□監督:サイモン・カーティス
◆ミシェル・ウィリアムズ(マリリン・モンロー)
◆ケネス・ブラナー(ローレンス・オリヴィエ)
◆エディ・レッドメイン(コリン・クラーク)
◆ドミニク・クーパー(ミルトン・グリーン)
◆ジュディ・デンチ(シビル・ソーンダイク)
◆ジュリア・オーモンド(ヴィヴィアン・リー)
◆ダグレイ・スコット(アーサー・ミラー)
◆トビー・ジョーンズ(アーサー・ジェイコブス)
◆ゾーイ・ワナメイカー(ポーラ・ストラスバーグ)

◆エマ・ワトソン(ルーシー)
【この映画について】
エルビス・プレスリーと並ぶアメリカン・ポップカルチャーの巨大なアイコンがマリリン・モンローだが、映画で見せる“オツムは少し弱いけどセクシーで気立てのいいブロンド娘”というパブリックイメージと、実際のマリリンはかなり違っていた。
スターではあるが演技に自信がなく、常に誰か頼れる人がいないと精神的に不安定。そんな彼女の素顔を書き残したのは、本作の主人公であるコリン・クラーク。彼の回顧録に記された実話が、この映画の原作。映画好きなら、マリリンだけでなく、実名で登場する有名人たちの素顔も興味深いだろう。
出演は「ブルーバレンタイン」のミシェル・ウィリアムズ、「パイレーツ・ロック」のケネス・ブラナー、「イエロー・ハンカチーフ」のエディ・レッドメイン、「ハリー・ポッター」シリーズで「ハーマイオニ」を演じるエマ・ワトソン、「007」シリーズで「M」を演じるジュディ・デンチ。
(この項の一部、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
名優ローレンス・オリヴィエが監督と主演を務める『王子と踊子』の撮影で、ハリウッドからロンドンへと渡ったマリリン・モンロー。スタッフから大歓迎を受ける彼女だったが、初の海外撮影に対する重圧などから現場に遅刻するように。ローレンスたちに冷たくされて困惑するマリリンに、第3助監督のコリンは第三者からの視点でアドバイスを送る。それを機に、二人は心を許し合う仲になるが……。

故ジョン・F・ケネディ元米国大統領と親密な関係にあったとされるノーマ・ジーンこと伝説の女優マリリン・モンローが、初の海外撮影として渡英した先で知り合った名も無き若手スタッフの回顧録を元にして製作されている。従って、主役はあくまでもそのコリン・クラークであるが、実際はミシェル・ウィリアムズ演じるモンローであるのは言うまでも無い。
アカデミー賞受賞こそはマーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープに貫録負けしたものの、モンローそっくりのメイクと演技(体型は違うけど...)で彼女になりきっていたのには好感が持てる。
私はモンローの映画はTVで(勿論、ノーカットでですが)3~4本観た程度で劇場で観たことはないです。それでも彼女の出演作をみた経験からミシェル・ウィリアムズのメイクはウリ二つで驚いた。それ以上に彼女の演技は抜群に上手かったけど、共演陣も監督経験もあるケネス・ブラナー、大ベテランのジュディ・デンチと言った経験豊富な俳優陣が居たのは大きかっただろう。

ストーリー的には夫アーサー・ミラーが帰国後情緒不安定なモンローは、第3助監督のコリンと言っても監督のパシリみたいな立場の彼がモンローへ出番を告げる役目だったことから彼に少しずつ心を開く。そのコリンの彼女役がハリポタ・シリーズでハーマイオニだったエマ・ワトソンだった。
マリリンに取って帰国してしまった夫を除くと演技コーチであるポーラと楽屋で二人だけで過ごす時間が多くなり、監督を筆頭にスタッフのイライラは募り監視役でもあるコリンは間近に彼女と接して双方の立場が分かるだけにどうして良いか悩む。そんな彼女とコリンがポーラを巻いて二人だけでの時間を過ごした1週間は彼女に取って良い意味で気分転換になった。世界的大スターを小旅行に連れ出したコリンは、大胆にも彼女に求愛するのだが恋愛に初心だったコリンは結果的に彼女に当然ながら振られてしまう。そもそもスター女優に「全てを捨てて僕と一緒に」と迫っても彼女がウンと言う訳は当然ながら無い。

結局、コリンの献身?もあって立ち直った彼女は撮影現場に戻り彼女らしい演技で映画は無事に完成して米国へと帰るのだった。大スターだった彼女にこのような隠された時間があったとは知らなかったが、そこにはノーマ・ジーンには戻れない彼女の葛藤もあるなかで一瞬だけでも素顔のノーマ・ジーンを思い出したかのような姿が上手く描かれていた。
ミシェル・ウィリアムズは気分屋で精神的に不安定なスター女優を場面毎に見事に演じ分けていた。次作に期待して観たい。


時計