自処超然
処人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然
中国明代の陽明学の碩学、崔後渠(さいこうきょ)による。
「自処超然」(じしょちょうぜん)は、「自ら処するコト超然」―すなわち、自分の身の処し方としては、物にとらわれないコト。
「処人藹然」(しょじんあいぜん)―「藹然」とは、なごやかな態度のコトで、人と接する時は、春風のようになごやかに、穏やかに、相手を楽しませるコト。
「有事斬然」(ゆうじざんぜん)―事有る時には、思い切った行動に出るコト。
「無事澄然」(ぶじちょうぜん)―事がない時には、水の如く澄んだ気持ちで。
「得意澹然」(とくいたんぜん)―「澹然」の「澹」は「淡」と同じイミで、得意の時こそ淡々と。
「失意泰然」(しついたいぜん)―失意の時はゆったり、泰然と構える・・。
ちなみに勝海舟もこの『六然』を好んで使い、同志社大学の創始者・新島襄にもこの言葉を揮毫して贈っている。
この『六然』に感銘を受けたと思われる良寛も、自身の『六然観』を唱えている。
すなわち・・
超然として天に委せ
悠然として道を楽しみ
厳然として自らを慎み
靄(あい)然として人に接す
毅然として節を持し
泰然として難に処す
「悠然として道を楽しみ」がいい。
常に心に、こうした”ゆとり”をもっていたいものだ。
「忙」しいは「心」を「亡」くすと書くが、日々に忙殺され、ギスギスした心でいては、「処人藹然」・・とは、いかないだろう・・。