今年で9回目を迎えるM-1グランプリ。
年末はレコード大賞に紅白・・とゆーのが定番という家庭も多いと思うが、我が家(俺限定?)はM-1と格闘技イベントを見て年を越すとゆーのが最近の恒例になっている。
去年はNON STYLEが優勝したが、人気が出たのはオードリー・・とゆー感じで、決して漫才の実力=人気とならないのがTV業界の難しいトコロ。
漫才は決められた時間内にどれだけ練り上げて、作られたネタを披露するかだが、ルックスも含めた見た目のインパクトと、フリートークなどアドリブが効くトーク力がTVではものを言うからだろう。
はんにゃなど、人気があってもM-1では勝ち上がれていないのがいい例であろう。
年々出場者が増えてるが、今年は過去最多4629組から決勝に8組が残り、その中で勝ち残った上位3組がM-1決勝の常連・笑い飯、敗者復活で勝ち上がってきた去年の王者・NON STYLE、そして、9年連続M-1に出場しながら、1度も決勝進出したコトがなかったダークホースのパンクブーブー。
正直、決勝8組中のネタで1番面白かったのは1位通過した笑い飯。
”鳥人”のネタはわろた。
笑い飯のおなじみ、Wボケネタは盛り上がるまでに時間がかかり、個人的にはあまり情がいかないのだが、このネタは秀逸の出来!
島田紳介が感動したと100点をつけたほど!
しかし、格闘技の1Dayトーナメントと一緒で、勝ち上がっていくと、また新たなネタを披露しなければならない。
結果的にはもっとも安定したネタを披露したパンクブーブーが、審査員の全員一致で優勝した。
全員一致での優勝は2006年のチュートリアル以来。(確か・・)
このコンビはオーソドックスなネタをやる正統派だなあ・・という印象で、モンスターエンジンのネタが「ガラが悪い」と審査員から言われていたが、あまりにもブラックな笑いや下ネタは好き嫌いがあるので、引かれてしまうコトも・・。
相手を選ぶネタよりは、最大公約数的なネタの方が一般受けするのは当然であろう。
お笑いは奥が深い・・。
とはいえ、TVで売れるかは、また別・・。
M-1王者として露出が増える分、来年は真価が問われる年になるだろう。
頑張れ!パンクブーブー!
「ホモソーセージ」って昔からあるけど、この「ホモ」は
どーゆーイミなんかなあ?
まあ、あっちのイミではあるまい・・と調べてみた。(笑)
すると、英語の「homogenized」(均質化された)からとったものだと判明。
魚のすり身を全体が均一になるよう、よく混ぜ合わせた生地を使用しているから・・とのコト。
なので、魚肉だけでなく、牛肉でも豚肉でもホモソーセージは作れる(はず)。
ちなみに「ホモ牛乳」の「ホモ」も同じイミ。
「ノンホモ牛乳」は無均質―つまり、乳脂肪分が均質化されていない牛乳とゆーイミで、高温殺菌牛乳のほとんどがホモジナイズされた「ホモ牛乳」だそう。
「成分無調整牛乳」は、牛からしぼったままの乳を”殺菌して”牛乳を製造する工程で”乳脂肪分を調整していない”というコト。
―てコトは、「ノンホモ牛乳」=「成分無調整牛乳」
・・とゆーワケではないのかな・・?
勉強になったけど、ま~たワケわかんなくなったよ・・。(笑)
情報求ム。
今年の6月末にシルバー人材センターでリサイクルの自転車を買った。(カテゴリー/広島のオススメ!:「シルバー人材センター」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/144f0e8209e24f4ad4a5682692096f3b)
広島に来てほぼ1年に1台ペースでオシャカになったり盗られたりしてるので、今度こそ長いお付き合いを・・と誓った7(8)号車だった。
しかし、これもやはり、わずか3ヶ月ほどで盗まれてしまった・・。
まあ、しゃーないな・・と、半ばあきらめとゆーか、”慣れ”のよーな思いもあり、運動にもなるし・・と、最近は歩いて出回るコトが多かった。
昨日も店がお休みだったので、いろいろ歩きで出回って、ひとしきり用事が済んで近所のコンビニに寄って帰ろうとした時だった。
昨日は少し雨が降ったので、歩道の植え込みなんかもちょっと濡れていたのだが、その植え込みに投げてあった、明らかに乗り捨てたと見られる銀色に光る自転車が目に飛び込んできた。
まるで自分に「見つけてくれ!」といわんばかりの不思議な感じだった。
「ん?どっかで見たよーな・・」
―と思って近づくと、それはなんと!
盗難にあった自分の自転車だったのだ!
まあ、おそらく普段なら、また誰か盗んだ奴が乗り捨てていったチャリだなあ・・と、何の気なしにスルーしていたトコロだったろう。
我ながら、よくぞ気づいたもんである。(自画自賛・・)
今回はウチの駐輪場に置いてたのが盗られたので、めんどくさいなー・・と思いながらも、さすがにはじめて警察に行って盗難届けも出していたが、それで見つかるワケはなろう・・と、大して期待もしていなかった。
確かに今回見つかったのも警察で見つけてくれたワケでなく、自分で見つけたワケだし。
でも、自分で出来るコトはすべてやる!
「至誠感天」、あるいは「人事を尽くして天命を待つ」とゆー言葉もあるが、そうした一見、無駄とも思える努力が、何かこーしたかたちで現れるのかなあ・・と思わされた出来事だった。
(ちとオーバーかな・・?)
親や健康もそうだが、ある時は当たり前に思って感謝もしない人も多いと思うのだが、いざ、なくなってみてはじめて、どれだけそれがありがたいものであったか実感する・・とゆーコトがある。
今回も盗られた自分の自転車が戻ってきただけなのだが、ありがたいコトだなあ・・と感謝の思いが自然とわいてきた。
神様、ありがと~!
いよいよ12月、今年最後の月だ。
RCC横の裁判所にキレイに色づいた立派な大樹があったので思わずパチリ。
しかし、もう紅葉の季節はすぎ、結構葉の落ちた木も目立つ。
日が落ちるのも早くなり、最近はもう夕方6時になる前には真っ暗だ。
街のイルミネーションも映える季節。
ラジオで「去年は1年が「あっ!」という間に過ぎたけど、今年は「あっ!
」と言う間もなかった・・
」とゆーハガキが読まれていたけど、ホント、年々時が経つのが加速度的に早くなる・・。
街中は、ツリーや飾り付けがすっかりクリスマスの雰囲気を醸し出す。
年の瀬って感じ・・。
川沿いの景色は何とも言えず、いい雰囲気だ。
こんなオシャレなカフェも。
まあ、行くコトないけど・・。
そういや、もう100m道路はドリミネーションで賑わってるとか。(カテゴリー/広島のオススメ!:「ひろしまドリミネーション」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f428bb84670d063359700c94858ef146)
でも、こーゆー普通の広島の夜景もキレイでいいな。
夜通るとライトアップされた原爆ドームの説明書がある石板の上に、いつもネコがちょこんと座ってたりする。
お気に入りの場所なのかな・・?
しかし、お前、仮にも世界遺産だぞ・・。
広島城とリーガロイヤルホテル。
こーゆーコントラストも面白い。
師匠も走ってる師走!
(ホントはお坊さんのコトだけど・・)
俺も今年最後の1ヶ月、ラストスパートで頑張ろう!
皆さんも風邪ひかないよー気をつけてね。
「じょうたん」とゆー言葉を聞いたコトがあるだろうか?
最近TVのバラエティなどでよく見かける「ギザカワユス」とかゆーあれではない。
「じょうたん」―漢字で書くと「情短」で、正式名称「情緒障害児短期治療施設」の略で、児童福祉施設の一種である。
虐待や育児放棄の疑いがある場合、児童相談所がその家庭の調査を行なう。
そして、そのまま放っておくと子どもに危険が及ぶ可能性が高く、家族を分離するのが望ましい・・となった場合、子どもは主に次の4つの場所のいずれかで暮らすことになる。
「里親」、「児童養護施設」、「児童自立支援施設」、そして、とりわけ心に深い傷を負った子どもたちが暮らすのが「情緒障害児短期治療施設」、すなわち「情短」なのだ。
情短は原則として18歳まで入所でき、児童精神科医や心理セラピストといった医療の専門スタッフと、子どもたちの生活全般を支える児童指導員がチームを組んで心のケアにあたり、子どもたちが社会で安定した生活が送れるよう治療を行なう。
心を閉ざしてしまったり、暴力が抑えられないなど、情緒に重い混乱をきたした子どもたちが、人と普通に関係が結べるようになるコトを目指し、共同生活を送りながら治療を受ける施設で、現在全国に33ヵ所あるという。
入所しているのは、虐待や育児放棄をくりかえす親元から保護された子どもたちがほとんどだ。
実は自分も先日やってたNHKの特集ではじめて知ったものだ。http://diamond.jp/series/tsuiseki/10008/
自閉症、ADHD( Attention Deficit / Hyperactivity Disorder 注意欠陥・多動性障害)、LD(Learning Disorders,Learning Disabilities 学習障害)、不登校という、この4つが特別支援教育における主な対象であるが、情短では定期的に医師の診察やセラピストの面接があり、24時間体制でスタッフが親代わりとなって、真剣に子どもたちと向き合う姿が番組では取り上げられていた。
今や、暴力や育児放棄といった「虐待」によって子どもの命が奪われる痛ましい事件が激増している。
虐待の中味は殴る、蹴る、物を投げる、タバコの火を押しつける・・といったものから食事を与えない、言葉の暴力、性的暴行・・と、実にさまざまなケースがある。
それも、本来自分を守り、保護してくれるはずの、他ならぬ我が親からの虐待によってである。
これぞ、人間不信の極致である。
虐待を受けてきた子どもの中には、自らの自然治癒力では心の傷を乗り越えられないため、治療を必要とするケースが存在する。
ある子どもは夜になると、親が自分をほったらかして夜遊びに出て行った不安な記憶がよみがえり、怖くて眠れずに夜ごと暴れだし、徘徊する。
ある子どもはちょっと手があったったコトに切れて、 相手を殴りつけ、首を絞める。
またある子どもは父の再婚後、継母から虐待を受け、弟が生まれてから「お父さんはあんたのお父さんじゃなくて、弟のお父さん!」と言われたコトが殴られたコトより深い心の傷となり、「反応性愛着障害」と診断された。
その子は自分が必要ない存在と心を閉ざしてしまい、1番情が近いスタッフが他の子と話しているのを見るだけで切れて、暴力をふるってしまう・・。
親からされたコトを、そのまましてしまうのだ。
これは程度の差こそあれ、誰しも同じであろう。
本来、もっとも心安らぐ安全な場であるはずの家庭が、今や命の危険にさらされる戦場と化し、子どもたちを不安と恐怖と暴力へと駆り立てる。
何より”自分”という存在の根拠である親から受ける虐待は、「自分は必要ない存在なんだ」という大きな心の傷となって、自殺やリストカット、あるいは自分という存在を誇示するための殺人へとつながっていく。
秋葉原での無差別殺人事件など、その典型であろう。
国力強化のためには人口増加が不可欠である。
出産の支援や子どもの教育など、国が政策として力を注ぐのはよく分かる。
しかし、今、「家庭の再建」こそ、急務ではなかろうか?
このまま崩壊した家庭を放置すれば、心に傷をもち、まともに人間関係が築けないで育つ子どもたちが増えるコトは間違いない。
そんな日本の未来が明るいはずはない。
そうした中、あろうコトか、ただでさえ崩壊している家庭を、わざわざ、さらに解体する方向に導く「夫婦別姓」導入を議論するなど、愚の骨頂であろう。
それこそ、”冗談”ではない、だ。(いや、マジで・・
)
先日、何やら虫が我が家に飛び込んできて、カン!コン!とあちこちに体をぶつけて止まった。
こんな季節にカナブンかな~・・と思ったが、よく見るとカメムシであった。
体長約2cmはある、なかなか巨大なものだ。
広島は山があるからか、結構カメムシを見かける気がする。
このブログでも記事にしたコトがある。(カテゴりー/最近思うコト:「カメムシの産卵」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/a203f9f8703df8b75d35737ed938dbbb)
また、カメムシがよく出る年は寒くなるとも言われているようだ。(カテゴりー/最近思うコト:「カメムシのよく出る年は・・」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/de11f9a9ce40f900362fb686dc6f54d2)
最近、ラジオ(もちろんRCC)の番組でカメムシの特集(!)が組まれており、今年は大量発生か!?・・というコトで、いろいろな情報が寄せられていた。
あたたかいトコロに移動して越冬する習性があるので、山中では部屋のタンスの隙間やカーテンなどに密集しているコトが多いらしく、外でフトンなどを干すとエラいコトになるので室内で干す・・とゆー人も多いようだ。
例年より多いとゆーか、年々巨大化してるんじゃないかという情報も・・。
地球温暖化の影響だろうーか?
何らかの影響を生態系に及ぼしてる可能性は否めない・・。
面白いなー・・と思ったのは、ペットボトルの底を切ったものをカメムシに近づけると、勝手にその中にコロンと落ちてくれるのだとか!
自分も検証したワケではないので、真偽のほどはわからないが、山の方に住んでててカメムシでお困りの方はぜひ、試して欲しい。
他にもフマキラーの研究所の研究員とかも出てきて、「カメムシのくさい臭いはいくら洗ってもとれない!」とか、いきなり絶望的な情報を公開したりしていた。
もちろん、今後の研究如何によってはカメムシの臭いを消す薬剤とか、開発されるかもしれないが・・。
ちなみにカメムシは殺虫剤だと刺激されてくさいガスを出すので「瞬間凍殺ジェット」とかゆー、瞬間的に凍らせてしまう殺虫剤がオススメだとか・・。
ムカデのような、なかなか殺虫剤でも死なない虫でも、凍らせて動きを封じ込めるコトが出来るので、効果抜群らしい。
別にフマキラーの回し者じゃないんだけどね・・。
まったく盛り上がらなかった県知事選も、昨日、さくっとおわり、新しい広島県知事が誕生した。
前任の知事も4期くらい?・・相当長く務めたそうだが、顔も知らないくらい。
まさしく”顔の見えない県政”・・。
ウチの前の公園の木々も色づき、葉も落ち、秋が深まってゆくのを感じる。
最近めっきり寒くなり、
「さざんか、さざんか咲いた道~
」
・・と、灯油を売る車が、おなじみの曲をかけながら近所を走って行く。
季節の変わり目だ。
季節も移ろいゆくように、自分の心も時々刻々と変化していく。
「過去と他人は変えられない!未来と自分は変えられる!」
・・よく聞く言葉ではある。
最近、自分のブログでも書いた。(カテゴリー/人生覚書き:「自律型人間を育てる3つのポイント」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/17f67b324faffa65e61a094861a40c3e)
わかっちゃいるけど、相手に求めてしまったり、 他人のせいにしてしまったり・・。
特に夫婦間のような密接な関係であるほど、そーゆー傾向があるのかもしれない。
「他人は変えられない」=「コントロールできない」とゆーコトだ。
最近、ある人のブログで、
「パートナーをコントロールできない、ということ。
それは何を意味しているでしょう?
パートナーを不快にすることもできない。
幸せにすることもできない。
それはパートナー自身にしかできない。
これは新しい考えです。」
http://www.option.org/media.php?mediatype=video&mediaid=3&part=0
・・とゆー文章があった。
確かにこれは新しい考え方だ。
自分の中で、何かが変わるような感覚。
目からウロコ・・パラダイム・シフトとでも言おうか・・?
「自分が変わらなきゃ」という思いが、「自分が相手をしあわせにしなきゃ」・・という考え方になって、いつしかそれに縛られていなかったかな・・?
それはあるイミ、傲慢とゆーものだろう。
「自分をしあわせに出来るのは自分だけ」
確かに、そうなのかもしれない。
・・まあ、その思いも、一過性のものかもしれないが・・。
悟っては捨て、悟っては捨て・・人生は一生、勉強ですな・・。
10年以上前の同僚がガンで亡くなった。
年もまだ40で、自分とそう変わらないが、3児の母親となり、1番下の子はまだ2歳だときく。
なかなか人の死にふれる機会がないと、人は「死」というものを考えないものなのかもしれない。
しかし、生きている限り、この世に生まれた以上は、必ず、誰にでも「死」は訪れる。
それは、さけて通るコトは出来ないものだ。
「死んだらすべておわり」・・と考える人は、結構いるように思う。
しかし、それ以上に、「死んだら死後の世界がある」と考える人も多いように思う。
もし、「死んだらすべておわり」と考えるなら、今さえ良ければいいと、刹那的な生き方・考え方になるコトは間違いない。
いわゆる現世利益、この世の栄華のみを追い求めるコトになろう。
しかし、「死んだら死後の世界がある」と考えるなら、どうだろうか?
たとえば仏教なら、「輪廻転生」という考えがあり、死後、生前の行いに応じて生まれ変わるという考え方で、よくある”前世”占いなどは、基本的にはそうした仏教の死生観を前提としたものである。
キリスト教なら、イエスの十字架の死を信じ、悔い改めるなら、天国へ行く・・といった感じである。
もちろん、キリスト教にも仏教にも多くの教派があるので、一概には言えないが、ごく大まかにとらえると・・というコトであるが、死後の世界―霊界があると考えるなら、現世利益よりも来世、死んだ後に行く世界でどうなのか?・・というコトに重きをおいて日々生活するのではないだろうか?
この世で悪い行いをしたら、来世で虫に生まれ変わるとしたら、たまったものではない。
まして地獄に落ちると分かっていたら、悪いコトも出来るもんではない。
まあ、「死んだ後にいい暮らしがしたい」とゆー動機で生きているのだとしたら、それもどうかとゆー感じだが・・。
要は「死」をどうとらえるか?・・という死生観で、生き方さえも変わるというコトだ。
もし、「あなたの寿命はあと何年ですか?」と聞かれれば、今は平均寿命も延びてるし、80歳くらいまで生きるとしたら、残りの人生はあと40年くらいかなあ・・とか考えるかもしれない。
しかし、実際はどうだろうか?
明日、事故で死ぬかもしれない。
絶対にそんなコトはないとは言い切れない。
人は、自分の人生でさえ、あと何年生きられるか?・・というコトも分からずに生きているのだ。
―だからといって、緻密な人生設計をたてるコトなんてバカらしい・・とゆーつもりはない。
しかし、将来的にどーこー言うより「今、ここ」という生き方が、より大事なのではないかと思わされる。
明日、いや、今日死んでもいいくらい・・そんな充実感と緊張感をもって、日々生きている自分であるか?
もし、明日死んでも悔いがないと言い切れるくらい、日々を大切に生きている自分であるか?
・・彼女の死は、そんなコトを思わされた出来事であった。
ちなみに自分は死んだらおわりとは思っていないので、なんだか永遠のさよならではない、「先に行っちゃったんだね」・・という、妙に清々しい気分もある。
ひとえに彼女のまっすぐな生き方ゆえであろう。
しばらく会ってなかったけど、いつかそっちで昔話に花を咲かせましょう。
残された家族のしあわせと、彼女のご冥福を祈ります。