昨日の私のブログに、なんと、「クラシック音楽のレコードコレクター仲間」の今村享氏から、早速のメールで疑問と情報が届きました。「唱歌・童謡」という世界での話として書いたつもりでしたが、なるほど、クラシック音楽世界から眺めると、だいぶニュアンスが変わってくるのだということを、再認識してしまいました。以下、まず、今村氏からのメールをそのまま掲載します。
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ブログの『サンタ・ルチア』の項、拝見しました。改めて『唱歌・童謡100の真実』も読み返してみましたが、ちょっと腑に落ちない点が…
この曲はジーリ、デル=モナコ、ディ=ステファノ等のような名テナーが歌った録音で聴いた人が圧倒的多数だと思えるのですが、そう考えると、竹内さんが本の中で言及された、ベルトラメリ能子の録音は、女性が歌った『サンタ・ルチア』が皆無と云う訳ではないにせよ、特殊な一例なのではないでしょうか?
竹内さんが取り上げられたのは、飽くまでも‘日本語’の『サンタ・ルチア』なので、戦前ならカルーソーの録音で曲自体は知られていたのかも知れませんが、それでも、もし、そのベルトラメリ能子の録音で日本語版『サンタ・ルチア』が日本中に広まったのなら、歌詞の違いと同じくらい不思議な事のような気がしたので、少し調べてみました。
やはり藤原義江の昭和9年発売ビクター盤があり、その録音は63年に、「われらのテナー藤原義江愛唱歌集」(JV95) としてLP復刻されています。
中の解説書(宮沢縦一)では、《小学生でも知らないもののない名高いナポリ民謡だが、民謡といっても読人知らず的の古くから語り伝えられた歌ではない。/前の「帰れソレント」がクルテイスの作曲であるように、これもコットローの作曲で、「オー・ソレ・ミオ」などと同じく、毎年九月におこなわれるナポリのピエディグロッタの民謡祭の歌のコンクールで一等を取ったものである。この船歌はいかにも青い空、蒼い海、南の太陽の輝くナポリの歌らしく、明るく美しいが、それだけにカルーソー、ジリ、スキーパなども好んでうたい、藤原氏もお得意の一つ。サンタ・ルチアはナポリの守護神で、殉教者としてあがめられる聖女のことだが、ナポリにはその名をとった港や通りがあり、ホテルまである。もちろん、サンタ・ルチアの教会もあり、信仰心のふかい人たちがうやうやしく参詣している。》
また、堀内敬三訳詩の歌詞は
《月は高く 空に照り
風も絶えて 波もなし
来よや友よ 舟は待てり
サンタ・ルチア サンタ・ルチア
そよと渡る 海風に
ながるるは 笛の音か
晴れし空に 月は冴えぬ
サンタ・ルチア サンタ・ルチア
いざやいでん 波の上
月もよし 風もよし
来よや友よ 舟は待てり
サンタ・ルチア サンタ・ルチア》
となっていて、竹内さんが追記の中であげられた、ベルトラメリ能子が歌った歌詞と共通している部分があります(一番)。
[ここまでが今村氏からのメール]
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宮沢縦一氏は、さすがによく調べておられていて、当時の情報として完璧だと思いましたが、その後、宮沢氏が知らなかった事実(作曲ではなく「改作」だったなど)が分かってきたわけです。じつは、私が『唱歌・童謡100の真実』で強調したかったのは、以下の点です。
1)ナポリ民謡の原曲は、かなり悲惨で暗い内容だったが、それと似ても似つかぬ新しい歌詞を付けて、音楽祭に出品して、流行歌になった。したがって、日本では「ナポリ民謡」と表現したり「イタリア民謡」と表現したりと、表記が揺れていたが、イタリア国内では、「古くからある伝統的なナポリ民謡」という認識はないのではないか。
2)「サンタルチア」も、「ローレライ」「別れ」などと同様、セノオ楽譜愛好者をはじめとした女性ファンに支持された歌として日本に定着したのではないか? それを受けて、「日本語版サンタルチア」のレコード化は、「新小唄」として女性歌手に歌われることが多かったのではないだろうか? 女声コーラス譜もかなり流通していた。(そのレコード化のひとつが、東京音楽学校生徒の歌った日本コロムビア盤なのではないか?)
3)日本語の歌詞は、「楽譜絵葉書」などの巷間に流布している怪しげな替え歌もあるようだが、レコードを通じて戦前に定着した歌詞は、どうやら堀内敬三のもののようだ。だから、昭和30年代~40年代の歌声喫茶では「堀内訳」で歌われていた。(大正15年9月生まれの私の母親も「来よや友よ~ 舟は待てり~」と、台所で声を張り上げていたのを思い出します。)
4)ところが、同じ昭和30年代~40年代、学校の教室では、小松清の訳で歌われていた。(だから、私と同じ歳の私の妻は「かなた島へ~ 友よ行かん~」と歌うのです。)そして、どういうわけか、私のこの歌のイメージは、日本語で歌われる限り、女の人が歌っていないと、サマにならない。(女学生のコーラスだったなら、完璧! なのです。)
5)イタリア語では、私も、中学生のときに音楽室にあったレコードを放課後にこっそり掛けて、マリオ・デル=モナコ、とディ=ステファーノの聴き比べをしたのを覚えています。私はステファーノが気に入って、「カタリ・カタリ」なども入ったレコードをよく聴いていましたし、結局、10年ほど前に、東芝からCD化されたアルバムを買ってしまいました。だから、テノールの歌じゃないか、という考えは、理解できます。でも、やっぱり、この歌は、女声が似合うのです。
【追記】
たった今、この、本日分をUPしたら、昨日分に、セノオ楽譜に関していつもコメントをくださる「誠」さんから、情報が入っていることに気づきました。公開処理をしましたので、ぜひご覧ください。やっぱり、女声が歌っています。しかも、セノオ楽譜に「妹尾幸陽」の訳と「堀内敬三」の訳の2種があるそうです。そして、堀内訳の発刊年から見ると、ひょっとすると、ベルトラメリ能子の録音が先行しているかも知れません。歌詞の細部の揺れは、その所為かもしれません。つまり、録音用にとりあえず訳したが、セノオ楽譜出版に際して推敲して決定稿とした、のかも知れないということです。(あるいは、その反対かも。)これは、ベルトラメリ盤の録音日が判れば済むことでしょう。