観るも八卦のバトルロイヤル

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斬って斬って斬りまくる。
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「アイシテルー海容ー」前向きに終わってめでたし

2009年06月18日 | 映画・ドラマ
 小学生が小学生を殺した。その加害者と被害者の家族を襲った悲劇。どちらの家族にとっても辛い、長い日々を、稲森いずみ、山本太郎と、板谷由夏、佐野史郎の夫婦が演じた。
 その事件を担当する家庭裁判所調査官には田中美佐子。年取ったなー。
 後半、稲森いずみのヒロイン性を表すためか、全体の勢いが薄れた感が否めず。子どもの心境よりも母親のいい人っぷりが2回続いたので、少々飽きてきた。
 第三者から、無責任に見ると、被害者側は、憎む相手ががいるが、加害者側の苦しみはやりどころがない。といった感も否めない。
 ただ、関係者だったら、生きていてほしい。なぜ殺されなければならないのだ。相手が加害者が子どもなために、裁く事もできない。といったやるせない思いもあるだろう。
 いづれにしても、家族のあり方、母親の愛情ということに焦点を絞った話しだ。そして、犯罪は個人の問題ではなく、家族を巻き込んでその後の人生が大きく変わるということをこのドラマを通して各自が理解していけたらと思う。
 だだが、実は、父親の大きさもひっそりとドラマに絡んでいる。双方の家族の崩壊を食い止めた父親の偉大さを。
 最後の山場は、加害者の息子が、施設から自宅へ戻され、そこでの生活に戸惑い、家庭裁判所調査官に田中美佐子を訪ねる。そして施設に戻りたいと訴えるが、田中は「もうおばさん、聞く事ができないんだ。おばさんはもう友也君をお母さんから預かってたけど、もうお母さんに返したから…」と告げる。これを小学生が理解出来るのかな? と思ったら、凄く素直に理解していた。こういうことで、裏切られたって思わないほど成長したってことか…。
 そして、「僕が居たら迷惑がかかる」「僕なんか産まれて来なければ良かったんだ」で、「アイシテル」。子どもながらの苦しみを表していた。
 被害者役の子役と天地人の子役の区別がつかないのは、私だけだろうか…。
 思うのだが、犯罪において、実際に、精神鑑定といった方法で、責任能力が問われないといったケースがあるが、加害者側は、健常者だろうが、精神異常者だろうが、殺されたことには変わらないのだ。
 そして、被害者は、他人を殺めたことに変わりはない。なぜ? 責任能力などといった措置がとられるか? 例え、大人だろうが、子どもだろうが、精神に以上があるおが、事実は事実。きっちり、責任は取るべきである。それくらいに、命は重いと思うのだが…。

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