Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

六然

2011年06月25日 | 人生覚書き

自処超然

藹然

有事斬然

無事澄然

得意澹然

失意泰然

 

中国明代の陽明学の碩学、崔後渠(さいこうきょ)による。

「自処超然」(じしょちょうぜん)は、「自ら処するコト超然」―すなわち、自分の身の処し方としては、物にとらわれないコト。

「処人藹然」(しょじんあいぜん)―「藹然」とは、なごやかな態度のコトで、人と接する時は、春風のようになごやかに、穏やかに、相手を楽しませるコト。

「有事斬然」(ゆうじざんぜん)―事有る時には、思い切った行動に出るコト。

「無事澄然」(ぶじちょうぜん)―事がない時には、水の如く澄んだ気持ちで。

「得意澹然」(とくいたんぜん)―「澹然」の「澹」は「淡」と同じイミで、得意の時こそ淡々と。

「失意泰然」(しついたいぜん)―失意の時はゆったり、泰然と構える・・。             

 

ちなみに勝海舟もこの『六然』を好んで使い、同志社大学の創始者・新島襄にもこの言葉を揮毫して贈っている。 

 

 この『六然』に感銘を受けたと思われる良寛も、自身の『六然観』を唱えている。

すなわち・・ 

 

超然として天に委せ  

悠然として道を楽しみ

厳然として自らを慎み 

(あい)然として人に接す

毅然として節を持し  

泰然として難に処す

 

 

「悠然として道を楽しみ」がいい。

 

常に心に、こうした”ゆとり”をもっていたいものだ。

 

「忙」しいは「心」を「亡」くすと書くが、日々に忙殺され、ギスギスした心でいては、「処人藹然」・・とは、いかないだろう・・。