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ショパン『スケルツォ(全4曲)』の名盤

2009年10月07日 10時13分38秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第21回」です。

◎ショパン:スケルツォ(全4曲)

 ルービンシュタイン盤は、この曲の大きな身振りを、壮大なスケールで豊かに鳴らしたスタンダードな名演だ。様々な演奏を聴いた後で、結局このゴージャスな響きに圧倒されて「やっぱりかなわないな」と思う。これに対抗できるのは、ホロヴィッツ盤くらいだろう。
 ホロヴィッツは、4曲それぞれが折りにふれて録音されたもので、4曲をまとめて録音したものはない。代表的な録音は、1番が六三年のCBS、2番、3番が五七年のRCA、4番が三六年のEMI録音だ。ホロヴィッツ盤は、その切り立った表現の凄味にぞくぞくとする。舌を巻くうまさとは、まさにこういうものを言うので、強弱の振幅が大きく、弱音には一点のくもりもない。
 この二人の演奏のあとでは、アシュケナージでさえ、おもちゃのピアノのように聞こえてしまうから困ったものだが、ワルツのように自在なひらめきを極度に必要とする曲と違って、この曲は、彼の真面目なアプローチが比較的生かされている。しかし、ショパンの「スケルツォ」は、こんなヤワな曲ではないという思いはついてまわる。
 だが、これらの演奏はいずれも、この曲の緩急の大きな落差、振幅の大きさをどう表現するかに重心が置かれている。マガロフの場合は、そうした大きな落差はずっと抑制されている。だからと言って、全体が同じ色調に染まっていないところが、マガロフの強みだ。マガロフは、言わば全体をひとくくりのファンタジーに取り込み、その枠の中での繊細な振幅を聴かせることで、変化を表現している。ひょっとすると、これが、最もこの4曲の世界にふさわしいことかもしれない。
 全曲そろってはいないが、アルゲリッチの2番、3番(2種)や、ミケランジェリの2番などは、スタイルは違うが、それぞれに豊かな発想を聴かせてくれる。


【ブログへの再掲載に際しての付記】
 付け加えるべきことが2つだけあります。ひとつはアルゲリッチ。彼女には、この原稿を書いた後にも録音があるかもしれません。
 もうひとつ。これは大事なことです。前回のブログ掲載で言及したフー・ツォンに「スケルツォ」の録音があったような気がしますが、未チェックなのです。
 友人たちにもあまり信じてもらえませんが、この10数年間のショパンの新譜は、ほんとうに追いかけている時間がありませんでした。もしフー・ツォン盤があれば、おそらく素晴らしい演奏になっているはずです。フー・ツォンの音楽性とショパンの音楽の持つ寂寥感とが生み出すものがあるはずだからです。






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