goo blog サービス終了のお知らせ 

Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

ギター/wotakufighter

2010年04月01日 | アート

いやー、もう4月になりました。

はえー・・。

何の関係もないけど、楽器が出来るとゆーのは憧れだ。

ギターなんか弾けたらいーなー・・なんて思う。

 

ちょっと前にYouTubeで昔のアニメの主題歌でも聴こうと探してたら、偶然見つけたのだが、wotakufighterとゆー人をご存じだろーか

ターバン?とマフラーで顔を完全に覆い隠し、一見テロリストを思わせる格好だが、ヲタクファイターの名のごとく、アニメの曲にあわせてギターを弾くのだが、これがメチャメチャうまくて、しかも気持ちよさそーに弾くのだ。

 

「トトロック」なんかは現在180万回以上(!)再生されてるとゆー”この世界”ではちょっとした有名人のよーだ。

個人的にはこっちの「はじめてのチュウ」のギタープレイの方が気持ちよさそーで好き。

なんか元気出るんよね。 

こちらも現在98万回再生で、もうじき100万回突破するだろう。

 

他にもいろいろある。

ぜひ1度、聴いてみてね。


広島生変図

2010年02月19日 | アート

昨年末に79歳で亡くなった日本画の第一人者、平山郁夫が描いた「広島生変図」(ひろしましょうへんず)。

東京藝術大学学長を務め、ユネスコ親善大使世界平和アピール7人委員会委員日中友好協会会長日韓友情年日本側実行委員長なども務め、文化遺産を守ろうと呼びかけた文化財赤十字構想など、芸術や世界平和のために貢献してきた彼は、15歳の時、旧制中学在学中に学徒動員された広島の地で被爆している。

 

紅蓮の炎に包まれた広島の街が、地獄さながらの当時の様子を彷彿とさせる。

 

周囲にすすめられても、その時に受けた生の衝撃、自分だけが生き残ったという罪悪感から逃れられず、筆をとっても描くコトが出来なかったという。

 

広島での体験を描いた唯一の絵が、この「広島生変図」なのだそうだ。

 

新しい日本画を模索し、シルクロードや仏教世界など、画題を世界に求め、革新をもたらした。

 

アフガンバーミアンの大石仏が爆破された時、その再建に反対したそうで、被爆地周辺の公園化もあまり快く思っていなかったそうだ。

現実から目を背けるのではなく、真摯に平和に、芸術に向き合うその姿勢の原点はやはり、ふるさと・広島での体験にあったのだろう。

 

画家のモチーフはその人の人生体験を映し出す。

平山郁夫は「群青」をよく用いたという。

 

広島県にある生口島(いくちしま)という、島の多い瀬戸内海にあっても、特に島の密集した海に囲まれた環境で生まれ育った平山郁夫にとって、「青」は幼い頃すごした故郷の海につながる色だったのかもしれない。

 

彼のさまざまな作品群の中にあっても、「青」とは対照的な「赤」を基調としたこの作品は、原爆の記憶とともに特異な位置づけをされる作品であろう。

 

実に被爆から34年の歳月を経て、ようやく描くコトが出来た・・

 

―その事実が、心に刻み込まれた傷の深さを物語っている。

 

 

画面右上、真っ赤に燃えさかる業火の中にたたずむ不動明王の姿が見える。

忿怒の形相で、一切の衆生を救うといわれる羂索(けんじゃく=縄)を握りしめたまま立ち尽くすその姿は、あの時、何も出来なかった作者自身の姿であろうか・・?

 

原爆の絵が描けるようになった時こそ、絵描きとしての自分が、”人間としての証し”を託する仕事を見つけることが出来た時ではなかろうか?

―常にその思いが胸の内にあったという平山郁夫にとって、まさしく”原点”とも言うべき作品である。

 

生涯、平和への祈りを込めて、絵を描き続けてきた平山少年を育てたしまなみの海は、今も静かに美しい景色をたたえている。

 


広島拘置所の壁画

2009年11月24日 | アート

今住んでる白島からそう遠くないトコロに広島拘置所がある。

ちなみに以前住んでた吉島の近くには広島刑務所があった。

 

あんまりイメージのいい場所ではないので、「広島のオススメ!」で紹介するコトもなかったが、実はこの拘置所、その前を通る度になかなか目を楽しませてくれる。

 

それはこの壁画!

だいぶ年数が経ってるからか、少々色あせた感は否めないが、浮世絵を思わせる鮮やかな色使いで、昔の広島の風物詩を描き出している。

 

広島は海に面していて川も多いので、水に関連した画が多い。

 

港・・

 

船・・

 

船・・

 

船・・

 

橋・・

 

川・・

 

そして広島といえば鯉!

 

北東の角の壁面にこの鯉が描かれているのだが、ちょうど交差点に面したトコロでとても目立つ。

色使いといい、勢いよく飛び跳ねる力強い鯉の姿といい、いろいろ描かれている壁画の中でも、個人的にはこれが1番の力作と思う。

 

なかなかの迫力だ。

 

広島城。(?)

 

「町内砂持加勢図」とある。

祭りの様子だろうか?

今も残る広島の町名が書かれている。

 

生き物も結構描かれている。

 

伝説の生物、龍の姿も。 

これもなかなかの力作!

 

中には作者の遊びなのかイタズラなのか、まったくスケール感を無視した動物も。

この牛も後ろにいるのに手前の人と比べても尋常じゃないサイズ。

怪獣なみのでかさだ。(笑)

 

それでもまだ、これはよしとしよう・・。

 

この画の画面左上に描かれた巨大なカニの姿が分かるだろうか・・?

 

なんでこんなトコにカニがっ・・!?

しかもすげーでけーっっ!!!!

 

―かと思えば、いきなり巨大な木とか・・。

 

これは太陽・・?

曼荼羅とゆーか、ちょっと宗教画っぽい。

こーゆー画が、何の脈略もなく、いきなり壁画のパノラマの中にさし込まれていたりするのだ。

 

これなんか一体・・?

ラピュタ・・?

 

ぜひ1度、自分の目で確かめて欲しい。

 

 

 

 


やっぱり神楽が好き

2009年11月02日 | アート

秋といえば、お祭りの季節。

ここ広島では、お祭りといえば、どこの神社でも「神楽の奉納」・・というコトで、舞台が設けられ、どっかの神楽団が来て2つ3つの演目が演じられる。

だから、秋といわず、年がら年中どっかでやってる・・という感じだ。

 

当然、このブログでも既に神楽は取り上げている。

(カテゴリー/広島のオススメ!:神楽「葛城山」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/8f5c466fe300228a09eec3b6df1ff655) 

 

 

それだけどこででも、年がら年中やっているにもかかわらず、毎回、どこも大盛況で、かなりの人だかりが出来る。

しかも、その客層は大人から子どもまでと幅広く、まさしく老若男女、みんなが楽しんでる・・とゆー感じなのだ。

 

写真でも分かるとうり、子どもたちも舞台にかぶりつきで見ている。

演者さんはさぞやりにくかろーなあ・・。

 

「神楽の魅力」という記事も以前に書いたが、いくつか自分が感じたものを、またあらためてここでまとめてみたい。

(カテゴリー/アート:「神楽の魅力」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/5db7c2e203837690df19e802dbf618b2

 

まずは

わかりやすいストーリー 

ほとんどすべての演目が勧善懲悪のお話で、土グモヤマタノオロチ九尾の狐など、妖怪変化の化け物が出てきて、それを退治するとゆー感じだ。

 

派手な衣装

見て分かるとうり、豪華絢爛、きらびやかな衣装で、極彩色のあざやかな舞台はそれだけでも圧倒される。

 

 

音楽と踊り

笛や太鼓といった昔ながらの雅楽器の音色にあわせて舞い踊るのだが・・

 

その舞いというのが、はじめはゆっくり、徐々にスピ-ドをあげて、くるくると回転するのだ!!

 

よく時代劇の殺陣などでも、剣を構えて向き合ったまま、お互いがじりじりと円を描くように移動する・・とゆーシーンがある。

はじめはそんな感じなのだが、しまいには相手なんか関係なく、自分がその場で回転しながら、なおかつ円を描くように移動する。

まさしく「自転しながら公転する」といった感じ。

 

しかも、どんどんクライマックスにむけてそのスピードは増し、笛や太鼓の音色もそれを煽るかのよーにどんどん激しくなっていく。

あの派手な衣装をつけたまま、ものすごいスピードで舞台狭しと回転する様は、それだけでも見る者の目を釘付けにする!

 

そして最後に

けれん味たっぷりの演出

スモークをたいたり、花火をもって登場したり、クモの糸を客席に向かって投げたり、とにかく派手!!

 

妖怪変化の化け物が出てくるので、必ず変身するのだが、お面や衣装が一瞬で変わる「早変わり」はなかなかの見もの!

美女の面から一瞬で鬼の面に変わったり、いつ変わったかわからないくらいの早さ。

回転しながら衣装が変わってる時もある。

 

舞台裏に消えたと思ったら、一瞬で全身真っ白な狐の妖怪になって出てくる。

 

それで餅とかまいた日にゃあ・・。

こりゃあ、子どもでも面白いと思うワケよね・・。

 

写真では伝えきれない神楽の魅力、ぜひ1度は生で見て欲しいものだ。

タダで見れるしね・・。 


嵐コンサート

2009年09月22日 | アート

9月19日、福岡YAHOOドームで行われていたのは「ARASHI Anniversary Tour 5×10」!

すなわち、ジャニーズの10周年記念のコンサートだったのだ!

(ジャニーズといえば、高校時代の友人Kが、カラオケで常にジャニーズ系の曲ばかり歌っていたのを思い出すが・・

 

「5×10」(ファイブ・バイ・テン)とは”5人で10年”のイミで、同タイトルのメンバーのデビューからこれまでの道のりを歌詞にした楽曲もあり、なかなかの名曲。

 

この10年の間に、まさに嵐はSMAPに次ぐジャニーズのトップ・アイドル・グループに成長した。

CDの売り上げもトップで、去年は年間シングル売り上げの1位、2位を独占!

最新アルバムの「All the BEST!1999-2009」は早くもミリオンを突破した。

ドラマや映画、CMとのタイアップ曲も多く、「Wish」「Love so sweet」「One Love」「We can make it」「Happiness」「Beautiful days」「truth」「曇りのち、快晴」「Believe」「僕が僕のすべて」「Everythng」「season」「明日の記憶」・・など、誰しも必ず1度は聞いたコトがあるだろう。

アップ・テンポでノリのいい、元気で前向きなメッセージを歌った曲が多い。

 

ウチの奥さんが嵐の大ファンで、一緒に番組を見たり、曲を聴いたりしてるうちに自分もハマってしまったというクチだ。

番組で見る嵐は芸人顔負けの話術に加え、体を張ってさまざまなコトにチャレンジしている。

ストッキングを顔にかぶったり、穴あきTシャツから乳首を出したり、大凧に乗って空を飛んだり、動物と戯れたり・・。(後半から相葉くん限定だな・・

 

歌って踊れて芝居も出来るイケメンにここまでされたら、普通の男はちょっとかなわない。

 

料理も笑いも一級品なら、世の女性が夢中になるのもうなずける。

隣りの席にいた小学校2~3年の真っ黒に日焼けした女の子が、眼をキラキラ輝かせながら、一生懸命に歌って踊って声援(歓声?)をおくっている姿を見て、なんだか心底、感心してしまった。

ジャニーズは常に時代に即した”老若女女”に「モテる男」をプロデュースし続けている・・といワケだ。

 

・・とはいえ、55000人を収容するYAHOOドーム、当然予想されたコトであるが、9割9分は女性!

それも大変な倍率の中から抽選で当たった人のみチケットが買えるので、コンサートに行けるコト自体、奇跡に近い。

会場の外にも「チケットゆずって下さい」というサインボードを持って立ってる人がたくさんいて、その熱気には圧倒された。

 

男性はあん中に50人いたかなあ・・?

だいたいコンサート自体が学生の頃以来かな・・?

 

個人的には「Happiness」「Step and Go」「トビラ」など、ノリノリの明るい曲も好きだが、「season」「アオゾラペダル」など、ミディアム・テンポとゆーか、ゆったりやさしい気持ちになれる曲がお気に入り。

コンサートで聴いた曲で一番印象に残ったのが「とまどいながら」(笑)

 

ドームで1人”取り残された感”を味わっていたアラフォーおやじの心情にマッチしたからなのかもしれない・・。

 

ちょっと切ない感じの曲が自分にはハマるんかなあ・・?

 

ホントは道が混んでなければ、九州国立博物館にこの期間展示されてた国宝の興福寺阿修羅像も見に行きたかったんだけど・・。

 

まあ、あんだけノリノリで喜んでる奥さんの姿を見たら、これもアリかな?・・と思った日帰り旅行でした。

 


ワイヤーアート

2009年08月03日 | アート

ウチの近くの陶芸教室の前には、巨大な人型のオブジェがある。

自分の身長は175cmあるが、同じか、それ以上はあるかなりのでかさだ。

 

しかも、なぜか針金をぐるぐる巻いて作ってある。

 

陶芸と何の関係が・・?

 

・・と思ってしまうが、これもまあ、ひとつの芸術なのだろう。

 

長い髪、胸やくびれた腰などからして、おそらく女性をモチーフにしたモノなのだろう。

しかし、その顔はインパクトがありすぎて、ちょっとコワイ・・。

 

ウルトラセブンかなんかで、こんな星人いなかったかなあ・・?

フック星人・・?

 

これだけのモノを陶芸でるのも至難の業であろうし、陶芸で作ってあっても、ちょっとやだなあ・・。

 

まあ、おそらく陶芸では、この不気味さは出せないだろう。

素材の勝利だ。

 

しかし、この作品の狙いが、そもそも”不気味さ”だったのか?・・というと、ナゾであるが・・。

 

芸術とは、奥の深い世界である・・。

 


ストリートアート

2009年07月23日 | アート

街を歩いていると、よくカベなどにスプレーなんかで絵を描いたストリートアートを見かける。

中には暴走族の「~参上!」とか「全国制覇」とかゆー迷惑極まりない単なる落書きもあるが、当然そんなモノはアートとは呼ばない。

 

しかし、平和公園から南にのびる吉島通りを少し南下すると、丁度国道2号線と交わる交差点のトコロで右手に見えてくるこの壁画はすごい!

とにかく、目立つ!!

 

4階建てのビルのカベ一面に描かれたこの巨大な絵は、一見するだけでその作業の大変さがうかがえる精緻なもので、強烈な色使いが非常にインパクトがある。

壁画の前は駐車場になっていて開けた空間なので、車がとめてあってもほぼ絵の全体が見渡せ、とてもよく目に付く。

しかしどーやって描いたんだろう・・?

 

フェニックスだろうか?巨大な鳥が極彩色の翼を広げた背後に青空が見え、そこから様々なパターンを織り成す曼荼羅のような絵が広がっている。

巨大な鳥の右上には「和」?という漢字にも見えるパターンが描かれている。

 

なんと表現していいかわからない一つ目の未知の生物や、ワケのわからない生き物らしきものがあちこちにたくさん描かれ、画面を隙間なく埋め尽くしている。

うーん・・すごいセンスだ・・。

 

端っこにはこの絵のタイトルだろうか?「THE GARDEN SHIP」と書かれ、その下に「旧中工場アートプロジェクト」「アサヒペン」等の文字も見える。

察するトコロ、企業の看板・・?

・・とゆーか、アピールのために描かれた絵なのかな・・?

 

・・にしても、デカデカと社名が書かれているワケではないし、こーゆーもんなら道行く人の目を楽しませてくれて、なかなか粋だよね・・。

 

―ただ、単順に”好き嫌い”で言ったら、派手な色使いといい、ゴテゴテしすぎて正直、あんま好きな絵ではないんだけど・・。(笑)


これって芸術・・?

2009年06月10日 | アート

銅像はよく見かけるが、この「顔」のレリーフ、市内中心部の紙屋町は相生通り沿いのビルで見るコトができる。

まあ、カテゴリーとしてはアート(笑)のツボか迷うトコロだが・・。

 

たとえば、ピカソの絵や岡本太郎「太陽の塔」なんかも、芸術だと理解できない人にとっては、何の冗談か?・・と思うようなものかもしれない・・。

抽象画なんかは、見る側の感性がかなり問われる作品であるといえよう。

 

しかし、一見しただけではワケのわからない抽象画も、見続けていれば、だんだんその良さが分かるようになってくる・・と聞いたコトがある。

花にまったく興味がなかった人でも、自分で種を植えて育てていくうちに、愛着がわいて花が好きになる・・というようなコトもあるだろう。

 

よく、興味がないものはバッサリとシャットアウトして、見向きもしない・・という人は多いだろう。

「すしが嫌い」という人は手をつけようともしないが、好きな人からすれば「こんなにおいしいのに・・」と思うであろうし、人によっては「もったいない!人生、損してるよ」・・とまで思うかもしれない。

何でも「嫌い」「嫌い」・・とシャットアウトしていれば、人生もまた狭いものになってしまう。

好き嫌いが多い偏食の人は、人格的にも好き嫌いが多くなりがちではないだろうか・・?

なんにしろ、食わず嫌いはよくない。

感性も訓練するコトで磨かれていくものなのだ。

 

それでも、こーいった前衛的(?)な芸術は、かなり感性の許容量とゆーか、”心の遊び”がないと、理解できないもんかもね・・。

 

これを芸術ととるか冗談ととるかは、あなたの感性次第・・。

 

 


BONSAI

2008年11月19日 | アート

  

先日の菊花展には盆栽も展示されていた。結構「和」のものが好きな自分は盆栽にも興味があり、ちょっと調べてみた。

 

盆栽は中国に源流をもつ日本で開花した植物芸術で、「盆」を意味する陶磁器で作られた鉢に草木を植「栽」し、生育する過程の中で培養や整姿を行って、天然自然以上の自然美をつくり出し,その美しさを鑑賞するもの。

 

鉢の中に木や草を植えて、自然の雄大さや美しさ、風景を連想できるような象徴的表現が特徴で、その歴史は古く、平安時代にまでさかのぼる。

しかし、平安時代に「盆栽」という言葉が存在したわけではなく、ただ単に小さな器に草木を植えて棚に置かれ、鑑賞されていたのがその原形とのこと。

 

「盆栽」という言葉が使われるようになったのは江戸時代の末期で、この頃に日本独自の鑑賞スタイルが整えられ、明治から大正にかけて、現在の樹形表現が完成したといわれている。

 

    

  鉢植えは植物を鉢に植えて、その植物が持つそのものの美しさを

  観賞の対象としたものであるのに対し、盆栽は植物を演出して、自然

  の雄大さを小さな鉢に表現して楽しむものといえよう。

 

  盆栽はあの小さな鉢の中に宇宙があるのだ。

 

  

   

盆栽は「BONSAI」として国際的にも通用する、今や世界に誇る日本のアートだ。この時も外国人観光客が足を止め、「オー!ボンサイ!!と言ってたのが印象深かった。

 

 

    

   こういったミニチュア盆栽もあった。

  

日本人は手先の器用さを活かして、この小さな空間に宇宙を表現る芸術を生み出した。

今では「マン盆栽」というフィギュアを使った盆栽()もあるようだが、こうしたミニチュアを嗜好する日本人の傾向は、そこに無限の広がり、小宇宙を感じさせるといった意味では、ミニカーや鉄道模型、フィギュアやプラモデルのジオラマにも通じる世界だよなあ・・と思うのである。

 

そうやって考えると、広い意味では盆栽もオタクな趣味なのかなと・・。

 

    

ちなみに自分の母は華道を嗜み、父は庭いじりを好んだ。

小さい頃は、土を運ばされたり、いやいや手伝ったという記憶があるが、今なら、花や木を愛した両親の気持ちが、少しはわかる気がするのである・・。 

 

 

  

 

 

  

 

 

 

 


広島城大菊花展

2008年11月12日 | アート

先日、「広島城大菊花展」に行ってきた。「菊花展」とか「菊人形展」というと、どうも年寄りくさいイメージがあって、なかなか自分にとっては、わざわざ見に行く・・という類のものではなかったが、近くで、しかもタダで見れたので、せっかくだからと立ち寄ってみたら、結構楽しめた。

自分もそーゆー年になったというコトか・・?

・・まあ、美しいものを美しいと思う心に年齢差はないのだ。

 

こんな神楽の『悪狐伝』の菊人形もあった。さすが広島・・。

しかし、やはりゴテゴテ飾りつけたものより、シンプルなものの方が目を引いた。

「~賞」やら書かれた菊の花が並ぶ。さすがにどれも見事だ。

 

しかし、近くによって持ち歩いてたデジカメを構えたら、「ん?」と妙な違和感を覚えた。

大輪の菊の花の下に、白い針金が見えたのだ。

細長い1本の茎の上に、、あれだけでかい花がのってるのだから、無理からぬコトなのだろうが、よく見ると、茎の方も何かでゆわえてあったり、いろいろ手が加えられているのがわかる。

 

ゴテゴテ飾り付けられたものに比べれば、シンプルで自然に見えた菊の鉢植えも、ここに並んでいるものはすべて、とんでもない手間ヒマがかかっているであろうコトは想像に難くない。

 

「自然」「作為」

・・そこに大変な人の手がかかっているのに、あたかも自然にそのように咲いたかのように咲く花。

日本人はそのような自然との調和・共存に美を見出す。

 

何で聞いたか、何かで読んだかは忘れたが、昔、高名な茶人が客をもてなすのに、庭の落ち葉をすべてきれいに掃き清め、その後でまた落ち葉をまいた・・という話があった。

茶道には「和敬清寂」という言葉があるが、その「さび」とでもいおうか・・?

 

合理的な考えからしたら、なんでまたきれいにしたものをわざわざ自分の手で散らかすのか?・・というコトになろうが、その自然の風情を味わってもらいたい・・というもてなしのこころ。

手を加えながらも「自然」を演出する。

その意匠がわざとらしかったり、目につくようにでしゃばるものであっては「いやみ」になってしまう。あくまでも、さりげなく・・。

美しい日本庭園や、素材のよさを引き出す日本料理にも通じる世界であろう。

 

そういう、自分は陰に徹しながら、まわりを引き立てる自己主張のなさ。

・・それは美しい日本人の美徳であると思う。

 

海外に行けば、その自己主張のなさが、かえって非難されたりもするが、「自分が!

」、「自分が!」・・と前に出るばかりが能ではあるまい。

自己主張がつよい民族の中では対立ばかり起こるが、陰に徹するコトが出来る日本人は、調停役にはもってこいだと思うのである。全体の意見を聞きながらバランスをとるコーディネーターだ。

 

もちろん、言語という課題はあろうが、それさえクリアすれば、まるで家庭の中の母親のような役割を果たすのではないか・・?これは他の民族にはない、日本人特有の誇るべき優秀な能力だろう。

自分の友人・知人にも国際結婚をして海外で暮らしているのが何人かいるが、彼女たちも現地で裏方に徹しながら(?)、頑張っていると思うのである。

 

ちなみに菊といえば、ルース・ベネディクト『菊と刀』が思い出される。

大戦中に日本を研究する目的で、日本に1度も行くことなく、文献資料と日系人への聞き取りでまとめられた日本文化論の名著だ。

いわゆる「罪の文化」「恥の文化」というとらえ方は、この『菊と刀』による。

すなわち、西洋では唯一絶対の神を信じているがゆえに、自分の良心にもとることは「罪」だと考える道徳観をもつが、日本人にはそういう唯一絶対の神・・というような絶対的な価値基準がないので、まわりがよければよいという道徳観で、まわりと違うコトを「恥」と考える文化なのだと・・。当然、良心の基準は低いととらえられている。

見方を変えれば、それが日本人の自己主張のなさ・・というコトにもなろう。

いつまでも「赤信号、みんなで渡れば怖くない」では通用しない。

主体的な、なおかつ世界に通用する道徳観や倫理観をもった日本人が世界に出ていけば、その活躍の場は無限にあるのではないか・・?

・・そう、期待もこめて思うのである。

 

ちなみにこの菊花展には盆栽もあったが、その話はまた次の機会に・・。