二宮和也主演の感動ドラマ三部作の最終章は脳性まひという障害を持ちながらも、セールスマンとして有能な才能を発揮する、アメリカに実存する人物を描いたフィクションである。
第一弾は2006年3月22日。余命を宣告されながらも東京大学合格に向けて全力を尽くした「少しは、恩返しができたかな」、第二弾は2007年9月20日。自閉症の青年が東京マラソンを走り抜く「マラソン』とそれぞれに難しい役を好演。
主人公が脳性麻痺ということで、観る前から、「悲しい気持ちになったら嫌だな」と思っていたのだが、周囲の白い目や冷たさに対しても、本人が「慣れてますから」など、きちんとハンディを受け止めていることにほっとした。
そして、徐々に、彼の人柄や有能さが周囲の偏見を克服していくのだが、セールス初日に、外のセールスマンに組み込まれる形で、詐欺まがいの売り込みをしてしまったのだが、そのことで窮地に立ったらどうしようと、終止心配していた(結果、会社にバレることなく、本人がきちんと謝罪)。
もし、話しを膨らませるなら、この事件が大きくなり、会社を首になる。そして、周囲からも見放されるという展開もあっただろうが、そんなお涙ちょうだいにしなかった当たりに、監督の前向きな気持ちを見た気がした。
そして、現実のことなのだが、運命ってどうしてこんなに過酷なのだろうと、いたたまれない気持ちになっていくのが、父親は主人公が幼い頃に死亡しており、母子家庭を支えていた母親までが、脳梗塞で倒れ、半身不随になってしまう。
母子共に、不自由な身体になり、息子が母の車椅子を押すシーンなど、あまりの辛さに見ていられなかったほどだ。もはや二宮和也ではなく、ビル・ポーター本人のことを思い浮かべながら鑑賞していた。
そして、この時、母親はどんなにか絶望的な気持ちになったことだろうと、思いやると、他人のことながら、いたたまれなかった。
この母子の今後の生活。経済的にも、日常においてもどうなるのだろうと…。
さらに母親の死亡と、最悪の現実。
これまで、風呂で身体を洗うことも、着替えも全てを母の手助けで行っていた主人公がどうやってひとりで生きて行けるのだろう。
だが、そんなネガティブな心配は、ビル・ポーターには必要無かったようだ。
セールスマンとして、80歳に近い今も現役。テロップに彼の写真や現況が記されていたが、実におだやかないい顔をした品のある紳士だった。人間は年齢を重ねると、それまでの生き様が顔に出るというのは本当のようだ。
あのテロップでのビル・ポーターがあったお陰で後味のいい、物語になった。
そして、ビル・ポーターを受け入れたアメリカという国は、大きいと実感。日本は障害を持った人の門戸はまだまだ狭いと思う。このようなドラマを通し、一時の感情ではなく社会全体が変わることが大切なんじゃないかな。
二宮和也は、想像どうりの演技力であったし、ナレージョンを心の声として本人が語っているが、実際に言語障害のある方も、考えるときや自分の頭の中では、こうやって普通にしゃべっているんだと、改めて知る上で感慨深い演出でもあった。
第一弾は2006年3月22日。余命を宣告されながらも東京大学合格に向けて全力を尽くした「少しは、恩返しができたかな」、第二弾は2007年9月20日。自閉症の青年が東京マラソンを走り抜く「マラソン』とそれぞれに難しい役を好演。
主人公が脳性麻痺ということで、観る前から、「悲しい気持ちになったら嫌だな」と思っていたのだが、周囲の白い目や冷たさに対しても、本人が「慣れてますから」など、きちんとハンディを受け止めていることにほっとした。
そして、徐々に、彼の人柄や有能さが周囲の偏見を克服していくのだが、セールス初日に、外のセールスマンに組み込まれる形で、詐欺まがいの売り込みをしてしまったのだが、そのことで窮地に立ったらどうしようと、終止心配していた(結果、会社にバレることなく、本人がきちんと謝罪)。
もし、話しを膨らませるなら、この事件が大きくなり、会社を首になる。そして、周囲からも見放されるという展開もあっただろうが、そんなお涙ちょうだいにしなかった当たりに、監督の前向きな気持ちを見た気がした。
そして、現実のことなのだが、運命ってどうしてこんなに過酷なのだろうと、いたたまれない気持ちになっていくのが、父親は主人公が幼い頃に死亡しており、母子家庭を支えていた母親までが、脳梗塞で倒れ、半身不随になってしまう。
母子共に、不自由な身体になり、息子が母の車椅子を押すシーンなど、あまりの辛さに見ていられなかったほどだ。もはや二宮和也ではなく、ビル・ポーター本人のことを思い浮かべながら鑑賞していた。
そして、この時、母親はどんなにか絶望的な気持ちになったことだろうと、思いやると、他人のことながら、いたたまれなかった。
この母子の今後の生活。経済的にも、日常においてもどうなるのだろうと…。
さらに母親の死亡と、最悪の現実。
これまで、風呂で身体を洗うことも、着替えも全てを母の手助けで行っていた主人公がどうやってひとりで生きて行けるのだろう。
だが、そんなネガティブな心配は、ビル・ポーターには必要無かったようだ。
セールスマンとして、80歳に近い今も現役。テロップに彼の写真や現況が記されていたが、実におだやかないい顔をした品のある紳士だった。人間は年齢を重ねると、それまでの生き様が顔に出るというのは本当のようだ。
あのテロップでのビル・ポーターがあったお陰で後味のいい、物語になった。
そして、ビル・ポーターを受け入れたアメリカという国は、大きいと実感。日本は障害を持った人の門戸はまだまだ狭いと思う。このようなドラマを通し、一時の感情ではなく社会全体が変わることが大切なんじゃないかな。
二宮和也は、想像どうりの演技力であったし、ナレージョンを心の声として本人が語っているが、実際に言語障害のある方も、考えるときや自分の頭の中では、こうやって普通にしゃべっているんだと、改めて知る上で感慨深い演出でもあった。