「ストレスのない生活をしたい」
・・これは誰しも願うコトだろう。
これだけ不景気で物価もあがってくると、生活費やお金の心配もつきない。
職場やバイト先での人間関係や、仕事自体がストレスになるコトも多いだろう。
肩コリや腰痛、頭痛、虫歯や病気など、健康状態がよくないコトもストレスになる。
家に帰っても、親兄弟や夫婦関係など、家族間のトラブルがある場合もあろう。小さい子どもがいる家なら、”子育てストレス”・・なんて言葉もよく聞くようになった。
人は誰しも、「安定」を求めるものだ。
生活のみならず、精神的な安定も含めて、ストレスなく生きたいものである。
・・と同時に、人はまた「成長」も求める。
まったく波風なく、ストレスもなく、順風満帆な生活を送っているとする。
それはそれで退屈なもので、刺激が欲しい・・というのが人間だ。
たとえば、娯楽なんかはそうして生まれたものだ。どんなゲームでも、ある一定のルールの中で、緊張感ある競争状態がつくりだされ、勝敗が決定される。
こうしたゲームの競争状態でつくりだされる緊張感こそ、日常生活の中で我々が”ストレス”と感じているものに他ならない。
人はヒマを持て余すと、わざわざストレスある状態をつくりだして、その刺激に興じるのである。かくれんぼや鬼ごっこも同じである。
もし、仕事もお金もなんの心配もいらない、何のストレスもない上に、時間もたっぷりあるとするなら、きっと誰しも「何かはじめよっかなあ・・」と思いだすに違いない。
今度はストレスがないコト自体がストレスになるのである。
スポーツをはじめてみたり、習い事をしてみたり・・。
しかし、何かをはじめるというコトは、非常にストレスを伴うものだ。まったく知らないコトを憶えたり、挑戦するコトは緊張感の連続だからである。
だが、そうやって出来ないコトが出来るようになっていく・・というのは、また快感でもある。それが「成長」である。
このように「成長」とは自らストレスを求めるコトであるし、「安定」とはストレスからの開放である。
そうやって「成長」と「安定」という相矛盾するステージをくりかえしながら、よりさらなる高みを目指してこそ、人は生涯、自らの人格をスケールアップしていけるのである。
どちらか一方だけでは、人は満足できないものなのだ・・。