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クリスマス

2008年12月25日 | 歴史・民俗

今日はクリスマス。イエス・キリストが生まれたとされる聖誕節である。

「ウチは仏教だから、そんなの関係ねぇ」

・・という人もいるかもしれないが、我々が日常使っている暦、西暦紀元前B・Cと表記され、”Before Christ”すなわち”キリスト以前”と、その誕生を境にしているのはご存知の通り。ちなみに西暦のA・Dはラテン語の”Anno Domini””主の年”の意味である。キリスト紀元ともいう。

”Christmas””Christ+mas””キリストのミサ”が語源であるが、キリストの生まれた日については諸説あり、さだかではない。ただ、12月25日ではないのは確かなようだ。

 

クリスマスというと”聖夜”という言葉もよくつかわれるが、教会で賛美歌・・というイメージが誰しもあるのではないだろうか?カトリックの幼稚園に通い、チャペルのあるミッション系の高校に通っていた自分は、礼拝堂の中で十字架にかかるイエス像を見ると、なんともいえない厳かな空気というものを感じたものだ。

イエスが我々人類の罪を背負って十字架にかかり、我々の罪をあがなってくださった、だからそのイエスの十字架の死を信じる事によって救われる・・というのがクリスチャンの基本的な信仰観といえよう。

 

しかしである。

 

では、イエスは我々の罪をあがなって、十字架にかかって死ぬために、神がこの地上に遣わされたというのだろうか?

 

ユダヤ民族とはユダヤ教を信じる人々をさす。モーセが神と交わした「十戒」を中心とする契約である。彼らには、その神と交わした約束ゆえに、神から選ばれたという選民思想がある。

当時、ローマの属領で暮らすユダヤ人たちは政治的な指導者、軍事的な解放者としてのメシヤを待ち望んできた。彼らを神との約束の地に連れて行ってくれる主である。

 

あたかも「いつか白馬の王子様があらわれて、私をここから連れ出してくれるわ」・・と玉の輿に乗る日を夢て、せっせと花嫁修業に精を出す乙女のように、一生懸命、戒律を守ってきたのである。

 

しかし、実際に来られた主は、彼らがせっせと守ってきた安息日を破って癒しのわざを行うなど、当時の彼らの常識では考えられない”常軌を逸した男”であった。

彼らはイエスを十字架につけるべく、総督に引き渡す。しかし、ピラトはつきだされたイエスの罪を見出せない。ユダヤ人たちはバラバという囚人を許し、イエスを十字架につけよ!と暴動になりそうな勢いだ。

『ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」』(マタイ27:24~25)

 

・・この聖句のゆえに、ローマ・カトリックの総本山、バチカンはナチスによるホロコーストアウシュビッツといったユダヤ人の虐殺を黙認し、その見過ごした事はまずかったと認めつつも、いまだに謝罪はしていない。

それは、ユダヤ人が来られた主を十字架につけたのだから「自業自得」だという 考え根底にあるからだ。欧米のキリスト教社会における、ユダヤ人に対するすべての差別意識の根源はここにある。

「汝の敵を愛せよ」と説いたイエスを信じるクリスチャンのはずなのだが、悲しい話だ・・。

 

もし、イエスを来られた主として、メシヤとして、当時のユダヤ人たちが受け入れていたとしたらどうだっただろう?

2000年前のイエスの十字架の死以後、キリスト教は世界中にその版図を広げた。しかし、もしユダヤ人たちがイエスをメシヤとして受け入れ、イエスが十字架にかかって死んでいなかったとしたら、今、我々はもっと違った世界に住んでいるのではないか?もちろん、希望的な意味で、そう思うのである。

 

現代に生きる我々も、同じ過ちをくりかえさないようにしたいものだ。