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モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番』の名盤

2009年05月28日 11時34分49秒 | 私の「名曲名盤選」







 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第6回」です。


◎モーツァルト*ピアノ協奏曲第23番

 この曲では独奏ピアノだけでなく、オーケストラ伴奏が導き出す陰影が曲趣を盛り上げるが、クリフォード・カーゾン盤は、ケルテス/ロンドン響の的確な表現が曲全体に彫りの深い表情を与えており、カーゾンのピアノも力みのない、大らかでゆったりした演奏で奥行きのある音楽を形成している。決してすっきりとは聴かせてくれないが、独特の匂いの漂う演奏だ。バレンボイム盤は弾き振りによる演奏。ピアニストとしてのバレンボイムのリリカルなロマンティシズムと、表情付けの大柄な指揮ぶりとが違和感なく収まり、表現の振幅の大きい演奏となっている。タッチの細やかなピアノが陰影の濃いオケの上をみずみずしい響きで滑るように転がっていくのは魅力だ。
 アニー・フィッシャー盤は隈どりのくっきりした硬質なピアノだが、第二楽章の内省的な演奏が特に素晴らしい。遅いテンポで表現されたニュアンスの深さには忘れ難いものがある。
 このほかでは、ポリーニのクリアな演奏もよいが、ハイドシェックの、多少タッチの曖昧なピアノだが雰囲気に溢れた演奏が、むしろ曲趣に合っている。この人の自在に揺れるテンポの不安定さも、ここでは独特の魅力を生んでいる。早めのテンポにもかかわらず、オケも溌剌とした動きの中でよくレガートして、独奏を支えている。
 しかし、晩年のホロヴィッツがジュリーニ/スカラ座の好サポートを得て録音した演奏を聴くと、淡々とした粒立ちの良いピアノの音が、やはり、モーツァルトでは特に大切だということを改めて感じる。さすがのホロヴィッツも往年の切れ味のよさが薄れ、時折聴かれる制御し損なったような強い打鍵も惜しいが、代わりに、ぎらついたところのない素朴な飾り気のなさに、ホロヴィッツ晩年の心象を見る思いだ。伴奏も淡々と弾き続けるピアノによく合わせ、余計な仕掛けをしないで随いている。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 久しぶりに読み返してみました。ほとんど、書いた内容も忘れていました。そのくらい長い間、この曲を聴いていなかったということでもあるでしょう。
 当時の私は、結局、素直な気持ちでこの曲を聴けば、カーゾン/ケルテス盤か、ホロヴィッツ/ジュリー二盤だということが言いたかったのです。ホロヴィッツ盤は、発売されてまだそれほどの年月が経っていませんでしたから印象深かったのですが、基本は「カーゾン」です。それは今でも変わりません。こういう素直な音楽が遠のいてしまったここ20年ほどの間に、この境地を別の側面からでも越える演奏が現れたかどうか、追いかけていないのでわかりませんが、そろそろ出会えるかもしれません。
 アニー・フィッシャー盤については、現在このブログで、平行して進めているEMIの「モーツァルト・コレクション」のライナー・ノートで詳しく言及しています。数日中には掲載します。ライナーノート執筆のために初めて聴いた演奏だったはずですが、新鮮な驚きが感じられた演奏でした。
 ハイドシェックも、ここに書いてあるとおり、この曲では魅力を感じさせます。こうした演奏が生まれるほど、この曲の持っている天衣無縫な世界が大きく広い、ということでしょう。





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