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Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

「障害者」と「健常者」― 線引きするもの

2010年01月29日 | 人生覚書き

先日、TVでトライアスロンを完走した父子の話をやっていた。

1989年にはじめて完走した時、父、ディック・ホイトは49歳。

息子のリック・ホイトは27歳。

リックは全身麻痺で首から下は動かせない。

 

トライアスロンといえば水泳3.8km、自転車180km、そして42.195kmのフルマラソンと3種目ある鉄人レース。

普通に完走するだけでもすごいコトだ。

それを当時49歳のディックがリックをボートに乗せ、自転車に乗せ、車イスに乗せて完走するのだ!

 

水泳ではロープのついたベストを着て、ボートに乗せたリックを引っ張って泳ぐ。

総重量は70kgになり、当然、波風にも流されやすい。

自転車では自分が改造してハンドル部分に息子が座れるようにしたバイクをこぐ。

バイクと2人分の体重をあわせた総重量は130kg。

しかも180kmといえば、東京~静岡間に相当する距離!

そして、”その後に”車イスを押して、フルマラソンを完走するのだ。

リックが乗った車イスは総重量65kgにもなる。

 

14時間26分4秒

 

―それは、単なる完走したタイムという以上の、重みのある時間だ。

 

きっかけは、中学にあがったリックが持ち帰ったチャリティー・マラソンのパンフレットだった。

しゃべれないリックであったが、首を動かすだけで入力できる障害者用のコンピューターで意思疎通が可能で、14歳で一般の中学校に入学できるほどの学力をもっていた。

 

「I want to run for him.However,is it impossible?」(ボクも彼のために走りたい。でも無理だよね?)

 

ディスプレイに映し出された文字を見た父、ディックは、全身麻痺の息子が、人のためにマラソンを走りたい!・・という気持ちを無にしたくないと、車イスを押してマラソンに参加するコトを決意!

車イスだけで15kg、そこにリックを乗せると重さは60kgにもなる。

当時37歳のディックは、それを押して、へとへとになりながら、8kmのマラソンコースを完走した。

体力は既に限界であったが、途中であきらめる姿を息子に見せたくない・・という思いが、その気力だけが、彼の足をゴールまで運ばせた。

 

完走した父に息子はこう言った。

「Thank you dad.When I am running,it feel like I'm not handicapped.」(父さん、ありがとう。走っていた時、障害者だということを忘れていたよ)

 

ディックは、自分に出来るのは、息子に障害者だというコトをもっと忘れさせてやるコトだと、フルマラソンの完走を目標に掲げ、それから7年間、走りこみ、体を鍛え、44歳でボストンマラソンを車イスを押して完走。

1位とわずか43分しか違わない、2時間53分20秒という好タイムだった。

やれば出来る!というコトを父は自らの体をもって示した。

 

一躍有名になったホイト親子にある日、トライアスロンに出てみないかとのオファーがあった。

しかし、父親だけの出場というコトで、ディックは辞退。

もともと息子のためにはじめたマラソンなので、自分1人だけではイミがないと考えたからであったが、同時に自分のためにトライアスロンに出れなかった・・と息子に思わせないために、ディックは2人でトライアスロンに出るコトをこの時に決意。

苦手な水泳も1から練習し、ついに親子でのトライアスロン完走を成し遂げたのだ。

 

自分が学生の頃、普通に接していた友人から、自分は障害者なんだと告げられたコトがあった。

何級とかいう、障害者手帳も持ってるという。

自分にしたら、「へえー・・」という感じで、何が違うのかな?とゆーくらい、その障害が何なのかもわからなかった。

 

「照街者」―という言葉があるそうだ。

街を照らす者。

障害者がどう扱われているかで、そこがよい街か悪い街かが分かる。

しかし、実際に障害をもった人からすれば、そんなリトマス試験紙みたいな扱いはイヤだと思うかもしれない。

 

昔、ブラック・ミュージックをリスペクトしているある日本のミュージシャンが、音楽の勉強のために渡米した際、黒人の”被差別意識”にずい分悩まされた・・というのを聞いたコトがある。

 

結局、「障害者」、「健常者」という線引きをするのは、言葉以上に、”人のこころ”なのだなあ・・と思わされる。

 

ちなみにリックは、名門ボストン大学で9年間学び、優秀な成績で卒業。

全身麻痺という障害をもったまま、学位を取得・・という世界初の快挙を成し遂げた!

ある年の父の日に、リックはこんな手紙を書いている。

「ボクが今、1番やりたい事は、父さんを車イスに乗せて押してあげること。不可能なんてない。やれば出来る!」

 

リックは現在、48歳。

大学のコンピューター研究室で、障害者用補助機具の開発に携わっているそうだ。

 

そして69歳になった父、ディックは、現在もリックとともに、フルマラソンやトライアスロンに参加し続けているという。

 

 

 

 


芝浜

2009年12月30日 | 人生覚書き

なんでも今年、2009年を表す漢字は「新」だという。

新政権誕生、オバマさんも大統領になり、イチローの新記録達成・・と、新しいコトづくめ。

裁判員制度やエコポイントの導入など、新しい制度もはじまって、明るい未来も近づいたかと思えば、新型インフルエンザなんてものも大流行。

おまけにこの不景気で、暗いニュースが続く・・。

せめて笑って年越しくらいはしたいもの、古典落語でもひも解いて、大晦日、年越しそばにちなんで「時そば」を・・なんて思ったけど、ほんの少し欲を出して、結局損する噺なんて、このご時世、ちょっと笑えない。

まあ、こんな心あたたまる、粋な夫婦の噺でもひとつ・・。

 

人は悪くねえが、大酒のみで怠け者の魚屋の勝五郎

金が入ると片っ端から質入して飲んで、仕事もろくにしねえ。

店の家賃もずっと滞っているありさま。

今年も師走で、年越しも近けえっていうのに、相変わらず仕事をも休み、大酒を食らって 寝てばかり。



女房の方は、今まで我慢に我慢を重ねていたが、さすがに真夜中に亭主をたたき起こして、このままじゃ年も越せないから 魚河岸へ仕入れに行ってくれとせっついた。

勝五郎はぶつくさ言って嫌がるが、しぶしぶ天秤棒を担ぎ、追い出されるように出かけた。


外に出てみると、まだ夜も明けていない。


カカアの野郎、時間を間違えて早く起こしやあがった、ふざけんな、ってことで、勝五郎、詮無く芝の浜に出て時間をつぶすことにした。

海岸でぼんやりとたばこをふかし、暗い沖合いを眺めているうち、だんだん夜が明けてきた。

顔を洗おうと波打ち際に手を入れると、 何か触るものがある。

拾ってみるとボロボロの財布らしく、指で中をさぐると確かに金。

かぞえてみると全部で四十二両!

 

こうなると、商売どころじゃーねえ。

当分は遊んで暮らせると家にとって返し、あっけにとられる女房の尻をたたいて、酒を買ってこさせ、そのまま酔いつぶれて寝てしまった。



不意に女房が起こすので目を覚ますと、年を越せないから仕入れに行ってくれと言う。

金は四十二両もあるじゃねえかとしかると、どこにそんな金があるんだい、おまえさん夢でも見てたんだよ、というじゃねえか。

 

聞いてみるとずっと寝ていて、昼ごろ突然起きだし、大酒飲んで大騒ぎして、また酔いつぶれて寝てしまったという。



金を拾ったのは夢、覚えのねえ大騒ぎは現実だというから、さすがに勝五郎、自分が情けなくなった。

夢も現実もわからなくなちゃ終えだと、今日から酒はきっぱりやめて仕事に精を出すと、女房に誓った。

 

それから三年。

 

すっかり改心して商売に励んだ勝五郎。

得意先もつき、金もたまって、今は小さいながら自分の店も構えた。



大晦日、片付けも全部済まして夫婦水入らずという時、女房が見てもらいたいものがあると出したのは紛れもない、あの時の四十二両。



実は勝五郎が寝た後、思い余って大家に相談に行くと、拾った金など使えば後ろに手が回るから、これは奉行所に届け、夢だったの一点張りにしておけという。

そうして隠し通してきたが、拾った金は、落とし主不明で、とうにお下がりになっていた。



おまえさんが好きな酒もやめて、懸命に働くのを見るにつけ、辛くて申し訳なくて、陰で手を合わせていたと泣く女房。

 

「とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの首はなかったかもしれねえ。手を合わせるのはこっちの方だ」



女房が、もうおまえさんも大丈夫だからのんどくれ、と酒を出す。

 

勝五郎は、そっと口に運んで、

 
「よそう。・・・また夢になるといけねえや」

 

             

 


 


四人目の博士

2009年12月24日 | 人生覚書き
イエス聖誕の際、東方の三博士がやって来て贈り物を捧げ、イエスを拝したという。(マタイ2:1~12)
この「博士」あるいは「賢者」と訳される「マーゴイ」(ギリシャ語:μάγοι、マギの原義は天文学者で、英語の「magic」(魔術)の語源となった言葉である。
聖書には東方から来た博士の人数は書かれていないが、「三人」とするのは黄金・乳香・没薬の3つの贈り物からとされ、それぞれ王権、神性、そして将来の受難である死を象徴するという。
西洋では7世紀からメルキオールバルタザールキャスパーの名がこの三博士に当てられている。(わかる人にはわかるネタ・・
青年の姿の賢者・メルキオールが黄金を、壮年の姿の賢者・バルタザールが乳香を、老人の姿の賢者・キャスパーが没薬を贈ったとされる。
さて、それでは四人目の博士の話・・。
 
ペルシアのエクバタニアという町にアルタバンという男がいた。
彼はマギと呼ばれたゾロアスター教の学者のひとりであった。
ゾロアスター教徒は天文学者であり、善と光の探究者であり、信仰者であった

アルタバンは仲間のマギに言った。
もうすぐ三人の博士たちと合流し、イスラエルに王として生まれると約束されたお方に会いに行くと。

持っているものを全て売り払い、アルタバンは三つの宝石を買った。
サファイア、ルビー、真珠であった。

それらを王様にお捧げするのだという。


そうしてアルタバンの旅は始まった。
ニムロデの丘で三博士と会い、七つの天球の寺院へ行くまで、あと10日しかない。

しかし、寺院の近くまで来た時、道に横たわって死にかけている男に出くわした。

アルタバンは男に水をあげて介抱すべきか、三博士たちに会うために急ぐべきかと考えた。

マギたちは、天文学者であると同時に医者であったため、アルタバンは足をとめた。

何時間もの間、病を治すことのできる腕のいい癒し人だけができる治療を行い、ついに、男は力を取り戻した。


アルタバンが急いで寺院に着いた時には、友の博士たちは既に去った後だった。

彼は仕方なくサファイアを売り、ラクダの列と食料を買って旅をすることにした。
 
彼がベツレヘムに着いた時、それはちょうどヘロデ王の兵士たちがベツレヘムの男子の赤ん坊を皆殺しにしていた時だった。

ある家のドアが開いていて、アルタバンには母親が子供に子守唄を歌うのが聞こえた

その母親は、ベツレヘムに三人の博士が来てから今日で三日だという。

博士たちはヨセフとマリアと赤ん坊を探し出し、贈り物を足元に置いたそうだ。
そして、来た時と同じように不思議に姿を消したと。

ヨセフはその夜、マリアと赤ん坊を連れてひそかに逃げた。
それは遠く、エジプトへ・・とささやいた

その時、突然、外で何か騒ぎが起こった。
女たちが叫んでいた。
「ヘロデ王の兵隊が子供たちを殺している!」と絶叫する声。

アルタバンが外に出ると兵隊が血の滴る剣と血まみれの手で、こちらへなだれ込んでくるではないか。

隊長がこの家に差し掛かると、アルタバンが彼を止めた。
そして、ルビーをやるからこの親子を見逃してくれと頼んだ。
その後、アルタバンは、さらに王を探すためエジプトへ行き、この一足先にベツレヘムを去った小さな家族の行き先を探して回った。

 
33年の間、アルタバンは王を探し続けた。
その間、貧しい人々や病んでいる人々を助けた。
そして、ついに過ぎ越しの祭りの季節がくると、エルサレムに着いた。

エルサレムでは大きな暴動が起こっていた。
突然、兵士に引きずられてきた奴隷の少女が兵士から逃げ、アルタバンの足元に投げ出された。

最後の宝石、真珠を取り出し、彼は少女に渡した。
「これを手切れ金に。娘さん!これは、王にささげるためにもっていた最後の宝石だ」

アルタバンがそう言っているとき、大きな地震が起こった。
屋根瓦が彼を直撃した。

アルタバンは、死が近いことを知った。
 
もう王を探すことができない。
王を探す旅は終わりをつげ、彼は約束を遂げられなかったのだ。
 
手切れ金で自由になった少女が、この死にかけの老人を抱きかかえると、優しい声が聞こえ、アルタバンの唇がかすかに動くのが見えた。

「ああ、主よ。お会いしたいとお探ししましたが、お許しください。贈り物をお持ちしたかったのですが、今は何もありません」

 
「アルタバン、おまえは既にわたしに贈り物をくれたのだよ」

 
「神よ、どういうことですか・・?」
 
 
しかし、はっきりとした声がまた聞こえ、少女はそれを聞いた。

「私が飢えていた時、おまえは食べ物をくれた。
私が渇いているとき、おまえは飲み物をくれた。
裸でいた時、着るものをくれた。
家がなかった時、おまえは私を家に通してくれた」

「いいえ、そうではありません、救い主よ。
あなたが空腹だったところ、渇いたところを見たことがありません。
服を着せて差し上げたことも、家にお招きしたこともありません。
33年間、あなたを探し続けましたが、お顔を見ることも、お世話することもありませんでした。
わが王よ、お会いしたのは今が初めてです」


「いつでも、もっとも小さき私の兄弟たちにしてくれたことは、私にしてくれたのと同じなのだよ」
 
 

「聞こえたかい?イエスさまがおっしゃるのを。
王様を探しだしたんだ。
王様を見つけたんだ。
そして私の贈り物全てを受け取られたのだよ」
 


長い、安堵の息が、アルタバンの唇から静かにもれた。
 
彼の旅が終わった。

彼の宝物は受け取られた。
 
もうひとりの第四の賢者が王を見出したのだ。

 
王はこう言われる。
 
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25:40)

五省

2009年12月12日 | 人生覚書き

一、至誠に悖(もと)るなかりしか (真心に反する点はなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか(言行不一致な点はなかったか)

一、気力に欠くるなかりしか(精神力は十分であったか)

一、努力に憾(うら)みなかりしか(十分に努力したか)

一、不精に亘(わた)るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)

 

この「五省」(ごせい)は旧海軍の江田島海軍兵学校において使用されていた、いわば”自戒のことば”で、当時の海軍兵学校長、松下元少将の発案により、昭和7年に採用された。

終戦により兵学校は閉校され、「軍人勅諭」など陸海軍に関するあらゆるものが歴史の表舞台から消されたが、この「五省」に関しては例外で、終戦後に来日した米海軍のウイリアム・マック海軍中将がこれに感銘を受け、翻訳してアナポリス海軍兵学校に持ち帰り、現在も教育に利用しているという。

それだけこの「五省」は世界に通用する普遍的な内容を備えたもので、現在も広島の江田島にある海上自衛隊基地に掲げられている。

 

先日、「これでいいのだ」(カテゴリー/人生覚書き:「これでいいのだ」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/b088aa9cd592d1f8c1d8da81bd7f8215)という記事を書いたが、これはまったく真逆の「これでいいのか?」という内容である。

 

これは、どちらも人格の陶冶において欠かせない内容である。

 

厳しく戒め、教え導く父性的な愛と、すべてを受け入れ、包み込むような母性的な愛、「厳愛」「慈愛」とでもいおうか?

両方をあわせた”父母の愛”があって、はじめてバランスがとれ、人はよく成長するコトが出来るのであろう。

父親と母親、両方の愛が子どもの成長に必要な所以である。

 

現状に満足するコトなく、常に向上しようとする心は、成長に不可欠なものであるが、それだけだと、ともすれば、窮屈で偏狭な性格になってしまう。

現状に満足し、「足るコトを知る」おおらかな心は、ヘタをすると現状に甘んじ、怠惰と惰性に流されやすい・・。

 

やっぱり、バランスが大事ね・・。

 

 

 

 

 


これでいいのだ

2009年12月09日 | 人生覚書き

これでいいのだ
といっていると
今の自分が輝いてくる
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
誰しもがいい人のように見える
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
自分が好きになっていく
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
年金がなくても生きていける
「本当に」

これでいいのだ
といっていると
この世に嫌なことはなくなり
嫌な人もいなくなる
だから
これでいいのだ

笑いながら
いってみよう
これでいいのだ
これでいいのだ
すると
本当にこれでよくなる
運勢もよくなる

これでいいのだ
といっていると
体中の機能がそれを聞いてなーんだこれでいいのか
と良くなっていく
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
こうげん病を治った例も
あるくらいなのだ
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
恐怖が起きない
何も失うものもない
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
あなただけ
能天気にいってごらん
他から白い目で見られるから
でもこれでいいのだ

これでいいのだ
すると
あんたは気楽でいいね
といわれたから
とりあえず
ありがとうと
かえしておいた

これでいいのだ
といっていると
堂々としていられる
バカボンのパパのようになる
だから
これでいいのだ

これでいいのだ
といっていると
自分が変わり
世界が変わるのだ
だから
これでいいのだ

            

          野口法蔵 「これでいいのだ」より(七つ森書館)
 


チベットの人たちは、ワニ車を1回廻して「オン・マニ・ペメ・フン」と唱えると、1回お経を読んだ功徳があるという。

「オン・マニ・ペメ・フン」は日本語で「これでいいのだ」の意味。

ちなみに「バカボン」はサンスクリットで仏陀―悟りを開いた「目覚めた者」のコト。

 

仏典では仏陀をさまざまな表現で呼ぶ。

すなわち、如来(にょらい)、応供(おうぐ)、明行足(みょうぎょうそく)、善逝(ぜんせい)、世間解(せけんげ)、無上士(むじょうし)、調御丈夫、(じょうごじょうぶ)、天人師(てんにんし)、(ぶつ)、世尊(せそん)で、これを十号という。

世尊はサンスクリット語では「バガヴァーン」(Bhagava.t)で「真実なる幸福者」 の意味。

一般に漢訳経典では「世尊」、パーリ語・サンスクリット語経典では「ブッダ・バガヴァーン」、つまり「目覚めて幸せな者よ」と呼びかけるという。

 

バカボンのパパのセリフ、「これでいいのだ」は、真実なる幸福者の限りなき現状肯定の言葉なのだ・・。 

 

う~ん、深いね・・。 


龍名に恥じず

2009年11月15日 | 人生覚書き

「世の人は われをなにとも いはばいへ

       わがなすことは われのみぞ知る」   

                        坂本龍馬   

 

「志士」 ―この言葉には心躍る響きがある。 

戦国時代や幕末の動乱の時代に輩出した人物を見ると、日本も捨てたものではないなと、少し誇らしい思いになる。

特に「現代」につながる近代、明治維新期に活躍した青年たちは大きな志をもち、時代を切り開いた、まさしく「志士」と呼ぶにふさわしい傑出した人物揃いである。

 

その中でも、おそらく筆頭にあげられるのが、この坂本龍馬である。

自分も大好きで、個人的には歴史上の人物中、1、2を争うほど思い入れもある。

 

土佐勤王党を結成した盟友・武市瑞山は、「藩」という枠にとらわれた当時にあって、脱藩した龍馬を「土佐一国にはあだたぬ奴」と称え、「肝胆もとより雄大、奇機おのずから湧出し、 飛潜だれか識るあらん、ひとえに龍名に恥じず」と評した。

あの西郷隆盛をして「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」と言わしめたほど。       

「過激なることは豪も無し。かつ声高に事を論ずる様のこともなく、至極おとなしき人なり。容貌を一見すれば豪気に見受けらるるも、万事温和に事を処する人なり。但し胆力が極めて大なり」 という三吉慎蔵の評がよく龍馬のひととなりをあらわしている。

ユーモアがあり、器が大きく、飄々としたイメージ。

龍馬の故郷、土佐の桂浜からのぞむ太平洋のように、広大で、すべてを包み込む海のような包容力がある・・。

 

来年の大河ドラマ、「龍馬伝」は今から楽しみ。

福山雅治が主演だが、個人的にはちょっとイメージ違うかなあ・・。

誰がやるのか?・・とゆーコトでいろいろ話題にもなったが、その中で名前のあがったTOKIO長瀬智也なんかは面白そうだなと思った。

「新選組!」で龍馬を演じた江口洋介もなかなかハマっていた。

さすがに武田鉄矢はもう年だしね・・。

 

・・ちょっと話がそれたが、とにかく、龍馬は筆まめで新しい物好きなので、残されている書簡類や写真も群を抜き、エピソードも数多く残されていて、どこまでが本当なのか、疑わしいものもある。

しかし、そこがまた龍馬の人気の高さを物語っている。

 

「日本をいま一度せんたくいたし申し候事にいたすべくとの神願にて候」

―そう手紙に綴ったごとく、「薩長同盟」「大政奉還」といった偉業を陰から支え、維新のトビラを開いた。

これらは「藩」や「国」という枠にとらわれず、世界を見据えたその先見性と、怨讐を愛する大きな”愛”があったればこそ可能だった。

 

今日は龍馬の命日。

この世に生を受けたのと同じ日に天にかえった。

 

享年33歳。

 

天翔ける龍の如く、時代を駆け抜けた英雄・・。

 

―なんて書くと、そんなたいそうなもんじゃないと、あの世で頭を掻いていそーな、そんな龍馬の姿が目に浮かぶようだ。

 

 

 

 

 


大きな樹ほど・・

2009年10月10日 | 人生覚書き

 

      大樹深根(たいじゅしんこん)

 

大きな樹ほど根が深い。

根が深くなければ、大きな樹にはなれない。

組織においても、外に向かって拡大していくためには、内部を充実させておかなければならない。

個人においても同様である。

深く根をはってなければ、大物にはなれない。

いくら自分を大きく見せようと虚勢をはっても、中味がなければハリボテと同じだ。

 

また、「仕事」と「家庭」というとらえ方もできる。

外でいくらバリバリ仕事を頑張っていても、家庭がおろそかになっている・・というコトはないであろうか?

 

バランスが大事だというコトも、また同時に考えさせられる言葉だ。

 

 


一言だけで一生行っていけるコト

2009年08月29日 | 人生覚書き

     

             

 

「じょ」と読む。

思いやりの心のコト。

出典は『論語』だが、子貢という人が「一言だけで一生行っていけるコトがありますか?」という問いに対して孔子が答えたのが「其恕乎」(それは「恕」だな)。

それに続くのが有名な「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」という言葉である。

 

新渡戸稲造がその著書、『武士道』の中で、この言葉が聖書の「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ7:12)の聖句に通じると紹介している。

 

「心」の「如」くと書いて、思いやりの心を意味する「恕」

 

「自分がして欲しくないコト」、「自分がして欲しいコト」

・・というのは、まさしく、”心の如く”である。

 

しかし、”心の如く”に生きると、思いやるのは自分のコトばっかりになってしまってるのが、この世の中の困ったトコロだよなあ・・。


苺の話

2009年08月23日 | 人生覚書き

<昔、ある所に、朝から晩まで一生懸命に働く農夫がいた。

ある日、仕事の疲れから、うたた寝をしてしまい、すっかり日が暮れてしまう。

 

その夜、1人家路に向かう途中のコト。

突然現れた1匹の虎に襲われ、その農夫は崖に追い詰められた。

迫る虎から逃れるために、男は思い切って崖を飛び降りた。

 

すると、崖から1本の蔓(つる)が出ており、幸運にも男は蔓をつかんで、難を逃れるコトが出来た。

助かった・・と思ったのも束の間、崖の下にはもう1匹の虎が・・。

 

蔓をつたって、上に逃げても下に逃げても虎に喰われてしまう。

しかも、さらに悪いコトに、その唯一の命綱である蔓を、1匹の黒いネズミと1匹の白いネズミがかじっているではないか!

 

まさに絶対絶命のピンチ!

 

―そんな時、ふと顔をあげた男の丁度目の前の岩肌に、甘くておいしそうな苺がなっているのが目にとまった。

男はその苺をとって口に入れた。

すると、その苺のおいしいコトといったら・・。

 

・・この寓話は、ここで終わっている。

古の禅宗の伝統からきたものだそう。

 

あまりにも唐突な結末に思えるが、実はこの物語、いわば人間のおかれた状況すべてのコトを言っているという。

 

蔓につかまっている状態は、他ならぬ”自分”のおかれている状況。

黒と白のネズミは、それぞれ”夜”と”昼”を象徴し、迫り来る時間が、避けるコトの出来ない”死”(虎)へと駆り立てる・・。

しかし、そんな中にあっても、「いま」「ここ」に注意を払い、関心をもつコトで、人生の豊かさを象徴する「甘くておいしい苺」を味わう”瞬間”をもつコトが出来る・・というコトを教えてくれている話なのだ。

 

さて、これはまた別のエピソードであるが、親の教えに反発し、親元を離れて仏門に入り、修行をしていた少年は、この苺の話を聞き、1つの”悟り”を得たと、嬉々として父にその話をする。

すると、話を聞きおえた父はこう言った。

「そんなにおいしい苺なら、そのネズミと虎にもやらないとね」

その時、少年は自分の父に、禅の高僧よりも尊い悟りの世界があるコトを知った。

 

―「時間」や「死」というものは、人の力ではどーするコトも出来ないものだ。

そうしたものや、「自然」を征服すべき「敵」とみなし、管理し、コントロールし、屈服させ、支配しようとしてきたのが西洋文明ともいえよう。

 

しかし、もし、そうした「敵」さえも愛し、共に生きるコトが出来たなら、人生はたくさんの苺に満ちた、より豊かなものになるであろうコトは間違いない。

 

「汝の敵を愛せよ」 

 

・・これは言うほど簡単なコトではないが、なんにしろ、「アンチ・~」は健全なベクトルとはいえない。

どうせなら、その力をプラスの方向へ使いたいものだ。