観るも八卦のバトルロイヤル

映画・ドラマを独断と偏見(?)で、
斬って斬って斬りまくる。
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究極のシュールリアリズム「北京原人」

2006年09月02日 | 映画・ドラマ
 佐藤純彌監督で思い出した「北京原人」。緒形直人、ジョイ・ウォン、本田博太郎、哀川翔、 北大路欣也、丹波哲郎、石橋蓮司といったそうそうたる顔ぶれなのに、なぜかこんな映画。
 現代になぜか北京原人の親子が復活するという話。
 北京原人と最初に交流するために、緒方直人と片岡礼子が、親近感を示してもらうために、服を脱ぎ、体に泥を塗り出し、片岡礼子にいたってはおっぱいぶるんぶるんの迫真の演技。
 「名前が無い」とタカシ・父、ハナコ・母、ケンジ・息子と命名してみたり、研究室のお偉いさんの丹波哲朗が「世界に向けて発表する」場が、なぜか陸上大会。しかも「東京都実業団選手権大会」。東京都の大会だよ。しかし、あらゆる競技で記録更新。という落ちもある。落ちか?
 北京原人は中国のものということで、中国に誘拐されたり、佐藤蛾次郎はシベリアでゾウのDNA
を使ってマンモスを蘇らせたりとはちゃめちゃな展開。
 万里の長城からなんだかモンゴル方面にマンモスと原人は去って行くが、「自由に向かって走れ」とかなんとか言っちゃってる緒形直人って何者なんだ。
 で、これってわざわざジョイ・ウォンが出てる意味あるの?
 この映画で評価されたのは本田博太郎のリアルな原人ぶり(原人生で観たことないけどさ)だけだったような…。
 しかし、退廃的な気分の時に観れば、「小さなことでくよくよすんなよ」と自分を励ましたくなります。
 中国政府がよく撮影許可だしたこと。

「男たちの大和/YAMATO」わたくしの映画史を塗り替えた

2006年09月02日 | 映画・ドラマ
 昨年来より観たかった「男たちの大和/YAMATO」をようやく入手。まだかまだかと長ーくした首は地球をひと回りもしようというもの。ならばロードショーで観ればいいものを…私は海外に住んでおります。敵地で観る「男たちの大和/YAMATO」。
 これはもう日本映画史上に残る名作と言っても過言ではない。「プラトーン」を超えた。私の中の「壬生義士伝」も「戦国自衛隊」もかすんでしまった。今回はおちゃらけられません。
 思わず居住まいを正して観賞。まだ頭がガーンとしている。
 撮影のCG効果も凄いが、戦闘シーンのど迫力ったらない。あんなに雨霰のように降り注ぐ銃弾や、打と落としても次から次へと湧いて来る敵の戦闘機。アメリカとの国力の違いの大きさがあのシーンで把握できたものだ。それに、船の上があんなに無防備だとは思わなかった。今の今まで、陸海空軍の中で海軍が一番安全だと思っていて「ごめんなさ」。怖いなんてもんじゃない。私なら完全に気が触れてしまうだろう。
 この映画を観ながら何度も村上龍の「すべての男は消耗品」という20年前のベストセラーを思い出していた。その中の一節に「戦争で死ぬのも男」というくだりがあった。
 実は昨日「葵三代」の関ヶ原のシーンをまたも観ていたので、双方に共通して思うのだが、死ぬのは雑兵なんだよね。金と権力なら私は断然金派なのだが、権力でも命が買えることを知った。
 戦艦大和が沈んでおしまいと言うのでは観終わった後に救いが無いが、ラストショットは海に浮かぶ漁船(仲代達也の船)。単に戦争映画としただけではなく、回想を交えて、そして死ぬことと生きることの意味を問うあたりにこの映画の深みと同時に、悲壮な思いだけで終らせないものがあった。
 母親と息子の雪の中での別れのシーン辺りからから目頭が熱くなってしまった。
 役者は個人的には唐木役の山田純大が好きなのだが(「ムルデカ」から注目)、烹炊所班長の森脇役の反町隆史っていい役者になったというのが実感。とてもあの「GTO」の先生とか「ビーチボーイズ」のフリーターやってた人とは思えない。伊藤司令長官(渡哲也)は、どこから観ても渡哲也だったが、ほかは勝野洋始め、名の通った役者もみな海軍の兵隊さんに思えた。
 鈴木京香って人も必ず話題作に出ているけど、この人も存在感のある役者だ。仲代達也に引けを取っていなかった。
 惜しむらくは寺島しのぶの(芸者姿)大きな日本髪のずら。この笑いはいらなかったように思うのだが…。
 佐藤純彌監督という人の計り知れない力も思い知った。
 これはフィクションではなくほんの数十年前の実際の話。なぜ戦争をしているのか意味も分からずで命を落として行った方もいたことだろう。彼らの犠牲の上に我々は平和な日々を送ることができているのだ。仮に自分が60年前に産まれていたとしてもおかしくはないのだ。今のこの時代に感謝したい。合掌。