竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

許光俊ほか編『クラシック反入門』(青弓社)に寄せた「コラム」です。

2010年05月12日 15時18分57秒 | エッセイ(クラシック音楽)



 以下は、昨年(2009年)4月に青弓社から発行された『クラシック反入門』という本のページ調整用に設けられたコラム欄のための原稿です。同書は許光俊、鈴木淳史、梅田浩一の三氏の編によるもので、三氏が掲げた「お題」が先行して出来上がっているところに、この三氏を含む総勢6名によって分担執筆したものです。私自身は、結局全体の四分の一ほど書かせてもらいましたが、彼らのいささか乱暴でユニークな発想による「お題」の刺激で、おもしろく連想させてもらいました。私が執筆したのは――

・クラシックは我慢して聴け!――「さわり」ではわからない長~い音楽の理由
・作曲はステキな商売!――困ったら「過去」に戻れ!
・ワタシは作曲家として認められたい――演奏だけでは満足できない欲張り君たち
・簡単にわかってたまるか!――通好みの演奏家はこれだ!

――以上の4項目で、それぞれ実例をいくつも挙げて書いています。
 これらの本文は、まだ発売中の書籍なのでブログに転載できませんが、PRを兼ねて(?)、以下に「コラム」原稿を全文掲載します。なお、書籍では、レイアウトの都合からゲラ段階で一行分のカットをしましたので、以下に掲載のものが、ノーカットのオリジナルです。


■音盤の曲目構成、その今昔物語

 どんなに頑張っても片面5分程度しか収録できなかったSPレコードに、クラシック音楽でいちばん似合っていたのは「小品」だったと思う。ピアノも、ヴァイオリンもチェロも、ソプラノもテノールも、さまざまな小品のレコードがあった。
 私が小学生だった昭和三〇年代の初め、父親に自由に使わせてもらっていた「お古」の蓄音機でよく聴いていた一枚に、カザルスが弾くシューマンの『トロイメライ』とサン=サーンスの『白鳥』を組み合わせたレコードがあった。これは、文学少女がそのまま母親をしていたようなところもあった私の母のお気に入りでもあった。父親が舞踊家だったため、仕事柄、蓄音機もレコードも豊富にある家庭で育った私にとって、レコード歴の最初は、こうしたSPレコードだった。フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団で、グリーグ『アニトラの踊り』とファリャ『火祭りの踊り』という盤もあったし、アルベール・ヴォルフ/ラムルー管弦楽団のドビュッシー『小組曲』は、四面二枚組で全四曲だ。4~5分の小宇宙を、それらのレコードは創ってくれた。それをすっかり様変わりさせたのが、LPレコードの出現だった。しばしば、交響曲などの長い曲が細切れになってしまった、というマイナス面ばかりが伝えられる「SPレコード時代」だが、そんな功績もあったのである。
 LPレコードになってからは、小品は「小品集」となって、曲目選択や曲順に凝るようになったが、このときに忘れてはならないのが、レコードのA面・B面という問題。多くのレコード制作者が、この盤面をひっくり返す鑑賞者の行為を意識して、間合いを取る曲目構成をしている。だから、復刻CDで、オリジナル盤のままの曲順ですいすいと連続して再生されるのを聴くと、どこか鼻白む思いをする。A面最後の曲とB面冒頭の曲との間だけは、少し長めにブランクが欲しい――。贅沢な要求かもしれないが、これは、忘れたくない、大事なことである。




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