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『サンタルチア』、その日本語歌詞の変遷とセノオ楽譜――ナポリ民謡? それともカンツォーネ?

2013年01月30日 12時14分39秒 | 「大正・昭和初期研究」関連


 今、3月に関西方面で開催される予定の『セノオ楽譜と大正クラシック』という名称の展覧会の解説原稿に追われています。一昨年、東京の松涛美術館で開催された『大正イマジュリィ展』ほどの規模ではありませんが、「セノオ楽譜」や「楽譜絵葉書」など、私がこのところ取り組んでいる大正期の西洋音楽受容史の一側面を中心に取り上げる展覧会企画です。この展覧会の解説原稿をベースにして、『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』の続篇というか姉妹篇とでも位置づける本を書き上げたいと思っています。
 ところで、その関係で、「サンタルチア」について調べ直す延長でネット上を流していたら、日本語歌詞について、様々な意見が飛び交っているのでびっくりしました。以下は、私の4年前の著書の「サンタルチア」の項目全文です。ウイキペディアには、これと違う説が書かれていましたが、どうでしょう。私の以下の説も、それなりに様々の文献で得た知識を整理したものですが、新情報など、お教え下さる方がおられたら、コメント欄にお願い致します。


《歴史の荒波に揉まれ続けた、船乗りの歌の軌跡》

■戦前から歌われている歌詞と、教科書の歌詞は違う?
 この曲は、明治の初期に唱歌として使用された外国民謡ではないから、教科書に初めて登場したのは、第二次大戦後まもない一九四七年(昭和二二年)に発行された最後の国定教科書だった。外国曲容認の流れの中で、中学二年生の教科書に掲載されたものだった。
 そのとき採用されたのが上に掲載した(当ブログでは下にスクロール)小松清の訳詞である。その後、民間の出版社から発行された検定教科書に変わっても小松の詞が使用され続けたので、学校の教室で戦後教育を受けた子供たちのほとんどがこの詞で歌ったはずだが、一方で、「月は高く、海に照り、風もなく、波もなし」と歌い出され、「来よや友よ、船は待てり、サンタルチア」と結ばれる堀内敬三の訳詞を覚えている人も多い。なぜだろうか?
 昭和の初期に『サンタルチア』を日本語で歌ったと思われるSPレコードが発売されていることがわかっている。戦前から広く知られていた歌なのだ。どういう歌詞で歌っているのか確認できていないが、歌い手が戦前人気のあったソプラノ歌手ベルトラメリ能子(よしこ)で、彼女は堀内の戦前のヒット作『君よ知るや南の国』も歌っているから、おそらく堀内の歌詞だろうと思われる。昭和三〇年代も、街なかの歌声喫茶などでは堀内の歌詞が主流だったようだ。教室の中だけが小松の歌詞だったのかも知れない。

■ナポリ方言が標準イタリア語に変えられて消えた「殉教者の影」
 教科書に最初に載った時には「ナポリ民謡」となっていた『サンタルチア』だが、原曲についても、謎が多い。
 「サンタルチア」とは、もともとは「聖ルチア」という実在の殉教者のことで、その悲しい死を描いた元歌が一八世紀のナポリにはあったらしい。その旋律をフランス系イタリア人のテオドロ・コットラウが採集し、ナポリ方言の原曲とは異なる標準イタリア語の歌詞をエンリコ・コソヴィッチが書き、ナポリの港を讃美する漁師たちの歌として一九世紀の半ばに音楽祭に出品して以来、大ヒットとなったというのが、最近になってやっとわかりだしたこと。だから、コソヴィッチが改作した時点で「ナポリ民謡」から「カンツォーネ」に化けてしまったと考える方が合理的だ。
 メロディが、どことなくゆったりと揺られているようなのは、この曲が「舟歌」だからで、その標準イタリア語の「カンツォーネ」の歌詞には、悲しい殉教者の影はどこにも見られない。穏やかな航海を讃えるばかりだ。


【作品メモ】
初出:文部省・編『中等音楽(二)』1947年(昭和22年)7月発行
 *1958年(昭和33年)に文部省制定の中学校2年生必修教材

【歌詞】
「サンタルチア」[ナポリ民謡/訳詞:小松清]
空に白き 月の光
波を吹く そよかぜよ
かなた島へ 友よ 行かん
サンタルチア サンタルチア

しろがねの 波に揺られ
船は軽(かろ)く 海を行(ゆ)く
かなた島へ 今宵(こよい) また
サンタルチア サンタルチア

友よいざ 船に乗りて
波を越え とく行(ゆ)かん
かなた島へ 友よ いざ
サンタルチア サンタルチア
――以上、竹内貴久雄・著『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア刊)より

【ブログ掲載に際しての追記】
 ベルトラメリ能子のコロムビア・レコードSP盤を聴きました。私が本文で「月は高く 波に照り」と書いている部分、「月は高く 空に照り」と歌っていました。そのほか、2番の歌詞も、私の手元にある文字で流布しているものと微妙に異なっていますが、レコード盤上には「堀内敬三訳」とあります。編曲とオーケストラの指揮を山田耕筰がしていますから、録音時に変更が行なわれたのかも知れません。しかも、同じコロムビアで、昭和10年代(推定)発売のレコードでは、長尾豊という人の訳詞で、澤崎定之指揮東京音楽学校生徒の女声合唱で、まったく異なる歌詞が登場しています。そのほか、大正末期から昭和初期に、女声合唱運動がひときわ盛んだった関西方面で、昭和4年に発行された中学唱歌の民間本に、『三舟』と題して「サンタルチア」に詞が付けられているものまであるようです。いったい何通りの「サンタルチア」が見つかることか、といったところです。


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コメント
 
 
 
毎度ながら,セノオに関する情報です。 ()
2013-01-30 16:40:55
セノオ音楽出版社から,
妹尾氏と堀内氏の2つの訳詞が,
大正9年と昭和2年にそれぞれ出版されています。
堀内氏は「月は高く空に照り(以下略)」となっています。
妹尾氏の方は湯浅初枝嬢のSP盤(昭和6年録音)があり,
歌詞はほぼ楽譜通り正確に,
(誤りに気づき,誤魔化している箇所がありますが。
…生演奏で良くあるあれ)
歌っていますが,伴奏が異なるため,
この版を使用したかどうかは不明です。
 
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