6月13日に、広島市中区基町のグリーンアリーナでプロレス団体ノアの試合中、同団体の社長であり、かつて2代目タイガーマスクとしても活躍したプロレスラーの三沢光晴が亡くなった。
生前、プロレスを「俺の人生そのもの」と語り、18日には47歳の誕生日を迎えるはずだった”受身の天才”と言われた男をおそった突然の悲劇であった。
・・正直、この記事を書くべきかどうか迷った。
自分は格闘技好きだが、プロレス好きかと言われれば、微妙である。
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスか、アントニオ猪木率いる新日本プロレスか?
・・といえば、全日との違いを出すため、異種格闘技路線を打ち出し、ストロングスタイルを追求した新日派であったし、新日の選手たちが旗揚げした、より格闘技色の明確なUWFや、後のパンクラスに傾倒した。
新日に比べ、全日は「プロレスの王道」という感じで、力道山以来のプロレスを継承する”正統派”とでも言うべき流れを汲む。
三沢が旗上げしたノアは、ジャイアント馬場―ジャンボ鶴田・・といった流れを汲む、完全な全日系のプロレス団体だ。
それほど見ていたワケではないし、ものすごくファンだったというワケでもない。
しかし、まだ若く、プロレス界を牽引してきたリーダーであり、カリスマであった三沢の死は、少なからずショックを覚え、また広島での試合中だったというコトもあり、なんだか自分の中でも書かざるを得なくなった・・という気持ちにさせられたからだ。
自分の格闘技好きの原点も、プロレスにあったといっても過言ではない。
そして、いかなる格闘家も、あるイミ、その母体であるプロレスというものに対して憧れやコンプレックスをもっている。
プロレスの試合の自由さは、ショー的な要素がないとはいえない。
しかし、それがイコール「プロレスは八百長」、「プロレスラーは弱い」というコトではない。
「相手の技を受ける」という肉体の強靭さとスタミナは、あらゆる格闘技中随一であろう。
さらに、本来、投げ技はいかなる打撃よりも大きなダメージを与えるコトが可能だが、スープレックスやバックドロップ、ブレンバスターのようなプロレス技は、そのプロレスラーの強靭な肉体をもってしても、相手を死に至らしめるほどの破壊力をもっている。
皮肉なコトであるが、自らの死をもって三沢はそれを証明したコトになる。
もちろん、このような不幸な事故が、二度とおこってはならないが、いまや多くの団体が乱立し、テレビのゴールデンタイムから姿を消して久しいプロレスの衰退は、またヒーロー不在の時代を象徴しているかのようだ。
そして今また、プロレスをメジャーにしようとしたヒーローが逝った・・。
三沢選手のご冥福をお祈りします。