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駆け足で辿る西洋音楽史(3)「近代/現代」

2014年03月04日 15時45分32秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 前々回から続いてきた本稿は、これで終わりです。いわゆる「二〇世紀音楽」の時代へと連なっていくわけですが、それは、レコード、ラジオ、映画など、急速に発達した様々のメディアの影響下に音楽が置かれた時代であり、交通網の発達によって「西洋音楽」が「西洋」から外に飛び出してしまった時代の始まりでもあったのですが、「音楽文化史家」の立場からの考察を始める以前の私自身は、まだ、その視点の重大さにまだそれほど気づいていませんでした。今となってはいささか不満のある旧稿ですが、そのまま掲載します。(本稿のオリジナル執筆時の経緯は、「(1)」をご覧ください。)


●近代/現代

■個性の重視が背景となった民族意識の発露
 ロマン派の時代も終わり頃になると音楽は、それぞれの地域の特性を持ち出すようにもなってきました。もちろん、その背景として、社会的には、様々な民族運動の高まりが関係していますが、個人の問題としては、各人の感性を大切にするという気運の影響もあります。それらをまとめて〈国民楽派〉と呼ぶこともありますが、互いに連係していたわけではありません。むしろロマン派と近代の音楽をつなぐものと考えるのが自然でしょう。
 代表的な作曲家としては、ロシアのチャイコフスキー、ボヘミアのドヴォルザーク、ノルウェーのグリーグなどがいます。チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」や「弦楽セレナード」には、寒いロシアの雪原のような広がりが感じられるかも知れません。ドヴォルザークの「スラヴ舞曲」にはボヘミアの土の香りが、グリーグの「ソルヴェイグの歌」からは、北欧の調べが聞こえてくる気になるでしょう。
 しかし、それらはどれも、映画の伴奏音楽のようなこじつけや、辻つま合わせの音楽ではないのです。それぞれ、その場所に生まれ育ってきた作曲家自身の、内面にある感情から生まれてきた音楽なのです。自分の心を映す鏡にまで発達した音楽は、こうして、ひとりひとりの感性の違いを、くっきりと定着させられるようにまでなったのです。

■〈後期ロマン派〉は世紀転換期の音楽
 近代の音楽と言われるものは、一般的には19世紀最後の10年間ほどから、第一次世界大戦終結の1918年過ぎまでの約30年間を指しています。別名〈世紀転換期〉とも言います。 この時代の流れのひとつに、マーラー、ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウスなど、ドイツ、オーストリアの〈後期ロマン派〉と呼ばれる人々がいます。
 彼らが与えられた共通の大きな影響は、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」における〈半音階的和声〉でしたが、それは現代の音楽に大きな革命をもたらしたシェーンベルクの〈十二音技法〉へと突き進んで行きました。
 後期ロマン派では、もうひとり、ブルックナーの存在も特異なものです。ブルックナーは、人間中心の主観主義全盛のロマン派時代の最後に現れた異端児と言ってもいいでしょう。宗教的な世界に彩られたブルックナーの音楽は、人間的世界から遠く離れた高みから、客観的に音楽世界を構築するといった広大無辺な「交響曲」を数多く生みました。
 また、古典派時代以降、作曲の分野ではほとんど見るべきもののなかったイギリスにも、後期ロマン派的な成果を収めた作曲家、エルガーが登場しました。交響曲、協奏曲など、オーケストラ作品の大曲に傑作がありますが、ヴァイオリンのための小品としてよく知られる「愛のあいさつ」も美しい作品です。エルガー以降、イギリスの作曲界は、ヴォーン・ウィリアムス、ホルスト、ブリテンなど様々な作曲家によって多くの成果を上げて、現代に至っています。

■ナショナリズムから近代、現代の音楽へ
 19世紀末から20世紀にかけてのヨーロッパは、民族国家形成の社会運動に伴って、各地で、ナショナリズムに目覚めた人々が活躍しました。これらの動きは、ロマン派音楽の範囲に入る〈国民音楽〉として発生しましたが、やがて発展して、ヨーロッパ中央を中心とした音楽に疑問を持ち始めた〈現代の音楽〉への橋渡しともなりました。
 ドヴォルザーク以後のチェコからはヤナーチェクが、グリーグ以後の北欧からはフィンランドのシベリウスが登場しています。
 一方、ヨーロッパ中央に影響されたチャイコフスキーに批判的だった同世代のロシアの作曲家たちは、民族主義を前面に押し出して活動しました。彼らは「ロシア五人組」と呼ばれ、特にボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフが有名です。
 「ロシア五人組」がフランスの近代音楽に与えた影響にも大きいものがあります。中でもムソルグスキーのピアノ曲は、〈印象主義〉の音楽を確立したドビュッシーに大きな影響を与えました。また、リムスキー=コルサコフは、近代管弦楽法の父とも讃えられ、巧みで効果的な色彩感あふれるオーケストラの用い方は、後の時代への大きな遺産となりました。リムスキー=コルサコフの見事な管弦楽法は、「交響組曲《シェエラザード》」で聴くことができますが、ドビュッシーより、ほんの少し後の世代のラヴェルの管弦楽法にも、このリムスキー=コルサコフの影響が聴かれます。彼らの作品は、正にオーケストラの音色できらびやかに織られた絵巻物です。
 スペインでは、グラナドス、アルベニス、ファリャなどが活躍しますが、彼らには、フランスの近代音楽の祖とされるドビュッシーの確立した〈印象主義〉音楽の影響を聴くことができます。

■ワーグナーの影響から出発した近・現代の音楽
 これまでの西洋音楽の歴史は、旋律は落ち着くべきところに落ち着いて終わるという、安定した着地感とでもいうものを中心にしてきました。それが〈機能和声〉の考え方です。
 ところが、ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」で、そうした達成感を先送りすることを試みました。この方法は次第に調性を曖昧にして、ついには、〈無調音楽〉へと突き進んで行きました。それを〈十二音技法〉として確立したのがシェーンベルクです。
 それは〈新ウィーン楽派〉として、アルバン・ベルク、ウェーベルンへと受け継がれて行きましたが、その他にも、多くの今世紀の作曲家に多くの影響を与えました。調性感の喪失の周辺をさまようアルバン・ベルクの作品は、マーラー以後のウィーンの抒情精神の現代的な帰結のひとつとして、痛切なものがあります。また、ウェーベルンは、その瞬間々々に意味を求める点描的な作風を中心に、第二次大戦後の世界の若い世代にまで影響を残しています。
 一方、ワーグナーの影響から出発したものの、フランスでは、サティやドビュッシーのように、古代趣味とも結びついて、五音音階、全音音階、中世の教会旋法などを用いて、意図的に脱ワーグナーを試みる動きが起こりました。ドビュッシーは和音を西洋音楽の伝統的な進行から開放し、一見断片的でとりとめのない姿から、独創的な呼び交わしで光のスペクトルを束ねていくような音楽を作りました。言わば、一定の方向に意味付けしながらつなぎ合わせて終結へと向かうのではなく、瞬間のきらめきをそのまま積み上げていくといった感覚で、これを一応〈印象主義的和声法〉と呼んでいます。
 ドビュッシーの音楽は、ドイツを中心としたロマン主義からの決別に、決定的な影響を与えて現代に至っています。それは、例えば、民族主義的な研究から出発して全音音階的な語法で今世紀の音楽のあり方のひとつを示したハンガリーのバルトークや、リムスキー・コルサコフ的作風から出発したストラヴィンスキーにも聴かれるのです。

■古典への回帰とリズム重視の音楽の台頭
 ストラヴィンスキーは、印象主義的な作風から原始主義的でエネルギッシュな音楽に至り、やがてロマン派的情緒を排した新古典主義的な作風へと向かいました。バルトークも古い民族音楽やバッハの研究を通して新古典主義的な傾向を持っていますが、一方で、原始主義的な面も備え、打楽器を多用する張り詰めた音楽などをたくさん残しました。
 高らかに歌い上げる音楽から、打楽器の多用に象徴されるリズム重視の音楽への転換も、今世紀の音楽の大きな特徴のひとつです。その中には、ガーシュインに象徴される〈ジャズ〉のリズムも忘れることができません。ジャズの影響は、パリを中心としたラヴェルや、それ以降のミヨー、プーランクなどに飛火し、一時期パリに居たロシアのストラヴィンスキーやプロコフィエフにも現れています。
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Unknown (Unknown)
2020-08-22 00:46:05
めっちゃ助かります
 
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