時に1985年。当時のハドソンはまだ立派な高層ビルの社屋もなく、雑居ビルの一角に開発スタッフがまさに「詰めている」という状況だったように記憶しています。エレベータはなく階段で開発ルームに入ったような・・・ルーム内は少人数でアットホームな雰囲気。無造作に散らかっている開発途中のROMカセット、カップラーメン、仮眠用の毛布、無精ヒゲ…仕事を依頼されるという感じではなくクラブ活動や大学のサークル活動の延長、といったリラックスした空気がそこにはありました。年齢的にも同じか少し上の人ばかり。「何でもアリ」な楽しい空間。おかげさまで何の気負いもなく「チャレンジャー」の曲作りに取り組めたんですよ。
ま、一言で言うと「産業革命」前の「家内制手工業」みたいだと当時は勝手に思ってました。sasagawaさんのブログの中には社員として「売上至上」的な厳しさが記されています。後のsasagawaさんからは確かにそういう厳しさも感じ取られましたが少なくとも初めてハドソンを訪れた時には「売上」などという文字はなく、ただ「オレたちはゲームを作るのが好きなんだ」という空気だけがあったように覚えています。ちょっと美化しすぎかな(笑)?→sasagawaさん