竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

マゼール/ミュンヘン・フィルのヴェルディ「レクイエム」を聴いて思い出したことと、デ・サバタの名盤

2015年07月08日 16時27分42秒 | クラシック音楽演奏家論

 昨日のこのブログの冒頭CDの補遺としてお読みください。カテゴリーが「新譜CD雑感」のほうなので、スマホ等では、切り替えないと出てこないかも知れません。じつは、昨日のブログ掲載分を読み返していて突然思い出したことから、さまざま、連想が広がってしまったので、とりあえず、私自身の覚書のつもりで以下に書きます。したがって未定稿です。ひとつの問題提起としてお読みいただけると幸いです。

   ===============

 昨年の7月に世を去ったマゼールの、現在時点では最後の公式な演奏会記録として、すべての演奏会をキャンセルした4月に先立つこと2ヵ月ほどの2014年2月7日にミュンヘン、ガスタイク・ホールで行われたミュンヘン・フィルとのコンサートがCD発売された(写真)。曲目はヴェルディ『レクイエム』で、この大編成の作品を良好な音で収録しているところから推察して、マゼール自身もCD発売を念頭に置いてのマイク・セッティングを了承して行われたコンサートではなかったかと思われるものである。

 このCDの演奏そのものについては別の機会に書くが、あれほどに豊富で長期にわたったマゼールのディスコグラフィに、この曲の正規セッション録音がないということばかりが指摘されているので、ひとこと書いておきたいと思ったのが、そもそもの発端である。

 確かに1950年代後半から始まるマゼールの録音歴に、この曲は登場しない。だから数年前にイタリアでの野外劇場でのライヴ収録のDVDが発売されたときには慌てて購入したのを憶えている。

 なぜ、マゼール指揮の「ヴェル・レク」がないのだろう。私は、その理由はマゼール自身の想いの中にある、と考えている。

 もうずいぶんと昔、確か1960年代のことだったと思う。記憶だけで申し訳ないのだが、何かのインタビューでレコード録音の意義について問われた時、マゼールは、「リパッティの一連の録音のいくつか、サバタのヴェルディ『レクイエム』の録音は、我々人類が録音という手段を持ち得たことを神に感謝する例だ」というようなことを語ったはずだ。今にして思えば、この二つは英EMIの大プロデューサー、ウォルター・レッグが心血を注いだ代表的な仕事だから、60年代の初め、たった2枚のLPレコードをレッグの下で録音しただけで、「芸術上の意見の相違」(レッグの証言)で仲たがいしていた状態を解消しようと思っての発言である可能性もあるが、青年の時期をローマに留学してサバタゆかりの「聖チェチリア音楽院」で学んでいたマゼールにとって、後段は本心から出た言葉のようにも思う。

 死の病に冒され1953年に第一線を退いたサバタを説き伏せ、スカラ座管との「ヴェル・レク」録音に執念を燃やしたレッグは、1954年6月下旬にスカラ座を借り切り、EMI本社を説得して機材と人材を揃え、(心臓疾患だったはずだが「しばしば咳き込み、喀血し、休憩するサバタを気遣いながら」と記述している文献もあったと思うが、いずれにしても、)6月18日から22日、2日の休息を挟んでの25日から27日までと、なんと8日間もかけて、全曲90数分の演奏記録を完成させたのだ。当時イタリアで勉学中だったマゼールと、このサバタの一世一代の渾身の名演とを繋ぐ糸が、心理的に皆無であるはずがない。

 何者をも恐れずに生き抜いたかに見えるマゼールだが、青春時代を過ごしたイタリアが生んだ天才指揮者サバタが残したものを越える日が訪れる予感が、やっと生まれてきたのが、ここ数年ではなかったかと、私は思っている。マゼールにとって、喉にささったままの小骨のようだった曲目が「ヴェル・レク」ではなかったか、ということである。

 私の仮説は、まだ続きがある。マゼールは、レスピーギ『ローマ三部作』の内、「松」は2回録音し、「祭」も1回録音しているにもかかわらず、『ローマの噴水』は、とうとう録音しなかった。思えば、サバタの名録音のひとつが、聖チェチリア音楽院管弦楽団を振った『ローマの噴水』だ。あの、まぶしいほどに躍動し歌い上げ、跳ね回る音楽は、トスカニーニからも聞こえてこない。マゼールが「噴水」の録音を避けたことも、サバタへの敬意と畏怖だったのではないだろうか。そう考えると、ニューヨーク・フィルを去ったあとだったか、マゼールのイタリアでの活動が目立ったことも、何かしらの関係があったと思われる。

 マゼールが、自らの手で「人生のまとめ」を完遂させないままで終わってしまった今、そんな想像を巡らせてみた。

 

【2015年7月9日加筆】(本文の主旨にはかかわりがありませんが…)

 サバタの指揮するヴェルディ「レクイエム」は英コロンビア(33CX)と、ジャケットが色違いの仏コロンビア盤の2種を持っていますが、フランス盤のカンカンする音とイギリス盤の落ち着きのある渋い音との中間くらいのものがないかなぁと思っていましたが、10数年前に英EMIから「イタリア管弦楽曲集」と組み合わせた2枚組のCDが出て、その同内容のCDが東芝EMIからも出ました。私はこの微妙にリマスタリングされて調整された東芝の音が、一番好きです。ここに、レスピーギ「ローマの噴水」も入っていて、これでないと、サバタのグイッとせり出してくる弦のつややかで表現意欲にあふれた輝きが出てきませんでした。

 1枚目の写真は東芝が70年代初頭にLP化したSPレコードからの復刻。私がサバタのレスピーギを初めて聴いた盤です。針音ノイズや低域のブーストをそれほど気にしなければ、それなりにいい音で聴けるし、演奏のディテールも伝わって、音楽が迫ってきます。90年代初期に「レコード芸術 名盤コレクション」の1枚として頒布されたCDは、この音です。

 

2枚目の写真は1995年にイタリアEMIから発売された2枚組CDです。「トスカ」全曲と「レクイエム」を除く全てのEMI録音の集成で、リマスターはロンドンのEMIスタジオで行なっています。1枚目のベートーヴェン「田園」とドビュッシーはすばらしい音質で、サバタの音が前面に迫ってきますが、2枚目が硬い音で聞きづらいものが多いのです。特にレスピーギがいけません。表記をみると、このあたりだけ78回転の金属マスターからの再録のような表現になっていますので、音質の違いはそれが理由でしょうか。結局、そのあたりを再度修正したものが、「レクイエム」の付録に収められているのでしょう。このほかにも、レスピーギを聴くだけでもいくつも購入しているはずですが、概略は、こんなところです。1946年ころからのほぼ10年間の録音は特に、LPもCDも、それぞれで音がまったくちがうので、みなさんもそうでしょうけど、たいへんですね。

 

(7月11日追記)英テスタメントから、未発売だったドビュッシーと組み合わせて、レスピーギが出ているのを思い出しました。まだ比較していませんでした。近日中にさらに追記します。)

 

(7月14日追記)英テスタメントのCD は、デコボコをきれいに刈り込んだような音でした。ある時期以降のCDによく聴かれる音です。

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。