数年来のクラシック音楽好きの友人C…君が、FMラジオで聞きつけて、ドヴォルザークの「新世界交響曲」作曲の背景には、構想だけで終わったアメリカ・インディアンの物語「ハイアワサ」を素材としたオペラがあって、それを復元したCDがあると言い出して、もう一度しっかり聴いてみたい、と言ってきました。
もうお解りの方も多いでしょう。2、3年ほど前だったか、ナクソスの「アメリカン・コンポーザー・シリーズ」の1枚だと思いますが、ちょっと奇妙なCDが出ました。「ドヴォルザークのアメリカ」と題されたアルバムのことです。ドヴォルザークの構想していたオペラ「ハイアワサ」のためのスケッチから作成された「メロドラマ」という代物を中心としたもので、かなりでっち上げくさいものではありますが、そこから始まったC…君とのやりとりで、以前から考えていた様々なことを少し整理したので、その一端を以下に掲載しておくことにしました。もちろん「未定稿」、「そう言われてみれば~」みたいな感じで、ドヴォルザークが受けたアメリカ的インスピレーションについて、少し考えてみたことの中間報告です。
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最初C…君からは、「アメリカの風」というタイトルでさまざまなアメリカの作曲家の音楽が聴けるようなプログラムに、との提案があったのですが、20世紀の西洋音楽のなかでの「アメリカ」の位置というか意味合いというものは、簡単に語れるものではないと思っていますから、それは無理でした。「アメリカ的」なるものは、モーツァルト以降に熟成した19世紀の「ドイツロマン派」の温床をひっくり返してしまったといっていいほどの、大きなものなのだと、私は仮説しているのです。そして、それに続く21世紀は、アメリカが中心になって起きた「ポスト・ロマン」の動きが、アジアと中東を中心に、「ネオ・ロマン」へと回帰し始める、という仮説です。
それと、もうひとつ大事なことは、ドヴォルザークがアメリカに行ったころは、アメリカに渡ったチェコ移民の大きな居留地が出来ていたということ。そして、現在のアメリカの、夏の学生キャンプとか、フォークダンスのナンバーなどにチェコ移民の影響が残っている、ということです。YMCAの歌だった「おお牧場はみどり」は、今や日本人のほうがよく知っていますが、あれは、チェコ民謡が原曲です。そのことは『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメデイア刊)で、数年前に少し触れました。カントリー&ウエスタンのメロディも、そう見ていくと、「新世界交響曲」の第2楽章を思い出させます。――というように、どこまでも連想は続きます。
「新世界交響曲」は、当時、ヨーロッパにとって〈新大陸〉として話題となっていたアメリカに新しく設立された音楽院の院長として赴任したドヴォルザークが、そのアメリカから様々な刺激を受けて生んだ傑作といわれています。けれども、その実体は、「黒人霊歌」のメロディが引用されていると、しばしば指摘されているような単純な話ではなく、もっと複雑なものがある、と言われています。そのひとつ、当時、ドヴォルザークが構想を進めていたアメリカ・インディアンの英雄譚を元にしたオペラが、新世界交響曲の源流だとする説を「音」にして聞かせるCDが数年前に発売され、話題になりました。
それが、このCD(写真)です。
「構成:ヨーゼフ・ホロヴィッツ&ミヒャエル・ベッカーマン/音楽:ドヴォルザーク」とクレジットされ、『メロドラマ《ハイアワサ》』(ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー詩)というものです。演奏者はアンヘル・ジル=オルドニエ編曲・指揮 ポスト・クラシカル・アンサンブルで、彼が編曲者でもあり、ケヴィン・ディアスというバスバリトン歌手がナレーターです。
全体が6トラックに分かれていて、それぞれ「プロローグ」「ハイアワサの求愛」「ハイアワサの結婚式の宴」「ミンネハハの死」「パウ=プク=キーウィスの狩り」「エピローグ(ハイアワサの出発)」と題されています。
未完のまま放置されてしまったオペラ『ハイアワサ』のために残されたメモは、旋律のスケッチに過ぎないようですが、愛読していたロングフェローの叙事詩「ハイアワサの歌」のチェコ語訳の断章が書き添えてあるので、ある程度の場面設定ができるようです。ただし、それが劇音楽なのか、歌のメロディなのか、どの楽器で演奏されるのかなど、まったくわからないので、「新世界交響曲」を参考にして指揮のジル=オルドニエが作り上げた編曲に、それぞれ該当すると思われる詩の朗読を重ね合わせて構成したと主張しているのが、この「メロドラマ」です。
これを聴くと、「新世界交響曲」の所々に不可思議に現われる歌謡的な旋律の謎の一端(つまり、純粋にソナタ形式的な展開ではなく不意に曲想が変わったりする、ある種の風変わりさのことを言っています)が解けるようには思いますが、さて?
そして、このCDは、メロドラマ「ハイアワサ」に続けて、ウイリアム・アームズ・フィッシャーの『ゴーイン・ホーム』が収録されています。「新世界交響曲第2楽章」によると注記され、「W・アームズ・フィッシャーの作詩と書かれています。歌っているのが先のナレーターです。もちろんオーケストラ伴奏曲です――というより、第2楽章を歌っている、という不思議なバージョンです。
この「新世界交響曲」第2楽章の旋律に歌詞を付けたフィッシャーという人物は、ドヴォルザークのアメリカでの音楽院の同僚です。作曲者の了解をもらって作られた作品だそうですが、アメリカでは最初、この歌のほうが交響曲よりも有名になりました。日本でも堀内敬三の名訳「家路」で大正時代から愛唱され、この歌が交響曲の原曲だと勘違いしている人も多いのですが、作られた順序は逆です。
ただ、この第2楽章の主題旋律は、この時期、ドヴォルザーク自身が院長をしていた音楽院の生徒だった黒人青年が歌う黒人霊歌に熱心に耳を傾け、書き留めていたものと深い関わりがあると伝えられています。この時、ドヴォルザークは、そうしたヨーロッパの伝統的な構造から大きくかけ離れた構造を持つメロディにこそ、未来の音楽の可能性が潜んでいると気づいたはずです。ドヴォルザークが院長を務めていたナショナル音楽院は、当時から人種差別のない革新的な思想で運営されていて、この後、20世紀の音楽シーンの様々な影響(コープランド、ガーシュイン、デュ-ク・エリントン)の源流ともなりますが、それも、この時期にドヴォルザークが関心を示した「アメリカの土地に眠る音楽」を掘り起こすことから始まったことと思われます。
じつはメロドラマ「ハイアワサ」には、明確に新世界交響曲と同じ旋律のほかに、ドヴォルザークの『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』作品100の第2楽章の旋律が「ハイアワサの求愛」に現われます。このあたり、ヴァイオリンの小品として後に有名になったドヴォルザークのピアノ曲『ユモレスク 作品101-7』を思い出させます。(そう言えば、ガーシュインが6歳の時に音楽の魅力に取り憑かれた作品が、この「ユモレスク」だったというのは有名なエピソードですね。)
「新世界交響曲」の終楽章の構想は、なかなかまとまりませんでした。そこで、ドヴォルザークは、当時かなり大きな規模になっていたアメリカに於ける「チェコ人の入植地」に出掛けます。そののどかな草原地域での母国語を話す人々との触れ合いから刺激を受け、一気に終楽章が完成したと伝えられています。アメリカの大自然の広がりは祖国の風景を思い出させ、それに黒人霊歌の旋律、リズムが、チェコの民族舞曲と重なり合って行ったのでしょう。
こうして、ブラームスの強い影響を受けていたドヴォルザークの作風が、大きく変わり始めました。ドイツの伝統的な音楽から大きく踏み出して、真にドヴォルザークらしい作品を次々に書き上げた晩年の充実した作品群として、作品95の「新世界交響曲」に「弦楽四重奏曲《アメリカ》作品96」「弦楽五重奏曲 作品97」と続くわけですが、この流れの最後にあるのが「チェロ協奏曲 作品104」です。アメリカ在任中にほとんど完成し、任期を終えて祖国に戻ってから完成した作品ですが、この傑作もまた、アイルランド出身のアメリカの作曲家ヴィクター・ハーバートの「チェロ協奏曲」が刺激となっているということが、最近、立証されています。ヴィクター・ハーバートもアメリカでのドヴォルザークの同僚ですが、院長として在任していたドヴォルザークを、自身が独奏する自作の「チェロ協奏曲」の初演に招待し、チェロ協奏曲の書法についてドヴォルザークに大きな刺激やヒントを与えたとされている人物です。そして、ドヴォルザークは、この「チェロ協奏曲」の完成後は、「交響曲」「ソナタ」「協奏曲」「弦楽四重奏曲」など、古典的な形式を堅固に守る作品をほとんど書かなくなり、祖国の民話に材を採った交響詩やオペラの作曲などに多くの時間を割くようになります。
ドヴォルザークがアメリカによって目覚めさせられたこととは、何だったのでしょうか? 軽々に断定することはできませんが、ひょっとするとそれは、ヨーロッパの伝統からの開放だったのではないでしょうか? ドヴォルザークがアメリカに渡った時期は、建築様式では「脱ゴシック建築」がトレンドで、「プレーリー・スタイル(=草原様式)」が提唱されていました。それが「時代のアトモスフィア(=気分)」でした。そんなことを重ね合わせて考えてみると、おもしろいかも知れないと思っています。つまり、「新世界交響曲」や「アメリカ四重奏曲」や「チェロ協奏曲」などの傑作群は、「望郷の念」が生んだものではなく、ずっと彼を縛り付けていたドイツ・オーストリアの音楽伝統から解き放たれた心が生んだ作品だということです。そう思ってコープランドやアイヴス、バーバーの作品を聴くと、何かしらの感慨があります。それは、どこまでも広がる草原の輝きのようなものかも知れません。