このところ2ヶ月ほど、ある企画の原稿執筆と、編集作業とに追われてしまって、当ブログの更新が、まったく出来ませんでした。このまま放置すると、この場のテンプレートが勝手に変えられてしまうという警告が出ましたので、「仕方なく」更新します。以下に掲載する「BBCクラシクス」の連載も、いよいよ終わりに近づいています。ほんとは、エルガーについては、「追記」も書きたいのですが、それは、機会を改めて、ということにさせていただきます。
ところで、その「ある企画」について。
現在、アマゾンの「本」を私の名前で検索すると、10月新刊が2冊、予約受付中で出てきます。音楽関連ではありません。「なんで、こういうテーマの本を出すのか」と訝るかたもいらっしゃるかも知れませんが、これは縁あって、書籍編集者としての仕事の延長で2年ほど前から取り組んでいた仕事が、ようやく2冊、形になるのです。それに伴って、アマゾンに掲載されている「著者プロフィール」も、書き加えないと、と思っています。(この場所でも、近いうちに、ご紹介します。)おそらく、ここを訪れる方も、これまでと少し違うタイプの方が加わるでしょう。様々の方に参考になったり、楽しんでいただける場にしようと、考えています。
1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、第二次大戦後のイギリスの音楽状況の流れをトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。
――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて、以下の本日掲載分は、同シリーズの98枚目。
========================
【日本盤規格番号】CRCB-6110
【曲目】エルガー:ヴァイオリン協奏曲 作品61
:交響的前奏曲「ポローニャ」作品76
【演奏】イダ・ヘンデル(vn)
プリッチャード指揮BBC交響楽団
アンジェイ・パヌフニク指揮BBCノーザン交響楽団
【録音日】1986年7月30日、1986年9月9日
■このCDの演奏についてのメモ
エルガーは、ロマン派音楽の時代の最後にイギリスで花開いた作曲家だが、中でも、この「ヴァイオリン協奏曲ロ短調 作品61」はエルガーの美質がよく表われた作品として、多くのヴァイオリニストのレパートリーに加えられている傑作だ。
実は、この作品の数多い録音の中で、私は結局のところ、作曲者エルガー自身の指揮を得て若き日のメニューインが力の限りを尽くしている1932年の録音の魅力を乗り越えるのは、容易ではないと思っている。メニューイン/エルガー盤は、決して少なくはないエルガーの自作自演の中でも際立った演奏で、取り憑かれたように大きく揺れ動く振幅に込められた感情の高まりを、メニューインが正面から受けとめ、力強い音楽を絶えず返している。メニューインがいわゆるヴィルトゥオーゾから精神主義者へと変貌しつつあった時期の、稀有な演奏だ。
では、今回《BBC-RADIO クラシックス》に収められたヘンデル/プリッチャード盤は、どうだろうか? この作品の演奏は、オーケストラが奏でる深いロマン的な感情表出の中を、引締まった造形に裏付けられた夢想がソロ・ヴァイオリンで突き抜けていった時に、真の抒情性を発揮する。その点では、エルガーらしい抑制された気品から放射されるロマンの力強さへの共感がなければならない。
イダ・ヘンデルの音楽性は、そうしたエルガーの作品に良く合っている。彼女の音楽は、決して息長く歌い上げるのではなく、選びとられた瞬間に短く力を込めて歌い切るもので、第2楽章には、特に、そうしたヘンデルの特質がよく出ている。1928年生まれの彼女にとって全盛期を過ぎてからの録音であるにもかかわらず、終楽章まで弛緩しないのもうれしい。熱烈な支持者の多いわりには録音の少ない彼女の、貴重なライヴの登場を喜びたい。
伴奏のジョン・プリッチャードは、日本での評価は決して高くなく、穏健な伴奏指揮者といったイメージで捉えられているふしもある。だが、その真の実力の一端は既に、このBBCのシリーズ中のブラームス「交響曲第2番」やエルガーの「交響曲第1番」で聴くことができる。むしろ粘り腰の音楽で大きく歌い上げる指揮者だ。1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、晩年はこのBBC交響楽団の首席指揮者として82年から89年の死の年まで活躍した。
1914年生まれのポーランドの作曲家で第2次世界大戦後にイギリスに亡命したパヌフニクは、亡命後は指揮者としてもイギリス楽壇に貢献した。このアルバムでは、エルガーの描いた祖国ポーランドを、共感を込めて堂々と指揮している様子が記録されている。指揮者パヌフニクを伝える貴重な録音だ。(1998.4.20執筆)
ところで、その「ある企画」について。
現在、アマゾンの「本」を私の名前で検索すると、10月新刊が2冊、予約受付中で出てきます。音楽関連ではありません。「なんで、こういうテーマの本を出すのか」と訝るかたもいらっしゃるかも知れませんが、これは縁あって、書籍編集者としての仕事の延長で2年ほど前から取り組んでいた仕事が、ようやく2冊、形になるのです。それに伴って、アマゾンに掲載されている「著者プロフィール」も、書き加えないと、と思っています。(この場所でも、近いうちに、ご紹介します。)おそらく、ここを訪れる方も、これまでと少し違うタイプの方が加わるでしょう。様々の方に参考になったり、楽しんでいただける場にしようと、考えています。
1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、第二次大戦後のイギリスの音楽状況の流れをトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。
――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて、以下の本日掲載分は、同シリーズの98枚目。
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【日本盤規格番号】CRCB-6110
【曲目】エルガー:ヴァイオリン協奏曲 作品61
:交響的前奏曲「ポローニャ」作品76
【演奏】イダ・ヘンデル(vn)
プリッチャード指揮BBC交響楽団
アンジェイ・パヌフニク指揮BBCノーザン交響楽団
【録音日】1986年7月30日、1986年9月9日
■このCDの演奏についてのメモ
エルガーは、ロマン派音楽の時代の最後にイギリスで花開いた作曲家だが、中でも、この「ヴァイオリン協奏曲ロ短調 作品61」はエルガーの美質がよく表われた作品として、多くのヴァイオリニストのレパートリーに加えられている傑作だ。
実は、この作品の数多い録音の中で、私は結局のところ、作曲者エルガー自身の指揮を得て若き日のメニューインが力の限りを尽くしている1932年の録音の魅力を乗り越えるのは、容易ではないと思っている。メニューイン/エルガー盤は、決して少なくはないエルガーの自作自演の中でも際立った演奏で、取り憑かれたように大きく揺れ動く振幅に込められた感情の高まりを、メニューインが正面から受けとめ、力強い音楽を絶えず返している。メニューインがいわゆるヴィルトゥオーゾから精神主義者へと変貌しつつあった時期の、稀有な演奏だ。
では、今回《BBC-RADIO クラシックス》に収められたヘンデル/プリッチャード盤は、どうだろうか? この作品の演奏は、オーケストラが奏でる深いロマン的な感情表出の中を、引締まった造形に裏付けられた夢想がソロ・ヴァイオリンで突き抜けていった時に、真の抒情性を発揮する。その点では、エルガーらしい抑制された気品から放射されるロマンの力強さへの共感がなければならない。
イダ・ヘンデルの音楽性は、そうしたエルガーの作品に良く合っている。彼女の音楽は、決して息長く歌い上げるのではなく、選びとられた瞬間に短く力を込めて歌い切るもので、第2楽章には、特に、そうしたヘンデルの特質がよく出ている。1928年生まれの彼女にとって全盛期を過ぎてからの録音であるにもかかわらず、終楽章まで弛緩しないのもうれしい。熱烈な支持者の多いわりには録音の少ない彼女の、貴重なライヴの登場を喜びたい。
伴奏のジョン・プリッチャードは、日本での評価は決して高くなく、穏健な伴奏指揮者といったイメージで捉えられているふしもある。だが、その真の実力の一端は既に、このBBCのシリーズ中のブラームス「交響曲第2番」やエルガーの「交響曲第1番」で聴くことができる。むしろ粘り腰の音楽で大きく歌い上げる指揮者だ。1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、晩年はこのBBC交響楽団の首席指揮者として82年から89年の死の年まで活躍した。
1914年生まれのポーランドの作曲家で第2次世界大戦後にイギリスに亡命したパヌフニクは、亡命後は指揮者としてもイギリス楽壇に貢献した。このアルバムでは、エルガーの描いた祖国ポーランドを、共感を込めて堂々と指揮している様子が記録されている。指揮者パヌフニクを伝える貴重な録音だ。(1998.4.20執筆)
先生の音楽に関する文章には、以前から大変興味を持って拝読しております。
中でも、フレイタス・ブランコの音盤への洞察や、ガリエラへの深い愛情など、コレクターとしての先生の文章は誠に好きでした。
それでこのブログも楽しみに拝読してきたのですが、「最近更新がないな」と寂しく思っていたところに、今般の更新嬉しく拝読したのですが、文中「「仕方なく」更新します」とは、いかにも読者を馬鹿にしたもの言いではありませんか?例えブログであって、また過去の文章の再録とは申せ、著者自身が「仕方なく」更新した文章を読ませられる読者のことは少しでもお考えにならないのでしょうか?先生の従事されているお仕事に照らしても誠に失礼な表現かつ何の必要もない言葉だと思いますが如何ですか?