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Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

プロレスラー三沢光晴、追悼

2009年06月15日 | 格闘技・武道

6月13日に、広島市中区基町のグリーンアリーナでプロレス団体ノアの試合中、同団体の社長であり、かつて2代目タイガーマスクとしても活躍したプロレスラーの三沢光晴が亡くなった。

生前、プロレスを「俺の人生そのもの」と語り、18日には47歳の誕生日を迎えるはずだった”受身の天才”と言われた男をおそった突然の悲劇であった。

 

・・正直、この記事を書くべきかどうか迷った。

自分は格闘技好きだが、プロレス好きかと言われれば、微妙である。

 

ジャイアント馬場率いる全日本プロレスか、アントニオ猪木率いる新日本プロレスか?

・・といえば、全日との違いを出すため、異種格闘技路線を打ち出し、ストロングスタイルを追求した新日派であったし、新日の選手たちが旗揚げした、より格闘技色の明確なUWFや、後のパンクラスに傾倒した。

 

新日に比べ、全日は「プロレスの王道」という感じで、力道山以来のプロレスを継承する”正統派”とでも言うべき流れを汲む。

三沢が旗上げしたノアは、ジャイアント馬場―ジャンボ鶴田・・といった流れを汲む、完全な全日系のプロレス団体だ。

 

それほど見ていたワケではないし、ものすごくファンだったというワケでもない。

 

しかし、まだ若く、プロレス界を牽引してきたリーダーであり、カリスマであった三沢の死は、少なからずショックを覚え、また広島での試合中だったというコトもあり、なんだか自分の中でも書かざるを得なくなった・・という気持ちにさせられたからだ。

自分の格闘技好きの原点も、プロレスにあったといっても過言ではない。

そして、いかなる格闘家も、あるイミ、その母体であるプロレスというものに対して憧れやコンプレックスをもっている。

 

プロレスの試合の自由さは、ショー的な要素がないとはいえない。

しかし、それがイコール「プロレスは八百長」、「プロレスラーは弱い」というコトではない。

「相手の技を受ける」という肉体の強靭さとスタミナは、あらゆる格闘技中随一であろう。

 

さらに、本来、投げ技はいかなる打撃よりも大きなダメージを与えるコトが可能だが、スープレックスバックドロップブレンバスターのようなプロレス技は、そのプロレスラーの強靭な肉体をもってしても、相手を死に至らしめるほどの破壊力をもっている。

皮肉なコトであるが、自らの死をもって三沢はそれを証明したコトになる。

 

もちろん、このような不幸な事故が、二度とおこってはならないが、いまや多くの団体が乱立し、テレビのゴールデンタイムから姿を消して久しいプロレスの衰退は、またヒーロー不在の時代を象徴しているかのようだ。

そして今また、プロレスをメジャーにしようとしたヒーローが逝った・・。

 

三沢選手のご冥福をお祈りします。


近藤有己よ、「有るがまま」に

2009年06月11日 | 格闘技・武道

近藤有己という格闘家を知っているだろうか?

最近は試合数も減って、負けがこんでるようだが・・。

 

1996年1月にパンクラスのリングで弱冠20歳でデビューし、連戦連勝。

同年11月には王者の船木誠勝とのタイトルマッチに敗れるも、翌97年4月には船木を破り、第5代キング・オブ・パンクラシストの座に就き、スーパールーキーとして注目を浴びた。

船木がヒクソン・グレイシーと戦い、1度は引退を決めたコロシアム2000では、船木の前座でヒクソンの一番弟子と呼ばれ、寝技世界一を決める大会、アブダビ・コンバットでも優勝経験のあるサウロ・ヒベイロを秒殺!

船木の後継者として、「不動心」の異名をもつパンクラスのエースとして戦ってきた、自分も大好きな選手だ。

 

2003年の大晦日からPRIDEに参戦し、ブラジリアン・トップ・チームの実力者、マリオ・スペーヒーを破り、当時”絶対王者”と呼ばれた無敵のヴァンダレイ・シウバとの対戦を要求。

そのマイク・アピールは

「次はヴァンダレイ・シウバ選手とやりたいです」

・・という、ごく淡々とした、実に近藤らしいものだった。

 

大晦日のPRIDE初参戦で強豪を倒し、あけた翌2004年は、間違いなくノリにのってる時期。

”日本人ミドル級最後の砦”と称され、”ストップ・ザ・シウバ”の急先鋒として期待され、マスコミもファンも「近藤ならやってくれる!」と大いに注目、その年の「格闘技通信」にコラムの連載も開始されるコトになった。

おそらく、シウバへの勝利ありきで、マスコミも”あの”シウバを倒した近藤!・・という感じで盛り上げたかったのだろう。連載するコラムのタイトルを格通誌上で公募した。

 

実は、そのコラムのタイトル、「有るがまま」というものに決まったが、その元になったネタを送ったのは、何を隠そうこのわたし・・。

 

その言葉こそが「流るるままに」・・というワケだ。

 

採用されて送られてきた近藤選手直筆サイン入りのスパッツ。

本人が実際試合で着用したものだ。

 

これが当時の格通。記念にとってある。バックナンバーを見れば、自分の名前も出ている。

 

・・残念ながら、近藤はシウバに1RTKO負けを喫し、その後もなかなかPRIDEのリングでは結果を残せず、PRIDE自体も消滅。コラムの連載もいつの間にやら立ち消えに・・。

 

吉田秀彦の旗揚げした戦極にも参戦しているが、なかなか結果は出せていない。

 

今でも格闘家としての評価は高い近藤は現在33歳。

何より結果がすべてのプロ格闘技の世界においては、勝敗がシビアに選手の人生に関わってくるであろう。

なかなか勝ち星をあげられない今が、本当に苦しい正念場かもしれない。

しかし、努力と結果が必ずしも比例するワケではない。

生涯現役を目指しているだけに、30歳をすぎた今、試合数も減らして、新たな境地を模索している時なのかもしれない。

 

「何かをやってくれる!」思わせてくれる男、近藤の次の勝利を期待したい。

頑張れ~!近藤~っ!!

 


内藤大助V5防衛達成!+DREAM9

2009年05月27日 | 格闘技・武道

昨日、WBC世界フライ級タイトルマッチが行われ、王者の内藤大助が辛くも判定で熊朝忠を下し、5度目の防衛を果たした。

試合3日前に開催地が中国・上海から急遽、東京に変わり、世界戦では異例のワンマッチとなった防衛戦。

自分なんか中止になったんかと思ったくらい・・。

 

アウェイからホームでの試合となるも、内藤は13cm身長差のある強打の熊に大苦戦。要所要所でコンビネーションからパンチをヒットさせるも、ガンガン前に出てくるファイターの熊に得意のフェイントが効かず、なかなかリズムがかみあわない。

6Rには王者になってから初のダウンを喫したが、終盤もちかえし、3-0の判定で逃げ切り、自身の持つ日本人最年長防衛記録をのばした。

戦績は35勝22KO2敗3分け。


しかし、試合後には内藤から「ちきしょー、ダメだ・・」という言葉が・・。

 

それは勝ち名乗りを受けた時の表情にありありと見て取れ、実況の「笑顔なき防衛!」の声が印象深かった。

両のまぶたを切った顔は、まるで敗者・・

自らも「しょっぱい試合してすいません」とインタビューに答えていた。

 

苦戦した内藤には引退の声も聞かれたが、早ければ8月にも暫定王者ポンサクレックとの王座統一戦に臨む。

過去4度対戦して、対戦戦績は1勝2敗1分けの因縁の相手だけに、今度はキッチリと勝って決着をつけてほしいものだ。

あと3ヶ月ちょっとで35歳になる内藤だが、まだまだやれるはず!

 

そしてDREAM9

昨年8月の練習中、右膝前十字靭帯を損傷し、512日ぶりの復帰戦となる山本“KID”徳郁VSジョー・ウォーレンフェザー級GP2回戦が今大会メインのカードだったが、KIDは判定で敗れ、復帰戦を勝利で飾れなかった。

ライト級では川尻達也が判定でJ.Z.カルバンを下し、今年いっぱいで引退を表明している魔裟斗に対戦要求。

 

本来、DREAMの看板選手である青木真也が、前回のDREAM8桜井”マッハ”速人に秒殺されてしまったので、川尻、青木、桜井に五味を加えて、ライト級日本人最強をかけて戦ってもらいたいものだ。

ちなみに五味隆典も魔娑斗の7月の対戦候補にあがってるとのコトだが、いずれにせよ、楽しみなカードである。

 

そして、今大会のベストバウトは所英男VSエイブル・カラムだろう。

 

 

DJ.taikiが負傷のため敗者復活でフェザー級GPに参戦した所は現在3連敗中という事もあり、決意を新たに丸坊主で登場、エイブル・カラムからチョークスリーパーでタップを奪い、一本勝ちでチャンスをものにした。

フェザー級GPでどこまで勝ちあがれるか、次回に期待したい!

 


K-1 WORLD MAX 2009開幕戦

2009年04月22日 | 格闘技・武道

昨日、K-1 WORLD MAX開幕戦がやっていた。

現王者の魔裟斗は今年いっぱいで現役を引退するコトを表明しており、今年も王者のままリングを去りたいというのがホンネだろう。

今年のトーナメントを戦う8人を決定する開幕戦だけに、誰が勝ちあがってくるか注目されたが、MAXの四天王といわれるアルトュール・キシェンコブアカーオ・ポー・プラムック、アンディ・サワーは順当に勝ち上がり、唯一、四天王の中では佐藤嘉洋が延長でドラゴに判定負けを喫した。

佐藤は完璧にスタミナ切れで打ち負けたという感じだった。

 

しかし、他の四天王の面々も勝ちあがったとはいえ、危うい内容も・・。

キシェンコはアルビアール・リマをKOで倒して勝利したが、ブアカーオはアンドレ・ジダの強烈なパンチで1ラウンド早々にダウンを喫し、かなり追い詰められていた。しかし、さすがの巻き返しで延長に持ち込み、相手を圧倒して勝利!

サワーもピーター・アーツの愛弟子、リーロイ・ケスナーからダウンを奪いながらも決めきれず、辛くも判定勝ち。

魔裟斗はサワーとは2戦して2敗。

引退するまでに必ずリベンジしたい相手だろう。

 

そして、日本代表決定トーナメントを制した小比類巻太信がケガのため、準優勝の山本優弥が出場、韓国王者のイム・チビンと戦い、判定勝ちを収めた。

ラッキーをものにした山本は広島出身、ぜひとも頑張ってもらいたい。

 

さらに初代王者のアルバート・クラウス長島☆自演乙☆雄一郎を秒殺で倒し、トーナメント進出を決めた。

長島はコスプレファイターとしてファンの人気投票で圧倒的な支持を得て今回の開幕戦に参戦。実力はあるが、今回はさすがの強心臓もかなり緊張して動きが硬かったようだ。

試合前の舌戦ではクラウスは「男で女装するヤツなんて、頭がおかしいかゲイだろ?」と長島を口撃、

 

長島も「ゲイちゃうし!と言い返していたが、その時の格好がウサギの耳?か何かがついたピンクのナース風?・・というコスプレで、およそ説得力に欠けるものだった。

まあ、ゲイではないにしても、十分頭がおかしいヤツには見える・・。(笑)

 

そして、画面いっぱいにコスプレで踊り、入場する姿はやはり、痛い・・。

 

 

最後にもう1人、トーナメント出場を決めたのがジョルジオ・ペトロシアン

 

ジャバル”チンギスハン”アスケロフをKOで破り、下馬評通りの強さを見せつけた。

サワーにもカウンターで完勝し、ブアカーオとも引き分けたという実力の持ち主。魔裟斗もその名を口にした未知の強豪は、かつてのブアカーオのように、今年のMAXの台風の目となるか?!

注目の選手だ。

 

 

 

 


日本人初!前田慶次郎、K-1ヘビー級王者に!

2009年03月29日 | 格闘技・武道

K-1 ワールドGPの開幕戦が昨日やっていた。

それぞれ勝ち上がって来たのは、延長戦2回までフルに戦い、判定でジェロム・レ・バンナを下した極真世界王者、エヴェルトン・テイシェイラ

同じく延長の末、判定でエロール・ジマーマンを下したピーター・アーツ

澤屋敷純一を2回KOで倒したクラウベ・フェイトーザ

ヘスティ・カラケスを判定で下したセーム・シュルト

パワーで圧倒する総合出身のアリスター・オーフレイムに最後まで追い詰められながらもダウンをとり、かろうじて判定で下した現王者、レミー・ボンヤスキー

澤屋敷をKOで倒したクラウベの試合以外はすべて判定決着というスッキリしないものだった。

 

しかし、K-1草創期の1993年からずっとグランプリに出場し続けるピーター・アーツは自分と同い年の今年38歳!それでいて強い!

まさしく”ミスター・K-1”と呼ぶにふさわしいファイターだ。

まだまだこれからも頑張って欲しい。

 

 

しかし、やはり注目は、日本人初のK-1ヘビー級王座についた前田慶次郎だ。

当初はリザーバーだったが、出場予定のハリッド・“ディ・ファウスト”がインフルエンザで欠場。急きょ本戦への出場が決まり、一気にベルトを手にしたラッキーボーイ。

しかし、「運も実力のうち」と言われるように、転がってきた運をモノにする実力も兼ね備えている。まだ弱冠22歳、期待の新鋭だ。

 

1回戦はカウンター一撃で優勝候補、メルヴィン・マヌーフをKOし、トーナメント決勝では延長の末、判定でグーカン・サキを下し、ヘビー級王座についた。

 

「北斗の拳」を描いた原哲夫によって「花の慶次~雲のかなたに~」というマンガにもなった傾奇者、戦国武将の前田慶次郎利益にちなむリングネーム。

右側頭部をオレンジ色の星形に刈った緑色のモヒカン頭は本家に負けない“傾奇ぶり”だ。

しかし、派手な見かけによらず、クレバーな戦法で日本の悲願を達成した。

今後は去年のグランプリ決勝戦の反則行為でタイトルを剥奪された初代K-1ヘビー級王者、バダ・ハリとの対戦が予想される。

そこで本当に彼の真価が問われるだろう。 

 

・・しかし、あのモヒカン頭、キャイ~ンウド鈴木に見えてしまうのは、俺だけ・・?


 


ぶれない生き方

2009年03月18日 | 格闘技・武道

昨日、辰吉丈一郎のドキュメント番組がやっていた。

もう日本で試合が出来ない辰吉は、昨年10月にタイで5年ぶりの試合をして、2ラウンドTKOで勝利を飾った。

それ以来の試合となる3月8日の試合までを追った番組だった。

 

対戦相手のサーカイ・ジョッキージムは19歳。38歳の辰吉は倍の年齢だ。

結果は7ラウンドTKO負け。

辰吉は3ラウンドに左フックを顔面に受けてダウン。

7ラウンドでパンチを受けて、ふらついたところでセコンドからがタオルが投入された。

 

試合を見たが、もともとガードの低い辰吉は、何発も顔面にパンチをもらっていた。

1ラウンド終了時にはダウンこそしていないものの、意識が飛んでいて自分のコーナーに戻るコトもままならない。

試合中にも「今何回?」と自分が戦っているラウンドをセコンドにきき、最後、負けたのも「結局何やったん?」と理解していない状態。

タオル投入は妥当な判断だったろう。

 

戦績は20勝14KO7敗1分け。

辰吉は試合後、「もう一回やるで」と言っていた。

 

正直、痛々しいまでの姿である。

なぜそこまでボロボロになりながら、彼はリングに上がり続けるのか?

 

試合前にトレーナーが、「彼は命がけでやっている。まわりが無責任にやめろとか、言えないと思う。これは彼の人生の問題だ」と取材スタッフに語っていた。

その言葉はダテじゃない。

22年間、辰吉は毎日ロードワークを続け、過酷な練習を自らに課している。

しかし、自分が好きでやってるコトだと言い切る。

 

人生もあるイミにおいて、戦いの連続だ。

共に戦っていた者たちが失速し、力尽き、戦列から離れていく。

ふと気がついて、まわりを見回したら、自分一人で戦っているかのような錯覚に陥り、言いようのない孤独感を感じたり、自分の戦いに果たして意味があるのか?・・という自らの問いかけに自縄自縛となり、身動きがとれなくなってしまう。

 

たとえば、リング上で、過酷な練習をこなし、鍛えぬかれた拳を何発相手に叩き込んでも、相手がまったく倒れないとしたら、間違いなく「自分のパンチはきかないのではないか・・?」という思いがわきあがってくる。

そうやって自分の拳が、自分自身が信じられなくなった時、人はパンチを繰り出すコトをやめてしまう。

 

自分を信じて戦い抜くには、それを裏付ける日々の積み重ね以外にない。

しかし、それはおそろしく孤独な道のりで、不安との戦いの連続だろう。

 

そんな時、ふと横を見る。

すると彼がいて、今だに戦っている。

 

たった1人で戦ってきたと思っていた時、さらに過酷な戦いに挑んでいる者がいるというコトを知った感動は、孤独な戦場で百年の知己、強力な戦友を得たような思いに似ているかもしれない。 

その姿に自分も勇気づけられ、また頑張ろうという思いがわいて来るのだ。

 

その番組の最後は、辰吉のこんな言葉でしめくくられていた。

 

「みんな好きな事できても

好きな事、中途半端にしかやってない。

好きな事、とことんメチャクチャやったって。

結構、イライラせんけど、疲れるよ。

疲れる事やるから

人間生きてるって感じるんちゃう?」

 

 

 

 

 


粟生隆寛、WBC世界フェザー級新王者に!

2009年03月13日 | 格闘技・武道

昨日、WBC世界フェザー級とバンタム級のダブル・タイトルマッチがやっていた。

前回、ダウンを奪いながらも惜しくも判定で敗れた王者、オスカー・ラリオスに再度挑戦する粟生(あおう)隆寛。「過去3本の指に入る難しい試合」と王者に言わしめた粟生との再戦は、王者にとっても因縁のリターンマッチとなった。

詰めの甘さが課題として残った前回の試合、今回は初回からプレッシャーをかけ、ポイントで大きくリードしながら、常にチャレンジャーらしく前へ出て、大差の判定で勝利、WBC世界フェザー級新チャンピオンが誕生した。

 

12ラウンドおわりのゴングが鳴った瞬間、粟生はリングに突っ伏して号泣。 

こーゆーシーンを見たのは、辰吉がはじめてチャンピオンになった試合以来・・。

基本的には、”リングに寝転ぶ”・・というのはボクサーにとってタブ-とされるべきコトのはずだが、そのくらい感動だったのだろう。

 

オープンスコア・システムで勝利が確定していたとはいえ、判定結果が出てレフェリーから勝利者のコールがされる前に、肩車でリング上を担がれていたのには

「まだ早いだろ・・?

・・と思わず心の中で突っ込んでいた。

 

念願の世界チャンピオンになり、感極まって・・というコトだろうが、インタビュー中も涙が止まらない新王者に、しきりにトレーナーから「しっかりしろ!泣くな!」と声が飛んでいた。

とにかく終始泣きっぱなし!声をあげて泣いてたもんなあ・・。

インタビューの最後に粟生が「お父さん、お母さん、ありがとうございました!」と涙ながらに叫んでいたのが印象深かった。

 

 

一方、WBC世界バンタム級タイトルマッチ

チャンピオンの長谷川穂積はこれが8度目の防衛戦。

勝てば徳山昌守とならんで歴代3位の防衛記録。

迎える挑戦者は事実上、辰吉を引退に追い込み、長谷川を2度も苦しめた、あのウィラポンをわずか4ラウンドで倒したブシ・マリンガ

 

最強の挑戦者という触れ込みであったが、わずか1ラウンド2分37秒でTKO勝ちを収め、8度目の防衛に成功した。

 

実況のアナウンサーが興奮して

「マグレッシブ!!アグレッシブ!!

・・と絶叫してたのが笑えたが、そのくらい完璧なフィニッシュだった。

3試合連続のKO防衛は、実に26年ぶりになるという。

 

開始早々、ダウンを奪った長谷川は猛然とラッシュ、合計3度のダウンを奪っての秒殺勝利は寸分のスキもなく、磐石の王者を思わせた。

 

しかし、かえってそれが、追い詰めながらも倒しきれなかった粟生の詰めの甘さを改めて浮き立たせてしまった感があるのは皮肉なものだ。

 

この場合、あそこまで追い詰められながらもしのぎ切ったオスカー・ラリオスがうまかった・・としておくべきかな・・?



 


 


亀田兄弟、そろって世界前哨戦勝利!

2009年03月05日 | 格闘技・武道

昨日、亀田兄弟の試合がやっていた。

兄の亀田興毅は2回KO、弟の亀田大毅は6回KOでそろって勝利を飾った。

派手なパフォーマンスもなく、コメントも控えめ。試合後にはリング上から四方に一礼する謙虚で殊勝な態度が目だった。

当然、ライセンス停止前には恒例だった大毅の試合後の下手くそな歌もなし。

さすがにあれだけマスコミや世間から叩かれ、1年間という試合が出来なかった期間は、精神的にも成長させたか・・?

 

興毅はこの試合に勝って、2階級制覇を射程に入れた。

 

大毅は世界挑戦権を有する15位以内にランクインされることが確実となり、年内にもWBCフライ級王者・内藤大助との因縁の世界戦が実現する可能性がでてきた。

内藤は4月にも5度目の防衛戦を予定しており、因縁対決はその試合の結果次第となるが、再び両者が拳を交えるコトになるのか・・?

 

プロである以上、多少のリップサービスやパフォーマンスも必要であろう。

しかし、リング上でいい試合をするコト以上のパフォーマンスはない。

いずれその実力で、世間が亀田兄弟を認めざるを得なくなる時も、そう遠くないかもしれない 。

 

ビッグマウスはいらない。

ボクサーなら、拳で語って欲しいものだ。 

 



K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント2009

2009年02月24日 | 格闘技・武道

昨日はK-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントがやっていた。

MAXはどの試合もレベルが高く、面白い。中量級なので、スピード感があるのだ。

優勝は小比類巻太信

多分にラッキーもあったと思うのだが、まあ、運も実力のうちか・・。

準決勝ではMAX日本王者・城戸康裕を下し、試合に勝った22才のサウスポー、日菜太が鼻骨骨折のドクターストップ。敗者復活でダメージが大きく、右腕が上がらない状態で試合に臨んだ城戸をKOで倒し、ノーダメージ。

決勝で戦った山本優弥は初戦は延長、準決勝もフルラウンドという激戦を勝ち抜き、相当ダメージが残っているのは一目瞭然。

それでもダウンを奪って油断した小比類巻からダウンを奪い返した山本の根性と健闘を讃えたい。

小比類巻は、最後の最後で気を抜いちゃうんだよなあ・・。

 

さて、今日ご紹介したいのは・・・

 

コスプレ・ファイター、長島☆自演乙☆雄一郎っっ!!!(笑)

 

・・・・。

 

出るべくして出てしまった感があるが、これも時代の流れか・・。 

「現職業がコスプレイヤー、格闘技はアルバイト」という異色のファイターだ。

初戦、準決勝を勝ち抜き、3回コスプレの入場をして撮影会をしたい ・・というのが今大会出場のモチベーションで、「K-1はコスプレの発表会としかとらえていない」と言い切るが、逆に、そこに恐るべき強心臓ぶりをうかがわせる。

 

入場シーンは限りなく”痛い”・・。

インパクトだけなら、桜庭和志須藤元気の入場パフォーマンスを軽く超えている。

なかなかこの格好で入場できる神経だけでも並みではない。

 

今までも「北斗の拳」「キン肉マン」等、アニメやマンガの影響を受けて格闘技をはじめたと公言している格闘家はたくさんいる。昔なら「タイガーマスク」「あしたのジョー」前田日明ゼットンに倒されたウルトラマンを見て敵を討とうと思ったという。

 

しかし、どうせコスプレするなら、そーゆー格闘家むきの男くさいのもいろいろあるだろーに、なぜか女装のコスプレばかりするトコロに”本物”のヲタクのにおいを感じさせる。

ちなみに”自演乙”とは「自作自演、おつかれさん」の意味だという。

 

そのファイト・スタイルはガンガン前に出るアグレッシブなもの。

戦績はデビュー以来11戦11勝8KO!キック転向後1年半でNJKF(ニュージャパンキック連盟)初代スーパーウェルター級王者についたというツワモノだ。

大学時代に日本拳法で国体準優勝の実績をもち、パンチ力と当て勘は並みはずれている。

 

これでコスプレだけの弱い選手なら笑うしかないが、個人的には、初戦で目じりを切っていなければ、決勝にいってたのでは・・と思う。

実際、山本優弥と戦った準決勝は偶然のバッティングもあり、目じりの出血が止まらず、ドクターストップのTKO負け。2Rでダウンを喫するも3R、連打で山本を追い詰め善戦した。

 

解説の谷川プロデューサーも、今までK-1に来たコトのないような客層(アニメヲタク)の人たちが来ていると言っていたが、格闘技ファンの裾野を広げてくれるか・・?

 

同じくMAX日本王者・城戸を破った日菜太も鼻骨骨折のドクターストップで準決勝進出はならなかったが、この2人の新人の今後の活躍に期待したい。

 

 


世紀の凡戦?名勝負?アリVS猪木

2009年02月08日 | 格闘技・武道

昨日、テレビでモハメッド・アリVSアントニオ猪木「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた33年前の試合が放映されていた。今や、伝説の一戦である。

いろいろと権利などの問題で、今までテレビ放映されなかったとのコトだが、テレビ朝日の開局50周年の特番でやっていた。

当時、”世紀の凡戦”だとか”茶番”だとかマスコミから散々たたかれた試合だ。

 

自分も今まで写真などでは見たコトはあったが、ダイジェストとはいえ、フルで15ラウンド、映像で見たのははじめて。しかし、興奮というより、何ともいえない感慨深い思いで見させてもらった。

 

結果はドロー。

もちろん、15ラウンドただひたすら猪木は寝て蹴る・・というだけの試合内容も、結果も知ってはいたし、その試合内容だけからすれば、当時のマスコミからたたかれたのも頷ける・・。

 

しかし、当時の価値で20億円ともいわれる600万ドルものファイトマネーを用意し、現役のヘビー級世界チャンピオンで、既に伝説となっていたボクサー、モハメッド・アリを引っ張り出して同じリングに立たせた・・という意義は大きい。

400戦無敗といわれるヒクソン・グレイシーでもファイトマネーは1億円で、法外な額を要求するとかいわれていたが、このアリ戦と比べたら、なんだかかわいいもんだなあ・・と思える。

それだけ見ても、アリ戦の価値というものがわかるだろう。

 

そして試合内容。エキシビジョンと思っていたアリは、公開スパーリングで見せた猪木のハイキックに驚愕し、ルール変更をのまなければリングに上がらないと難癖をつけ、立った状態での蹴り、肘での打撃、投げ、関節技の禁止を認めさせた。そしてその時、そのルールを公表しないコトも条件にされたという。

もし公表されていれば、当時のマスコミのこの試合に対する評価も変わっていたであろうか・・?

 

それゆえ、試合は猪木がスライディングするような体勢でアリの足にローキックを放つという、後にアリ・キックと呼ばれた攻撃のみ。

ヒットしたアリのパンチ5発に対し、猪木の蹴りは64発で、蹴られ続けたアリの脚は血栓症をおこし、3ヵ月後の世界タイトルマッチもそれが理由でキャンセル。蹴り続けた猪木も右足の甲を剥離骨折したという。

 

 

蹴りを打った後はリング上のキャンバスに背をつけ、半身を起こして寝技に引きずり込むような体勢で、立って構えるアリに対する。

これを称して”イノキ・アリ状態”!

 

・・単純に試合の流れからすれば、完全な膠着状態なのだが、それだけボクサーのような立ち技での打撃を主体とするストライカーに対しては有効な対処法で、この試合から30年たった現在も、総合格闘技の試合ではこの”イノキ・アリ状態”、よく見られる。

地球の裏側、ブラジルの格闘技界でもこの状態を”イノキ・アリ”と言うそうだから、2人のこの試合の影響力のでかさは推して知るべしであろう。

 

そもそも”異種格闘技戦”という言葉自体、猪木がアリや、極真”熊殺し”ウイリー・ウィリアムスと戦って、自身が旗揚げした新日本プロレスが提唱するストロング・スタイルを実証しようとする中で生まれたものといえよう。

現在の総合格闘技界を引っ張ってきた桜庭和志はよく”Uの遺伝子を継ぐ”とか”U系団体出身”とかいわれるが、そのU・・すなわち、UWFを旗揚げした前田日明も、総合格闘技の老舗・修斗をつくった初代タイガーマスク・佐山聡(サトル)も新日出身のプロレスラー、つまり、猪木の弟子である。

 

そーいったイミでも、やはり猪木は先駆者であったし、格闘技を語るうえで、忘れてはならない存在である。

 

ちなみに番組でもやっていたが、猪木のおなじみの入場テーマである、あの有名な「炎のファイター~イノキ・ボンバイエ~」は、この試合で友情の芽生えたアリから猪木に送られたもので、もともとは「アリ・ボンバイエ」だったのだ!

「ボンバイエ」は正確には「Boma Ye」(ボマ イェ)で、コンゴのリンガラ語で「奴を殺せ!」というイミだとか・・。

モハメド・アリが当時チャンピオンだったジョージ・フォアマンと戦い、下馬評を覆す大逆転勝利をはたした”キンシャサの奇跡”の時、アフリカのファンが大合唱したのが「アリ!ボマ イェ!」

これを後にアリが入場テーマにしたそう。

キンシャサはコンゴの首都だが、1974年の”キンシャサの奇跡”当時は、コンゴはまだザイールと呼ばれていた。

アリ対猪木の一戦は、その2年後に行われた。

 

”燃える闘魂”、アントニオ猪木。その伝説は続く・・。