竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

METライブビューイング2023-24『アマゾンのフロレンシア』の響きに、ロマン派音楽の現代化の可能性を感じた

2024年02月05日 15時17分38秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 先週、東劇で、今期のメトの意欲作ダニエル・カターン作曲の『アマゾンのフロレンシア』を鑑賞した。カターンは1949年メキシコ生まれの作曲家。オペラは、この『アマゾンのフロレンシア』が1996年10月に初演されて脚光を浴びたものの、60歳を越えて間もない2011年、新作のオペラの作曲中に、惜しまれながら急逝してしまったそうだ。私は初めて知ったが、このオペラはヒューストン・グランド・オペラが委嘱した作品だそうで、主要な歌劇場からの初の委嘱作だったというから、他にオペラ作品がどれほどあるかわからないが、この作品は、間違いなく、長く残る作品だと思う。ちなみに、少なくとも1988年に作曲されたオペラが1作あるほか、ミュージカルの作曲も手掛けている人ということだけは、とりあえず、調べていてわかった。

 メトは、ゲルブ総裁が「私たちの使命のひとつに、現代の作品を発掘して世界に届けることがある」と言って、このところ、スタンダード名曲への偏重を避けて、現代作品をいくつか採り上げてきたが、その中でも出色の1作だと思う。先日は、ニューヨーク・シティ・オペラでの初演作、今回がヒューストン・オペラでの初演作、ときたから、いずれは、かつてメノッティに新作を委嘱したように、メト自身が、後世に残る新作の委嘱をするだろうと期待したい。

 『アマゾンのフロレンシア』は好評だった初演以後も、各地での再演が散発的に続いていたそうで、調べたらマイナー・レーベルながら、2018年に全曲録音のCDがあるらしい。これも、探してみようと思った。

 今、いくつも仕事が重なってしまっているので、以下はとりあえずの備忘録。いずれ、このCDも入手して、ゆっくり考えてみたいと思っている。

 『アマゾンのフロレンシア』は、大型蒸気船に乗り込んでアマゾン川の上流へと人々が分け入って行くという幻想的な物語。船の終着点には大きな劇場があり、そこで行なわれる歌手のコンサートへと皆が向かっているのだが、その船には当の歌手も乗り合わせているという不思議な設定のようだったが、それで、合っているだろうか?

 根底にあるのは、「過去に失った愛との再会を追い求めるロマン劇」といったところかとは思う。しかし、幕が上がっての冒頭から、音楽監督ネゼ=セガンの指揮棒から紡ぎ出される音楽の雄大な広がりに、まず、度肝を抜かれてしまった。じつに大きくふくらむ不思議な音楽で、それは、くりかえし、くりかえし風船を膨らませ続けるような音楽といった感覚で、同じようなフレーズが何度も押し寄せてくる様は、表現が適切ではないかも知れないが「ロマン派音楽のメロディのミニマル・ミュージック」といった感覚である。場違いだとは思いながらも、テイリー・ライリーやスティーヴ・ライヒの音楽を思い出してしまったのだ。

 舞台設定が船の甲板上ということもあって、絶えずゆらゆら揺れる音楽が、じつに自然で、常に揺れ続けている感覚に陥るとでもいったところか? 終始、漂よう音楽が、第1幕の終り、座礁するまで続いていたような気がする。和音進行では、プッチーニ最晩年の『トゥーランドット』フィナーレあたりにほのかに聞こえるもの、ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』にも聴かれたような音楽の流れが聴かれた。

 後半、第2幕。難破船のはずが、ふたたび航海を再開する,のは、私たちが「近代」の社会で失ってしまったものの復権を象徴していたのかも知れない。

 終着点。劇場の建物と明かりが見えてくるフィナーレの場面には、不覚にも、訳も分からずに感動してしまった。大地と空、川、あたりの空気、そして歌。すべてが一体となる感動の幕切れ。それは、彼らが失っていたものとの、再会の瞬間だったはずだ。

 

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 もう一度鑑賞したいと思った作品との出会いだったことだけは、まちがいないのですが、どうにもまとまりません。とりあえず、メモ書きで申し訳ありません。上映は、今週の木曜日までですが、東京・銀座の「東劇」は1週間延長で、来週の木曜日(15日)までのようです。

 METライブビューイングのテレビ配信、このところ「WOWWOW」が怪しいのですが、しっかり、来年、放送してほしいですね。メトの放送をしないのなら、もう「WOWWOW」の契約は打ち切ろうと思っています!

 

 

 

 

 

 


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