カセットテープがワカメ

キノコ国本剛章の音楽活動・妄想・ノリツッコミなど。

迷宮組曲 その④

2005年12月31日 | 迷宮組曲

「迷宮組曲」の発売は1986年11月。キノコさん24歳。大学の出席率1%くらい、おまけに授業料を払ってなかった私は担当教官に呼び出され「未納分を払って『中退』の道を選ぶか、このまま払わずに『除籍』となる方を選ぶか」トホホな二者択一の判断を迫られました(がんばって卒業する、というよい子な選択肢はすでに消えていました)。で、なんちゃって大学生のとるべき道はただ一つ。おカネは払わずに『除籍』(ボッカ~ン)
当時の私は自分の未来に対して「何とかなるさ」度200%。童話「アリとキリギリス」でいえばキリギリス度360%。青島幸雄作詞、植木等唄の「だまってオレについてこい」状態でした。(皆さんには『こち亀』天童よしみVer.でおなじみでしょう。)ガリガリ勉強した高校の3年間が24歳の当時、すでに遠い昔のよう…
 ♪カネのない奴はオレんとこ来い
  オレもないけど心配するな
  見ろよ青い空白い雲
  そのうちなんとかなるだろう
「起承転結」ならぬ「起転結」の見事な4行詩ですね。『オチ』の2行目、『話題転換・現実逃避』の3行目。う~ん名作です。
「迷宮組曲」城外グラフィック。空の青さが印象的な面です。♪そのうちなんとかなるだろう…キノコさんはハネたリズムのブルース調の曲をつけました。「組曲」という荘厳な名のつくゲームの重要な1曲目BGMにいきなり軽いブルースとは!ゲーム全体のストーリーやミロンくんのキャラのことなど何も考えてない…

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愉快痛快!ファミコンバンド・スペランカー

2005年12月29日 | ファミコンBGM

ファミコンBGMが好きな方の中には自動演奏できる環境を個人的に整備して、MIDIデータとしてコピーやアレンジをやっている方がいらっしゃる、というのは私も知っていました。が、しかしっ、ギター・ベース・ドラムという「人間の手」を使ってファミコンBGMを再現している人達も存在したのです。その名も『ファミコンバンド・スペランカー』!ランカーランカーらんかあらんかあ…(エコー)
Splunkerきっとこのスジでは有名なバンドなんだろうと思います。「あー、あのスペランカーね。知ってるよ」みたいな。ただネット初心者のキノコさんにとっては驚きの新事実発見だったのです。ファミコンBGMをギター中心の編成で演奏するって…一体全体何者だ???
で、音を聞いてみてブットビましたね。90メートル級ジャンプ台で125.5メートル飛んで見事着地したくらいブットビました。一言でいうと「愉快痛快」。決して上手な演奏ではないんですよ。「粗削り」「勢い」「楽しさ」「ユーモア」…キノコさんが好きな「バンドの音」がそこにはあったんですね。あと、とにかく彼らがファミコンBGMが好き、ってこと。これがストレートに伝わってきました。まだ聞いたことのないという方、こちらへどうぞ。おススメは「チャレンジャー」、バンド名でもある「スペランカー」、裏メロがクールな「マッピー」などです。一聴の価値アリ。スペランカーの皆さん、今後のご活躍を期待しています!

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チャレンジャー その⑤

2005年12月28日 | チャレンジャー

「チャレンジャー」に提供した5曲のうちノイズ音源を「リズムパート」として使っているのは「SCENE 3(洞窟)」だけです。他の4曲はノイズはお休みで3和音だけの曲です。なお「SCENE 1(列車)」では例外として警笛の音の直後、♪ファミレドファミレドというフレーズのところだけノイズが効果音的に使われていますね。実はこの部分のノイズも最初にハドソンに持っていったテイクでは入れてなかったんです。こういった「ノイズパートを使わない」傾向は「迷宮組曲」まで続きました。逆にその後の作品ではほとんどの曲がノイズパートをフルに鳴らすようになったのです。たとえば「ヘクター’87」。これでもか、というくらいノイズパートが鳴りまくっています。
では、なぜ初期の作品ではノイズパートを使わなかったかというと「ゲーム中の効果音がほぼ間断なく発音されるためノイズパートはどうせ聞こえないだろう」⇒「ならば最初から入力しなくても別に構わないだろう」という発想だったんですね。「チャレンジャー」「SCENE 3(洞窟)」にだけノイズを使用したのはボーナスステージで、しかも確かジャンプだけでクリアできるゲーム性ゆえ、「ノイズパートが鳴る余裕が充分あるだろう」という判断だったんです。「SCENE 4(ラストステージ)」などは「最もアツく撃ちまくる」場面である故、当然ノイズパートは省略、という考え方でした。CDで聞くと効果音がないのでかなり寂しい感じですよね…

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ペンゴに100万円

2005年12月27日 | My Favorite

TAITO「スペース・インベーダー」が世に出たのが1978年。当時キノコさんは「帰宅部・ガリ勉高校2年生」でした。進学校に通ってたんですよ。勉強勉強の毎日。すべての遊びを封印。日曜日も勉強勉強。夏休み、冬休みも図書館で勉強勉強。インベーダーは大好きでしたが週に2~3回やるくらいでガマンしてました。収入のない高校生にとって1プレイ100円は経済的に大きかった、というのもありますし。でも心のどこかで「思い切り好きなだけゲームがしたい」というウップンは溜まっていたんでしょうね。
それから2年の時が経ち1980年。キノコさんは勉強の甲斐あって志望校に合格。「さあ、これで今までガマンしてきたことが思い切りできるぞ。アレもコレも。あんなこともこんなことも。うひひひ。ちくしょやりまくるぞ」キノコさんは張り切ってゲームセンターに入りました。なんかカワイイペンギンが氷をすべらせているゲームがあります。「よしよし待ってろ。今オレが氷をすべらせてやるからな。いひひひ。」チャリン。♪ゴケコゴケコゴケコゴケコ、ジャーララッタラーー。「ふんふん。こうしてこうやって、これを崩してこれをこっちに押して…ダイヤ氷を揃えて…と。やった!ボーナス1万点獲得おもしれえ、なまらおもしれーー」4方向レバー+1ボタンのシンプルなパズルアクションゲーム。『ペンゴ』!なまらハマリました…毎日1000円×365日×3年=¥1,095,000也。ホント、ゲーセンにとっていい「お客さん」だったんでないかい。
(注)なまら=北海道弁で「とても」の意

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クリスマスプレゼントは野球盤

2005年12月25日 | やきゅう

小学校時代クリスマスプレゼントにゲーム機をもらった方、たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。おそらく今朝は大勢の小学生の枕もとにゲームキューブとかPSPとかGBAとかがキレイにラッピングされて置かれてたんだと思います。
キノコさんの小1のクリスマスプレゼントは野球盤でした。もちろんTVゲームなんてこの世に存在しない。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代で王、長嶋がバリバリ現役。こどもたちは学校が終わったら毎日近所の公園で野球。日が暮れたら白黒TVでナイター観戦。巨人が勝つのが当たり前でそれ以外のチームは「悪者」だと思ってましたね。で、雨の日は野球盤なワケですよ。「3番、ファースト、王。3番、ファースト、王。背番号1。さあ今日3回目のバッターボックスとなります。ツーアウト1・2塁、一打同点の場面。当然阪神守備陣は『王シフト』をとってきました。さて解説の青田さん、ここは塁が詰まっていますので勝負ですよね?ハイ、そうですね。もしここで王選手を歩かせると次は満塁で勝負強い長嶋クンを迎える場面ですからね。阪神バッテリーとしてはここで勝負するしかありません。ドンドンドン、ドンドンドンドン、かっとばせーおーお。ここは勝負だ。外角のクサいコースを踏み込んで狙うぞ」ってウグイス嬢、実況アナウンサー、解説者、応援団、王選手自身のモノローグの1人5役ですよ。楽しかったなー。野球盤それ自体はとてもチープな遊び道具でしたが自由度の高いとても愉快なオモチャでしたね。ファミコン世代の方は野球盤とかやったことありますか?

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☆きよしこの夜☆

2005年12月24日 | My Favorite

クリスマスイブなので
私の好きな「きよしこの夜」のコード進行を紹介します。

    
きーーーよー|しーーーーー|こーーのよー|るーーーーー|
G7                 
ほーーーしー|はーーーーー|ひーーーかー|りーーーーー|
F                 
すーーーくー|いーーーのー|みーーーこー|はーーーーー|
                 
みーーーはー|はーーーのー|むーーーねー|にーーーーー|
        E7       Am       F#m7-5
ねーーーむー|りーーーたー|もーーーーー|おーーーーー|
C/G     G7        Csus4    
ゆーーーめー|やーーーすー|くーーーーー|        |

んー。いいですねえ。F#m7-5がいい響きですねえ。ウットリ。
Csus4もいいですねえ。ストイックな感じです。
実はTVはずーっとグリーンチャンネルが流れていて有馬記念の予想の片手間なんですけど(大爆発)
では皆さん、メリークリスマス。

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劇伴に夢中… 冬木 透(ウルトラセブン)

2005年12月23日 | My Favorite
「劇伴(ゲキバン)」=「劇中伴奏曲」。映画やTVドラマで場面を盛り上げるために使用されるBGMのことです。敢然と敵に立ち向かう場面では勇ましい音楽。謎が深まる混迷の場面にはミステリアスな音楽。ラブシーンには甘く切ない音楽。3枚目が演ずる失敗シーンにはコミカルな音楽…。歴史上初めてBGMの手法を編み出したのはどなたなのでしょうか。スゴい発見ですよね。だって実生活の中ではどんなに楽しいことや悲しいことが起きてもあなたの耳もとで音楽なんて鳴らないんですから。
ultraseven
「ウルトラセブン・メモリアル・ベスト」 1967年 冬木 透 氏の作品です。
初回放送時はキノコさん5歳だったので何も覚えちゃいませんが小学校時代「ウルトラセブン」は何度も繰り返し再放送されたんですよ。小4くらいの一番多感な時。キノコさんは冬木さんの劇伴にブチのめされました。「映像と音が合ってる!…ってゆーか登場人物の気持ちが音楽で見事に表現されてる!」当時キノコさんはイヤイヤながらにピアノを習いにいく毎日。練習していた曲は「ハノン」のようなメカニカルトレーニングなど練習のための練習曲ばかり。曲目にタイトルなどついておらず「練習曲〇〇番」とか…そりゃもう無味乾燥、やめたくもなるわけですよ。
「音楽ってヒトの感情に直接訴えかけられるんだ…」冬木さんは私にとって幼年期の一番の師匠ですね。

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迷宮組曲 その③

2005年12月21日 | 迷宮組曲

「FAMICOM 20TH ANNIVERSARY ORIGINAL SOUND TRACKS VOL.2」の#74~#83が「迷宮組曲」BGMですがこの中で「#77.ファンファーレ1~ボーナスステージスタート」と「#78.ボーナスステージ(コンプリート)」は私の曲ではありません。それ以外の8曲がキノコさん作曲です。
このボーナスステージの曲好きだ、という方多いと思うんですよ。ファンレターとか来てから(来るわけないよ)「実は私の曲じゃなく…」というのも興ざめなので先にハッキリとさせていただきます。
で、作ったのは誰なのかというと、曲のアイディア(少しづつ楽器を集めて徐々に音楽が完成してゆく)はもちろんsasagawaさん。作曲は確か井上大介氏だったと思います。井上氏は私の大学時代、軽音楽サークルの先輩で後に「ピチカート5」のレコーディングなどに参加した方です。ハドソンの仕事では他に「新人類」などが氏の作品だったと思います。
このボーナスステージでビックリするのは何と言っても音色の多彩さですね。それまでのファミコンBGMって「加工してない矩形波がそのまま鳴っている」のがほとんどだったわけです。音色を変えるのが技術的に困難だったのか、開発スタッフのこだわりがそこまでなかったのか…それに比べてこのボーナスステージBGMはどうでしょう。主旋律は立ち上がりを柔らかく抑えたヴァイオリン風、アルペジオは切れのいいギター風、合いの手はほのぼのとしたピッコロ風…こんな華やかな音楽がファミコンから出るなんて。このボーナスステージこそ「迷宮組曲」のハイライト、sasagawaさんのこだわりが産んだ傑作だと思います。

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迷宮組曲 その②

2005年12月19日 | 迷宮組曲

sasagawaさんという方はそれまでの3本のお付き合いで「音楽総監督」という立場に違いない、と思っていたキノコさんでしたがナンとビックリ。「迷宮組曲」ではストーリー・テラーでありプログラマーでもあり…いわゆる「制作・総指揮」だったんですねー。この時のsasagawaさんはカッコよかったですよ。なんか難しいことをブツブツつぶやきながらカタカタカタカタ物凄い速さでキーボードを叩きまくっていましたね。画面を見ているキノコさんはあっけにとられていました。「わからない…何が起こっているのか何一つわからない…同じ人間だというのに…なんだこの数字とアルファベットの列は…」
キノコさんのおツムのレベルは「MSX-BASIC」級だったので「えーーっと。画面の色を変えるには…す・く・り・ー・ん…と。カッコの中に数字3つか…とりあえず0,0,0にしちゃえっ…と。ヨシ。エンター!おわっ!画面が真っ白!文字が見えない!コワレた?ひえーー。操作がきかない。隊長、操縦不能であります。隊長、キーボードが効きません。隊長!たいちょおおおおお…」ボッカ~ン。
キノコさんはしにました。
▼つづきをする
▼はじめからする
しかしカッコよかった一方、sasagawaさんは相当やつれていたのも事実でした。余りにも凝ったゲーム作りをしていたため反動でバグも多かったと聞きます。デバッグのため徹夜、徹夜の毎日だったのではないでしょうか。
もともと音楽が好きなsasagawaさん。ホントは「迷宮組曲」の音楽製作をご自身でやりたかったんじゃないでしょうか?
ただ、あまりの多忙さに無念の思いで私に依頼したのかもしれません…

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3P初めてだけど…入れてもいい?

2005年12月18日 | ファミコンBGM

私が「チャレンジャー」を作曲するのに使用した鍵盤は「Roland JX-3P」でした。買ったのは発売されてすぐ。1983年だったかな?時にキノコさん21歳。バイトで稼いだ金を全部楽器につぎこんでいた時期でした。
「JX-3P」と聞いてすぐ絵が浮かぶ人は相当なオールドシンセ通ですね。当時のローランドは「JUPITER-6」がメインモデルで「JX-3P」は裏モデルでした。この2機種の違いはいろいろあったのですが、キノコさんが「JX-3P」を選んだ一番の理由は「クロスモジレーション」がついていたことでした。これはとてもマニアックな機能で「片方のVCODCOでもう片方のVCODCOを変調する」というもの(間違ってたらゴメンなさい…)。「JUPITER」の波形選択がお決まりの「矩形波」「ノコギリ波」「PWM」しかなかったのとは一線を画していました。いじってるといろいろと面白い「想定外」の音が出せました。ひとつの発振器がもうひとつの発振器を変調する、という意味ではFM音源の原型だったのでしょうか(これも間違ってたらご指摘願います)…
それと1983年頃ってMIDIの出始めだったんですよ。ポピュラー音楽の世界が猛烈な速度でデジタル化し始めた黎明期。
キノコさんも未来へとつながるMIDIの世界に胸ワクワクさせて「JX-3P」を買ったわけです。ただMIDIって2台以上の機器を持ってて初めて「つなげる」わけじゃないですか。貧乏学生キノコさんは2台目のMIDI機器をなかなか買えず、少女「JX」の可憐なMIDI IN端子はずーっと汚れを知らないまま…そこへイカしたMIDI OUT端子を持ったMSXコンピュータ「ヤマハCX-11」がやってきたわけですよ。「3Pちゃん。オレ、初めてなんだ。入れてもいい?」危うし!可憐な少女「JX-3P」。彼女の汚れを知らないMIDI IN端子はどうなってしまうのか!波乱の次号を待て!!!

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